あやかしびより 境界のトンボとあやかしたち

大月 けい

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この子 どこの子 付喪の子 2

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※今晩は蛍狩りに行くということで決定した。
 とはいえ、時刻はおやつを食べ終わったばかり。
 夏の太陽は高く夜の気配は遠い。菜月はあてがわれた自室に戻って荷解きを再開しようとして、手を止めた。
 そういえば、聞き損ねた。

(ウブメ、ってなんだろう?)
 話の流れから言ってケチャップで有名な会社名ではないはずだ。
(海にいるのはカモメ。お父さんはヤモメ……だった。正太郎は……?)
 極楽トンボ、昼行燈ひるあんどん、やる気の欠片もない骨なしクラゲ。かんぬきに風呂の栓。思案を巡らすがどれもしっくりこない。
 考えるのを諦めてあくびを一つ。

(眠たい)
 両手で天井を突き上げて体を伸ばすとメガネを机に置いた。座布団を枕に部屋の真ん中に寝転がるとひんやりとした畳が心地よい。
 見上げた柿渋色の天井。ぶら下がる古いペンダント式の電灯。

(疲れたぁ……)
 夏休みで怠け切った体に早朝の移動はえた。緊張から解放され、小腹も満たされてまぶたも重くなる。
 細く息を吐いて、額に腕を乗せたまま目を伏せた。
 聞こえてくるのは雨音のような蝉の声。生ぬるい風が開けたままの窓から忍び込んでくる。妙に心が落ちつく気がする。

(……田舎に来たって感じよね)
 ほんの少し休憩する――つもりだった。
 いつの間にかねっとりとした闇に意識を飲み込まれていた。
 いくつか夢を見ていたような気がする。懐かしいのに思い出せない。
 意識は浮上しようとするが身体が泥のように重い。四肢に絡みつくまどろみが深淵に引きずり込もうとするかのよう。

 カサ……サッ。

 聞こえた物音にそれを振り解いて意識を引き上げた。
 まぶたをこじ開け、飛び込んできた光の洪水に眉根を寄せて唸る。
 無理やり瞬きをくりかえして、明るさに慣れた目に映ったのは畳に伸びた茜色。遠く聞こえるのは少し切ないヒグラシの声。

(あ……えぇっ?)
 どうしてここにいるのか分からなくて目をしばたたかせた。
 漆喰の白壁に柿渋色の柱。刹那。途切れた記憶がつながった。
(正太郎の旅館、っていうか家……驚いて損したわ)

 ガサガサ……ッ。

 畳の上で寝ころんだままの背中側で揺れる気配。
 そっと首を巡らせ確認する。
(……子供?)

 文机の前で膝立ちする小さな背中。
 なにかに夢中になっているらしく気づく様子はない。顔は見えないが年齢は五、六歳ぐらい。水色のワンピースの肩で柔らかな弧を描く茶色い巻き毛。
 ハーフアップを彩る赤いリボン。少し歪んだそれが動きに合わせて揺れる。
 探し物でもしているのだろうか。机に向かって身をかがめたり、伸ばしたり。小首をかしげる姿は可愛らしい。

(小さな子供がどうして?)
 のろのろと体を起こして口元をぬぐった。頬にはしっかり畳の跡。
 少しぼやけた視界で周囲を見回す。
 ぼんやりと眺めていた。が、それに気づいて悠長に構えてはいられなくなった。手にあるのは――菜月のメガネ。

「――こら!」

 乱暴に扱われて壊されては困ると、誰何すいかの前に制止の声を投げかけた。

「それは大事なものなの、悪戯いたずらしちゃダメよ」

 ゆっくりと振り返ったのはくるりと大きな目の女の子。
 慌ててメガネを机にぽいと放り出して菜月の横をすり抜け、部屋を出て行ってしまう。

「――――!」

 あわてて机の上に放り出されたメガネを拾い、無事を確認する。
 身に着けてクリアになった視界で目を吊り上げた。

「ちょっ……こらぁっ!」

 慌てて襖を廊下に出たが、とっくに逃げ出して跡形もない。
 口の端を下げて鼻息荒く吼えた。

「もうっ、どこに行ったのっ?」

 当然だが返事はない。代わりに近づいてくる二人分の足音。

「菜月さん?」
「どうした?」

 びっくりした顔のタキさんと正太郎。
 襖に手を掛けたまま仁王立ちの菜月に二人揃って目を丸くしている。

「女の子! わたしのメガネで遊んでたの!」
「……女の子?」

 どちらからともなく同じ言葉をつぶやいて互いの顔を見合わせる。
(あれ?)
 違和感。眉根を寄せて視線を彷徨わせた。
(襖を開けた?)
 あわてて逃げ出した女の子が閉めて行くだろうか。

悪戯いたずらして逃げて……?」

 平仄ひょうそくが合わない。菜月のすぼむ声に揃って困り顔になる。

「|正太郎の子だと思ったんだけど……?」

 寝ぼけていたのだろうか。でも、メガネが落ちていたのは事実で――?
(わけが分からない)

「とうとう姿を現したか」

 正太郎はつぶやいて肩をすくめ、タキさんは軽く眉根を寄せる。

懸想けそうする相手もいないのに子供は無理ですね。正太郎が良いのは顔だけですから。愛想も要領も悪いし。仮に相手がいたとしてもコトを成せるほど器用じゃございません」
「……タキさん、なにげに毒が」
「つける薬があれば毒でも喜んで。タキは憂いているんですよ。言い寄ってくるのはアノ河野ではみさき旅館の後継ぎはカッパですか? くれぐれも人型ひとがたになさってくださいませ。この際、菜月さんを養子に――」

 本気で話を進められてしまいそうで真顔で正太郎が遮った。

「菜月は姉さんの子ですよ。そんなことをしたら怒ります。それに残念ながらじゃない。どうせ、悪さをしたのは付喪つくもでしょう」
「正太郎の子供じゃないの?」
「――ナニを聞いていた?」

 八つ当たり気味にじっとりと睨まれた。
「寝ぼけてたのかな……」

 袖の中で腕組みしながら、なにがあったと神妙な顔で問うてくる。
 メガネが無くてぼんやりとしか見えなかったが、水色のワンピースを着た女の子。髪の毛の印象など覚えていることを伝えると眉根が寄る。
 なまじ整っているので怒られているようで怖い。

「なにか変わったところは?」
「ない。普通の格好よ」

 タキさんが特大の溜息を落とした。

「その子に見覚えは?」
「ない」

 幼い子供に知り合いなどいるわけがない。

「菜月はあの姿を初めて見るのか。……我慢できなかったんだろうな」
「きちんと説明なさってください。菜月さんがかわいそうです」

 タキさんに諫められて、腕を解いてこめかみをかいた。
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