あやかしびより 境界のトンボとあやかしたち

大月 けい

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おいでませ、みさき旅館

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 ――情けは人の為ならず。
 おとぎ話の浦島太郎はカメ、菜月はカッパを助けた。
 連れ立って着いたところは。

 
 蝉の声に顔をしかめた菜月に河野が顎をしゃくった。
 顔を上げれば優美な曲線を描く瓦葺の唐門からもん。まるで寺院のような屋根の上からくすんだ鬼板がにらみを利かせている。
 手招きするように優しく揺れるのは屋号紋――トンボを染め抜いた藍色の暖簾。
(――五年、いや六年ぶりかな)
 まるで時が止まったかのよう。記憶にある景色とほとんど変わらない。

「そうです、ここ」

(……着いたぁ)
 額の汗をぬぐって安堵の息をつく。
 河野と話しながら――歩くこと五分弱。ようやく目的地に到着した。
 門をくぐり、敷地に足を踏み入れると竹林を背に瓦葺の建物が出迎える。
 そよぐ風に乗る潮騒の音。涼やかなそれに重なる蝉の声は雨音のよう。
 緩やかに弧を描いて伸びる石畳みのアプローチ。
 足取り軽く進んで玄関まであと少し、というところで呼び止められた。

「ちょっとお待ち!」
「――――!?」

 ぴしりと遮ったのは鋭い女性の声。
 同時に投げつけられたに反射的に腕を上げて顔を庇う。
 全身に降りかかるざらりと細かい、それに戸惑った。
(え。……塩?)

 いきなりの手荒い歓迎――塩をまかれるということは歓迎されてない。

「出てお行き! ここは用のない人間が勝手に入っていい場所じゃないよ」

 険しい顔で行く手に立ちふさがるのは灰藤色の着物の老婆。
 白髪はくはつを結い上げ、三日月のような目を眇めてにらむ。
 拒絶の声に肩を強張らせて言葉を失う菜月の隣で河野が吼えた。

「こらぁ! なにすんだよ!」
「問答無用。さっさと帰れ!」

 耳を貸す気はないらしい。老婆は野良犬かなにかを追い払うように手のひらを打ち払う。

「用があるから来てんだろうがっ」
「来客の予定もないし、お前にも用はない」

 声と同時に小脇に携えた袋からをつかみ取って投げつけた。
 節分の豆をまくように投げつけられると地味に痛い。

「――痛ったぁ、なにすんだよ目に入ったじゃないかっ!」
「当たり前だろ、こっちは追っ払ってんだ。さっさと帰りなっ!」

 とっさに握りこんだ手に残った、ざらりとした感触。
 菜月は降りかかったを見て目を丸くした。
 塩だと思っていたのだが、色が違う。青灰色のそれ。
(――砂?)

「避けるに決まってんだろ、この、砂掛けババァっ!」

(は、はあぁ!?)
「ババア……!? こんの……化けガッパ!」

 肩を震わせ目を吊り上げると携えていた袋に手を突っ込んで中身をつかみとる。そのまま容赦なく河野めがけて投げつけた。
 ――その姿は妖怪、砂かけババアそのもの。

「どわわっ、カッパなのは生まれつきでオレのせいじゃねぇ! ちょ……話を聞いてくれっ……でっ!」

 顔にまともに砂をくらって、口に入った砂をぺっと吐き出して悲鳴を上げる。

「口に入ったっ! 客だよ、客!」
「今日は客の予定はない! とっとと帰んな!」

 砂をつかみ取った手を振りかざして、目を吊り上げて吼えた。
 砂かけババアではなくまるで鬼婆のようだ。

「俺だって予定外だ!」

 わめいた河野に背中から両肩をつかまれ、火花――砂が散る現場に引きずり出された。

「えぇぇっ!?」
「この子が用事があるそうだ」

 老婆の凍り付きそうな視線に身をすくませ悲鳴を飲み込んだ。
 河野はすかさず菜月を盾にするようにでかい図体を縮こませるのを忘れない。まるで蛇とマングースのにらみ合い。
 その矢面に立たされて砂をぶちまけられるのを覚悟して両手で顔を覆った。
 ――が。
 そのままゆっくり二呼吸。いっこうに砂を投げつけられる気配はない。
(……あれ?)
 熱気を孕んだ風が駆け抜け、竹林を揺さぶって潮騒の音を奏でる。
 静けさにたまりかねて薄目を開けて様子をうかがった。
 ――目の前にあるのは険しい顔ではない。

「……もしかして、菜月ちゃん?」

 思い当たるところがあったのだろう、静かな声音で戸惑いがちに問うた。
 操り人形のようにうなずくとすぐさま喜びの声を漏らして相好を崩す。

「お久しぶりです。すっかり大きくなられてどちらの美人さんかと思いましたよ。もう菜月さんって呼ばなきゃいけませんね」

 それは七割増しの誉め言葉。着ている服も女性らしくもなく、未だに男の子に間違われることもしばしば。
(全然、美人じゃない)
 という指摘は虚しいので飲み込んだ。実のところ、お世辞でなく本当に見違えたらしい。そもそも連れ立って現れた相手が悪かった。
 しなを作るように着物の袖を口元に添えるたおやかな姿はまるっきり別人。

「な、客だろ?」

 場の空気がやわらいだのを察して元凶が黄金色の顔をのぞかせた。くちばしはほとんど消えかかってほぼ人間の顔。

「ちょ……っと、近い!」

 にんまり笑った間近にある顔に年ごろの娘の心臓が不覚にも跳ね上がった。
(妙に距離が近すぎる。このカッパ、気が抜けない)

「その手を離しな、客は客でも菜月さんは正太郎の客だよ」

 すかさずにらみつけて河野の手をはたき退けて、着物の袖で菜月の髪や肩に降りかかった砂を払い落す。

「正太郎の客?」

 赤くなった手をさすってつぶやいた河野の声はすっぱり無視された。
 柔らかく微笑む老婆の名前は――砂川すながわタキ。
 住み込みで宿を手伝う傍ら叔父の身の回りの世話をしてくれている。
 記憶にある限り柔和でたおやかな印象しかない。

(まさか本当に……?)
 河野の言葉が棘のように引っかかるが、どう切り出してよいものか困った。
(やっぱり、きけない)
 芽生えた疑問はそっと刈り取った。

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