あやかしびより 境界のトンボとあやかしたち

大月 けい

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この子 どこの子 付喪の子

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 沸き立つような風が涼やかな潮騒の音を乗せて通り抜ける。
 近況報告をしながらおやつの葛切りを食べ終えた。

「――そうか。で、菜月はうまくやってるのか?」
「うまくって言うか、普通? よく分かんないけど」

 問われて返答に困って視線を落とす。
 沈黙を埋めるようにそっと湯呑が置かれた。
 冷えた麦茶ではなく香気を含んだ湯気を上げるほうじ茶。

「夏だからと言って体を冷やしすぎるのはよろしくありませんからね」

 独り言のようにつぶやいて、タキさんも湯呑を取り上げる。
 丸い湯呑を包み込むように持つとじんわりと伝わる温かさが心地よい。
 黒蜜の甘味を苦い沈黙と一緒に喉の奥に押し流して、正太郎に問いかけた。

「ねぇ、聞きたいことが――」

 菜月の問いかけは――大あくびで遮られた。

「ん……今はパス。腹が満たされたら眠くなった。頭が回らん」
「ちょ、ちょっと!」

 慌てた菜月の声など気にする素振りもなく湯呑を座卓に戻して立ち上がる。そのまま出て行きかけて思い出したように顎をしゃくった。
 視線の先にあるのは――大人しく座るヌイグルミ。

「そいつは、菜月が持ってろ」
「いらない。小さな子供じゃないもん」

 口を尖らせて抗議するとなにか言いたげな顔でそれを抱えあげた。

「聞きたいことがいっぱいあるんですけどー」
「だろうな。顔に書いてある。けど、今晩も忙しい……夕方まで寝かせてくれ。知りたいことはタキさんに教えてもらえばいい」

 小脇に熊のヌイグルミを抱えてあくびをかみ殺す。眠そうな顔で頭をかく素振りはまるで幼子のよう。
 少しばかり可哀そうになって菜月もしぶしぶと引き下がる。
 ほんの少し口の端を下げて、溶けてしまいそうな背中を見送った。

「昨晩はでしたからね。朝方まで火を絶やさないように気を使って疲れたのでしょうね」

(徹夜で火の番って……まるで寝ずの番か修行僧みたい?)
 ここは旅館であって寺ではない。なによりおかしいのは。

「お盆って、迎え火を焚くんじゃなかったっけ?」

 空になったガラスの器を片付けるタキさんに首を傾げた。
 一般的にお盆の送り火は十六日、明後日である。

「この町でお盆の入りに送り火――蝋燭の火を絶やさず、香を焚くのが境界守の仕事です」
「キョウカイモリ?」

 聞き返して新種のイモリかと問われたのは記憶に新しい。

「境界、あちら側との境目の番人です。本人は風呂の栓みたいな人ですが」

 確かに風呂に栓がないのは困る。河野も似たようなことを言っていた。
(玄関の鍵って言ってたけど)

「境目の往来には境界守の許可が必要なんですよ。この宿は関所のような場所にあるんです」

 説明に首を傾げた菜月に袖を口元に当ててころころと笑う。
(……わけが分からない) 
たまやである黄泉寺へ行く御霊みたまが通る場所なんです」

 「たま」だらけでよく分からないが曖昧な返事で誤魔化した。
 なんともスッキリとしない。しかも他にも確認しておきたいことがある。
 ラーメン屋のオバちゃんに教えてもらったこと。

「キツネ面を被った人たちって変だよね」
「もしかして見かけたんですか?」

 少し怖い顔で眉をひそめて問われ、慌てて首を振った。
 見たわけではない。むしろ見てみたいと思っている。

「キツネ面は鬼が本性を隠すためにかぶるんです」
「鬼?」

 随分とメルヘンチックなワードに眉根を寄せ、聞き返す。

「行き場がなく彷徨っている方です。自分では境界を越えられなくて他人と入れ替わる必要があるんです」

 キツネ面なのは本性を隠し無害だとアピールするため。
 三人一組で現れて新たな仲間を求めてさまよう。一人取り込むと引き換えに一人が成仏できる。自分の順番が来るまで仲間を探して歩き続けなければならなくなるそうだ。世にいう七人ミサキの少数バージョン。
 だから面白がって呼びかけたりついて行ってはいけないという。

「困った時は『衆怨悉退散しゅおんしつたいさん』と唱えてください。そうすれば消えるはずですから」
「シュオン、シツ……?」
「退散です。怨念や災難がことごとくなくなれという意味です。正式にはもっと長いのですがこの言葉だけでもお守りとして効果があるはずです」

(シュオンシツタイサン、ね)
 口の中で反復するように幾度か繰り返した。

「今の時期は藪入やぶいりでもうすぐ地獄の釜がきます。盆の行き来だけでなく思わぬ異形が混ざっている可能性があります、気を付けてくださいね」
「ヤブイリ?」
「お里下がり、つまりお盆休みですよ。ご先祖様がキュウリの馬に乗って家に帰るって話をご存じでしょう?」

 盆はあの世とこの世がつながる日なんです。手のひらで湯呑を転がしながら独り言のようにつぶやいた。

「中にはお里下がりを許されても行き先のない方もいらっしゃるんです。そういう方は蛍になるそうです。だから今晩は蛍狩りに出かけなきゃなりません」
「蛍狩り?」

 楽しそうなキーワードに表情を明るくした菜月に驚いたように目を見張ったがすぐに相好を崩した。

「蛍を捕まえて用意した鬼灯ほおずきの中に捕まえるんです。盆の終わりにはきちんとするんです。竹籠いっぱいの鬼灯が蛍の瞬きに合わせて光るのはとても綺麗ですよ」

 どうやら虫かごではなく鬼灯の中に蛍を閉じ込めるようだ。

「町の子供たちも蛍を捕まえて宿に届けにくるので賑やかになります。日が暮れたら出かけますので早めに夕餉の支度もしなくてはいけませんね。そうそう、お夜食も拵えておかなきゃいけませんね」

 空になった器を盆に乗せてタキさんは楽しそうにお勝手に消えた。
 
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