あやかしびより 境界のトンボとあやかしたち

大月 けい

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おいでませ、みさき旅館 3

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 菜月は荷物をほっぽってヌイグルミを抱えて居間に舞い戻った。

「タキさん、裁縫道具ってある?」
「ボタンでも取れましたか?」
「――菜月?」

 かみ合わない疑問符だらけの会話に明らかに違う問いが一つ。
 半分溶けかかったように座卓に突っ伏し――かろうじて座っている男。

「――――!」

 落ち着いた藍色の和服を着てだらしなく座卓に乗せた尖った顎。
 青っちろい顔はお世辞にも健康的とは言い難い。
 一つに束ねた緩く波打つ髪は乱れて疲労感が漂う。
 その姿は――ほぼ六年ぶり。記憶とほとんど変わらない。

「……相変わらずね、」  
「菜月。そのオジさんって呼ぶのは勘弁してほしいんだけどなぁ。こう見えても気分は若いつもりなんだわ。せめてアキツか正太郎のどちらかにして」
「もう少し、身なりを整えたらそう呼んであげる。正太郎叔父さん」

 上目遣でぼそぼそと文句をたれる正太郎に笑顔で応じる。
 よほど「オジサン」と呼ばれることが不本意なのだろう、鼻をならして湯呑を取り上げた。

「名前で呼べ。昨日の晩から寝る間もないほど忙しかったんだ」

 一口飲んでしぶしぶと手櫛でおくれ毛を整える。
 目元にうっすら隈が浮いている。忙しいというのも嘘ではなさそうだ。
 いささかだらしないが彼がみさき旅館の主で菜月の叔父、勝間正太郎。
 年齢は三十代後半。
 整った顔立ちだが今は浜に打ち上げられたクラゲ状態。
(昨日から徹夜だとか言ってたけど、なにをやってたんだろ?)

「宿のお客さんは帰ったんでしょ?」
「まあね。けど明後日には帰ってくるからまた忙しくなる」

 ふうんと気のない返事をしてヌイグルミを正太郎の鼻先につきつけた。

「っていうか、これ、ナニ?」
「……熊のヌイグルミだな」

 ヌイグルミを押し戻し、再び湯呑を取り上げると面倒くさそうに視線を上げた。
 そんなことは分かっている。
 質問を間違えた。

「そうじゃなくて、なんで部屋にあるの? もう小さな子供じゃないわよ」
「でも、相変わらずチビだぞ」

 茶を啜りながら菜月の地雷を踏んで胸から頭の上に視線を滑らせる。
 確かにあちこち足りなくてチビの自覚はあるが――そんなことを聞きたいわけではない。

「部屋に置いてあったんだけど。正太郎が置いたんでしょ?」

 一人寝のできない子供じゃないと口を尖らせると、知らんと返事。
 ひらひらと手を振って裁縫道具を手に戻ったタキさんを呼び止める。

「タキさんが置いたんじゃないのか?」

 ところがこちらも否と首を振る。どうやら二人揃って覚えがないらしい。

が菜月のところにあったのか……」

 細い顎をつまんで懐かしい物を見るように目を眇めてしんみりとつぶやいた。
 意味が分からない。

「机の上に置いてあった。大事なモノならちゃんと管理しなさいよ。腕が取れかけて綿が飛び出て……可哀想じゃないの」

 示したのはヌイグルミの右肩。
 縫い目が緩んで綿が飛び出している。

「そりゃ無理だ。裁縫は苦手だし、タキさんも宿の仕事で忙しい。そうだ、菜月が修理しろ」

(裁縫以外にも苦手なことばかりのような気がする)
 涼しい顔で茶を啜る正太郎をにらんで修理をはじめた。
 どうやら生地が傷んでいるらしいが修理はそれほど難しくはない。
 飛び出た綿を押し込んで目立たぬように丁寧に糸を渡して縫い留めた。

「へぇ。菜月は器用だな」
「このくらい普通でしょ。正太郎が不器用なだけよ」
「人には向き不向きがあるものだ。俺はこういうタイプの仕事は苦手だ」

 どんな仕事なら得意なのだろうという疑問は飲み込んだ。
 あっという間に縫い終えて糸の始末をして針を片付ける。
 くすんだ茶色の熊。
 裸ではなんとなくさみしい。
 少し考えて仏壇の菓子箱からリボンを頂戴することにする。
 首にリボンを結わえる菜月に正太郎はなにか言いたげだが「これなら無駄にならないでしょ?」と得意顔で胸を張った。

「可愛くしてもらってよかったな」

 褒めたのは――テーブルの上のヌイグルミ。
 あやすように頭を撫でる仕草に胸の奥でなにかが爆ぜた。
 菜月が修理をしたのにヌイグルミが褒められている気がするのは解せない。
(……別に、いいんだけどね)

「さあさ、冷たいうちに召し上がってくださいまし」

 透明な葛切りに振りかけられた香ばしい黄粉きなこに自然と頬が緩む。
 たっぷりと黒蜜をかけて頬張ると複雑な気持ちなどどこかへ吹き飛んだ。
 おいしい食べ物はささくれだった心を優しくする。

「うん。おいしい」
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