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大魔導師の期待
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大魔導師として抜擢された日のことを、マツリは思い出していた。
当時、大司書の地位についていたマツリは、もうひとりの大司書であったダアゴを打ち負かした。
魔術師たちの多数決によって、次の大魔導師は決められる。そのなかには大魔導師自身も入っていた。大魔導師だけはひとりで10票を持つ特別あつかいだった。
選挙のやり方は、図書館創立から変わっていないらしい。
当時の大魔導師は――マツリの母だった。母はダアゴに票を入れた。しかし、大勢の魔術師の票は、マツリに流れた。結果。マツリが勝つことになった。
べつに大魔導師になりたかったわけじゃない。
当時まだ司書のひとりに過ぎなかったサルヴィアの根回しが、マツリに勝利をもたらしたのである。
(頼んだわけじゃないのに)
なのにサルヴィアは、マツリのために立ちまわった。
いや。
マツリの持っているヒトマル族の血のため――と言うべきか。
サルヴィアはヒトマル族の血を特別視している。神聖視とすら言える。だからジハーダ人とヒトマル族のハーフであるサルヴィアは「混血」などという言葉を使うのだ。
(どうして……)
選挙のことを思い出したのかしら……とマツリは小さく笑った。
あまりに大きな才能を目の当たりにした驚きが、そうさせたのかもしれない。
閉ざされた塔たる図書館にまた新しい風が吹き込んできたな、と思った。
「タダモノじゃないわね」
と、マツリはつぶやいた。
期限の日となったため、2次試験の課題である魔法書を提出させた。
魔法書を製作しろと言うのが無理難題であることはわかっていた。1人前の魔法書を製作することは、いまの読師たちにも難しい。
完成品が見たいわけじゃなかった。完成品にまでこぎ着けようとする、その足跡が見たかった。それで合格に値する能力があるのかどうかが判別できる。
案の定。
受験生たちは、魔法書の完成に間に合わずに泣く泣く、途中までの書を提出することになった。
本人たちは、完成させなければ合格できないと考えているのだ。それぐらいの心構えで挑んでもらわなくては困る。
しかし。
1人だけ――。
完成品を提出して来た者がいたのだ。
「ヘイルータンのことですね」
と、サルヴィアが言った。
「見事にやり遂げたわ」
1次試験を突破したのは全員で120人だった。
今年の1次試験は特に難しくしてある。
120人でも上々だ。
そなかでも、マツリが目をつけた5人。
ヘイルータン。マオ。チータイ。フランチェスカ。カルカッタ。
その5人の製作した魔法書だけは、マツリがみずから採点することにした。
マツリが目を付けていただけあって、5人ともスバラシイ出来栄えだった。完成品にまで仕立て上げたのは、ヘイルータンただひとりだった。
「しかも、優秀なだけじゃないわ」
ヘイルータンの作った魔法書を開けた。
すると机上に積み上げられていた書簡が色分けされた。
北から送られてきた物ほど青く、東に寄っているほど緑に染まる。南に行くほど赤くなり、西ならば黄色に染まっていた。
こうなれば、どの書簡がどの地方から送られて来ているのか、一目瞭然であった。
世界地図が頭に入っているマツリならば、なおさらだ。
「ただ魔法書を完成させただけじゃないわ。私の悩みを見抜いてたのよ。これがあれば私は書簡に悩まされずに済むもの」
この魔法書に汎用性はない。
大量の書簡に悩まされる者なんてそうそういないだろう。
しかしマツリにとっては宝物であるし、これこそが魔法の神髄であった。
魔法とは本来、大多数の人間を助けるためのものではないのだ。特定の誰かのために作るものだった。
「偶然でしょう。大魔導師さまが書簡に苦しめられていたことを、受験生が知る術はありません」
「そうよね」
しかし、ホントウにそうだろうか。
一度だけ――。
受験生たちの前で、書簡の話をした。
サルヴィアがロゴス語で『書簡がたまっています』と言った。
ロゴス語は、間諜対策のためにマツリが編み出した特殊な音声言語である。いわゆる暗号だ。常人に見抜けるものではない。
ヘイルータンの風貌を、マツリは胸裏に思い起こした。まず真っ先に思い浮かぶのは、あの美しい白銀の髪だ。そして次に少女のように滑らかな頬と、聡明そうな目元だった。
「間諜ではありませんか?」
と、サルヴィアがそう言った。
「かもしれないわね。っていうか、十中八九そうでしょうね」
間諜に違いない。
まるでマツリの気を惹くためだけに用意された人間である。
面食いなマツリ好みの姿。マツリの想像よりもはるかに優秀で、しかも機転がきく。さあ、どうぞ寵愛してください――と言わんばかりの少年である。
「落としますか?」
「ダメよ。まだ間諜と決まってるわけじゃないもの。万が一、間諜じゃなかったのなら、天才を失うことになるのよ」
サルヴィアはその赤い髪を掻きあげた。
「過大評価でしょう。このレベルの魔法書なら、オレにだって製作できますよ」
「誰と張り合ってるのよ。相手はまだ子供よ。しかも図書館関係者じゃない子供。それに3週間という期限内に完成させたのよ。極度の緊張と疲労のなかでね」
ヘイルータンの能力を認めざるを得なかったようで、
「そうですね」
と、サルヴィアはため息まじりにうなずいた。
(もしかすると……)
ヘイルータンならばいずれ、このサルヴィアに匹敵する大司書になれるかもしれない。
「決まりね」
今年の合格者の名前を、マツリは羊皮紙に書き綴っていった。
当時、大司書の地位についていたマツリは、もうひとりの大司書であったダアゴを打ち負かした。
魔術師たちの多数決によって、次の大魔導師は決められる。そのなかには大魔導師自身も入っていた。大魔導師だけはひとりで10票を持つ特別あつかいだった。
選挙のやり方は、図書館創立から変わっていないらしい。
当時の大魔導師は――マツリの母だった。母はダアゴに票を入れた。しかし、大勢の魔術師の票は、マツリに流れた。結果。マツリが勝つことになった。
べつに大魔導師になりたかったわけじゃない。
当時まだ司書のひとりに過ぎなかったサルヴィアの根回しが、マツリに勝利をもたらしたのである。
(頼んだわけじゃないのに)
なのにサルヴィアは、マツリのために立ちまわった。
いや。
マツリの持っているヒトマル族の血のため――と言うべきか。
サルヴィアはヒトマル族の血を特別視している。神聖視とすら言える。だからジハーダ人とヒトマル族のハーフであるサルヴィアは「混血」などという言葉を使うのだ。
(どうして……)
選挙のことを思い出したのかしら……とマツリは小さく笑った。
あまりに大きな才能を目の当たりにした驚きが、そうさせたのかもしれない。
閉ざされた塔たる図書館にまた新しい風が吹き込んできたな、と思った。
「タダモノじゃないわね」
と、マツリはつぶやいた。
期限の日となったため、2次試験の課題である魔法書を提出させた。
魔法書を製作しろと言うのが無理難題であることはわかっていた。1人前の魔法書を製作することは、いまの読師たちにも難しい。
完成品が見たいわけじゃなかった。完成品にまでこぎ着けようとする、その足跡が見たかった。それで合格に値する能力があるのかどうかが判別できる。
案の定。
受験生たちは、魔法書の完成に間に合わずに泣く泣く、途中までの書を提出することになった。
本人たちは、完成させなければ合格できないと考えているのだ。それぐらいの心構えで挑んでもらわなくては困る。
しかし。
1人だけ――。
完成品を提出して来た者がいたのだ。
「ヘイルータンのことですね」
と、サルヴィアが言った。
「見事にやり遂げたわ」
1次試験を突破したのは全員で120人だった。
今年の1次試験は特に難しくしてある。
120人でも上々だ。
そなかでも、マツリが目をつけた5人。
ヘイルータン。マオ。チータイ。フランチェスカ。カルカッタ。
その5人の製作した魔法書だけは、マツリがみずから採点することにした。
マツリが目を付けていただけあって、5人ともスバラシイ出来栄えだった。完成品にまで仕立て上げたのは、ヘイルータンただひとりだった。
「しかも、優秀なだけじゃないわ」
ヘイルータンの作った魔法書を開けた。
すると机上に積み上げられていた書簡が色分けされた。
北から送られてきた物ほど青く、東に寄っているほど緑に染まる。南に行くほど赤くなり、西ならば黄色に染まっていた。
こうなれば、どの書簡がどの地方から送られて来ているのか、一目瞭然であった。
世界地図が頭に入っているマツリならば、なおさらだ。
「ただ魔法書を完成させただけじゃないわ。私の悩みを見抜いてたのよ。これがあれば私は書簡に悩まされずに済むもの」
この魔法書に汎用性はない。
大量の書簡に悩まされる者なんてそうそういないだろう。
しかしマツリにとっては宝物であるし、これこそが魔法の神髄であった。
魔法とは本来、大多数の人間を助けるためのものではないのだ。特定の誰かのために作るものだった。
「偶然でしょう。大魔導師さまが書簡に苦しめられていたことを、受験生が知る術はありません」
「そうよね」
しかし、ホントウにそうだろうか。
一度だけ――。
受験生たちの前で、書簡の話をした。
サルヴィアがロゴス語で『書簡がたまっています』と言った。
ロゴス語は、間諜対策のためにマツリが編み出した特殊な音声言語である。いわゆる暗号だ。常人に見抜けるものではない。
ヘイルータンの風貌を、マツリは胸裏に思い起こした。まず真っ先に思い浮かぶのは、あの美しい白銀の髪だ。そして次に少女のように滑らかな頬と、聡明そうな目元だった。
「間諜ではありませんか?」
と、サルヴィアがそう言った。
「かもしれないわね。っていうか、十中八九そうでしょうね」
間諜に違いない。
まるでマツリの気を惹くためだけに用意された人間である。
面食いなマツリ好みの姿。マツリの想像よりもはるかに優秀で、しかも機転がきく。さあ、どうぞ寵愛してください――と言わんばかりの少年である。
「落としますか?」
「ダメよ。まだ間諜と決まってるわけじゃないもの。万が一、間諜じゃなかったのなら、天才を失うことになるのよ」
サルヴィアはその赤い髪を掻きあげた。
「過大評価でしょう。このレベルの魔法書なら、オレにだって製作できますよ」
「誰と張り合ってるのよ。相手はまだ子供よ。しかも図書館関係者じゃない子供。それに3週間という期限内に完成させたのよ。極度の緊張と疲労のなかでね」
ヘイルータンの能力を認めざるを得なかったようで、
「そうですね」
と、サルヴィアはため息まじりにうなずいた。
(もしかすると……)
ヘイルータンならばいずれ、このサルヴィアに匹敵する大司書になれるかもしれない。
「決まりね」
今年の合格者の名前を、マツリは羊皮紙に書き綴っていった。
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