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境界の町の特別な日 3
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並んで歩くのは田んぼを突っ切る田舎道。
聞こえるのは軽い下駄の音とラブソングを奏でる夏虫の声。
頬を撫でる風は生ぬるく、道端の草を揺らして田んぼを駆け抜けていく。
街灯の乏しい道を提灯の頼りない明かりを揺らしながら歩いている。
「――なんで提灯なの?」
タキさんに渡されてずっと疑問だった。
(夜道を照らすのなら懐中電灯のほうが良さそうなのに)
口を尖らせた菜月に応じたのは河野。
「迷っている蛍に道を教えるためだ」と当然のことのように鼻を鳴らす。
蛍は藪入りで帰って来た魂だと教えてもらったが、意味が分からない。
「毎年、蛍狩りで追い回されて迷子になるやつがいるんだよ」
ほら、と促されて視線を向けた茂みの中から頼りない光が尾を引いて舞う。
「見つけたっ!」
すかさずアカリが駆け寄って、手のひらで包み込むようにして捕まえた。
小さな指の隙間から漏れる黄緑色の光。
まるで呼吸をするように明滅を繰り返す。
「見て、見てっ」
機嫌よく両手を差し伸べるアカリに揃って腰をかがめる。
「こんなところに隠れてちゃ縁日が終わっちまうだろ。付喪、潰すなよ」
目を吊り上げる河野の声は聞こえていないのか――恐らく後者。
アカリは機嫌よく手のひらの中の蛍をのぞき込む。
「そいつもちゃんと連れて行ってやれ」
腰を伸ばして見上げた空には銀の欠片をこぼしたような藍の空。
竹林は黒く塗りつぶされたよう。
下駄を鳴らして田舎道を進むと陽気な祭囃子が聞こえてきた。
「寺についたら蝋燭を吹き消すんだ」
蝋燭を吹き消すという行為に自分の中にある悪いものを吐き出すという意味があるらしい。
うながされて黄泉寺の門をくぐると提灯の蝋燭を吹き消した。
境内には浴衣姿の人の波――白や藍色。柄ものの浴衣も見える。
中には見覚えのある尻尾をつけた子供の姿も見えた。
オレンジ色の灯篭が飾られた狭い参道。
菜月らは人の流れに合わせて歩いている。
並ぶ屋台は黄色い光に照らされた金魚すくい、香ばしいソースの焼きソバやたこ焼き。
菜月とアカリは揃って香ばしい匂いを胸いっぱいに吸い込んで頬を緩めた。
「嬢ちゃん、タコ焼きはいかか?」
白い法被姿の青年に声を掛けられてアカリが目を輝かせて催促するように菜月にすり寄ってくる。
「タコ焼き!」
機嫌よく歩き出そうとした首根っこを河野がぐっと捕まえた。
「こら、お前は手が空いてねぇだろ。寺にお札を納めるのが先だ」
確かに――手のひらに蛍を閉じ込めたままではなにも食べられない。
参道のつきあたりにあるのが黄泉寺の本堂。
前庭に置かれた大きな香炉からはもうもうと白い煙が上がっている。
その勢いはまるで火事かたき火だ。
「ちょっと煙が多すぎない?」
「悪い鬼が寄り付かねぇように香を焚いてるんだ。葬式の線香みたいなもんだ」
この薬くさい匂いに覚えがある。竹林で嗅いだ嫌な臭いと同じ。
「アカリはこの匂いキライ」
「お前は憑き物だから仕方ねぇ。小滝のじじいにお祓いされねぇように気を付けろよ」
怯えた顔でアカリが菜月の後ろに隠れた。
「ほう、変わった気配があると思ったら……蛍を連れて来てくれたんかい。ご苦労さん」
赤い着物を着た禿頭の骨董品のようなお爺さん。
アカリが差し出した蛍を受け取って皺くちゃの顔をくしゃくしゃにするようにして笑う。
(なんで赤い着物?)
「黄泉寺の管理をしてる小滝のじじい――子泣きじじいだ」
菜月と目が合うと人懐っこそうに笑う。よく分からないまま慌ててお辞儀をした。
連れ立って進んだ境内の奥――竹林に囲まれたほんの少し開けた空間――に輪を作って踊る盆踊りの輪があった。そこに浴衣姿の信楽のオバちゃんも。
白や藍色の浴衣の男女が手を上げたり手拍子したりしながら楽しそうに踊っている。
「九十九町の盆踊りは藪入りで帰った霊と一緒に楽しむために踊るんだとさ」
老若男女、生死を問わずに一緒に踊る姿は楽しそうだ。
「――あらぁ、河野ちゃん。ついに彼女ができたの?」
後ろからかけられた明るい声に驚いて振り返った。
黒髪を結い上げた白い着物の女性――その顔に覚えがあった。
竹林の中で出会った女性。
菜月の顔を見て懐かしいものを見るように表情を緩めた。
「――――菜月?」
長すぎる沈黙を挟んで、名前を呼ばれた。
(あの時の――!)
会った時どんな顔をしようと鏡を相手に百面相をしていたのだが――そんなことは全部忘れた。
菜月がなにかを言う前に――抱き寄せられていた。
頬に感じるのは冷たい絹の感触。
目を伏せて吸い込んだ空気に柔らかな百合の匂い――懐かしい匂い。
「会いたかった」
長すぎる沈黙の後に聞こえたのは――――ため息のような声。
ほんのひととき、周囲の音が遠ざかったような気がした。
「千珠、菜月が潰れちまうぞ」
河野のあきれたような声に慌てて菜月を解放して目を細める。
「五年……六年ぶりかしら。すっかり大きくなって」
嬉しそうな千珠に駆け寄ろうとしたアカリを後ろから河野がつかんだ。
アカリの首根っこをつかんだまま引きずって人ごみに消える。
些細な気づかいがうれしい。
「美人さんだから河野ちゃんの彼女かと思っちゃったわ」
「――――お母さん」
長すぎる沈黙を挟んで呼びかけた。小首を傾げるようにして顔をのぞき込む。
頬を緩めて「こんなに大きくなったらもうおんぶはできないわね」と嬉しそうにつぶやいた。
「聞きたいことがあるの」
問いかけながら、わずかに声が震えた。
(――お父さんのこと、実際はどう思っているんだろう)
返事は意外だった。
「良かったと思ってるわよ。菜月も仲良くできてるみたいだし――なにより一人でお父さんを待たなくてよくなったんだもの」
すっと心のスキマを撫でられて菜月は困ったような顔になる。
茜色に満たされた静かな部屋――寂しいと感じたことがなかったわけではない。
気付かないふりをして忙しくすることで誤魔化すことを覚えた。
今は帰宅すれば亜希子さんが迎えてくれる。
最初は嬉しさを戸惑いという感情に置き換えた。
気にかけてもらえるのは嫌じゃないけど――素直になれない。
「お父さんを取られちゃって嫌じゃない?」
「菜月。お父さんはモノじゃないの。取ったり取られたりするものじゃないの」
なにかを思い出したのか母は眉根を寄せて少し痛そうな顔になる。
「だってお父さんになにかがあったら――菜月は独りぼっちになっちゃうじゃない」
それは言わずもがな。
父も仕事が忙しくて親戚づきあいもあまりない。
正太郎と会うのも久しぶりだった。
「……そういう、意味だったの?」
「当たり前でしょ。菜月が幸せで笑っていてくれればお母さんもうれしいの」
着物袖を口元に当てて鈴の鳴るような声で笑う。
「お父さんが選んだ人だもん。きっと私に似てる自信があるわ」
意外とあっさりしていた。そしてもう一つの疑問。
「私もウブメになるの?」
決められた運命なのだろうか――母も祖母もそうだったのなら。
「――ならないわよ。ウブメは私で終わり」
低く響いた時を告げる鐘の音。潜んでいた蛍が舞い上がる。
「もう行かなきゃ」
頬を包む冷たい手のひら。屈むようにして菜月と額を合わせた。
「行くってどこに?」
あの世へ帰るではないのか?
「お母さんね、とてもラッキーなの。……そろそろ順番が回ってきそうでね」
蛍が空に向かって飛び立つ――光の滝が逆流するよう。
母の笑顔も黄色い光に包まれた。
「菜月、元気でね」
それは夢のような時間だった。
まばゆさに目を眇めた菜月に甘い百合の香りを残して――消えた。
「ちゃんと行ったか?」
少し離れた場所から声を掛けてきたのは河野だ。
慌てて目元をぬぐう。
気づけば盆踊りの輪から白い着物の人たちも消えている。
「……順番って、なに?」
「そりゃ輪廻の順番に決まってんだろ。千珠は愛想もいいしクジ運もいいからなぁ」
河野がつぶやいて空を仰いだ。
つられるように見上げた藍色の空――銀の粉をまき散らしたような星空で西の方角に向かって星が流れた。
「――また会える?」
「いや。出会ったとしてもきっと分からん」
「菜月の幸せそうな姿を見届けたかったんだろ」
空を見上げたまま、河野が独り言のようにつぶやいた。
「――――」
歪んだ視線を地面に落とした――が。
「菜月っ」
赤い兵児帯を揺らした塊が菜月を押し倒すように飛びついてきたのだ。
すぐにアカリだと気づいたが――全力アタックは思ったよりパワーがあってよろめいて河野にのしかかった。
「こら、付喪っ! 危ねぇだろっ!」
慌てて菜月を両手で抱き取って吼える。
思ったより力強い腕に鼓動が跳ね上がったのは言わないでおく。
「アカリは菜月とずっと一緒にいるよ。寂しくないでしょ?」
柔らかな頬にソースを付けた屈託のない笑顔。
「ソース、着いてる!」
涙を悟られたくなくてソースをこすり取るようにアカリの頬を指先でなぞるとくすぐったそうに笑う。
「うるさい付喪がいたって鬱陶しいだけだろ」
「スケベなカッパよりマシだもん!」
「なんだとポリエステル?」
「ふんだ、大人のくせにアカリが可愛いからって焼きもち焼いてるんだ~。カッコ悪い~」
特大のあっかんべーを残して逃げ出したアカリを河野が目を吊り上げて追いかける。
なにも変わらないやり取りに――涙も引っ込んだ。
「こら待て、付喪っ!」
「菜月、早く行かないと焼きそば売り切れちゃうよ!」
手招きするアカリの賑やかな声に菜月の頬が緩んだ。
並んで歩くのは田んぼを突っ切る田舎道。
聞こえるのは軽い下駄の音とラブソングを奏でる夏虫の声。
頬を撫でる風は生ぬるく、道端の草を揺らして田んぼを駆け抜けていく。
街灯の乏しい道を提灯の頼りない明かりを揺らしながら歩いている。
「――なんで提灯なの?」
タキさんに渡されてずっと疑問だった。
(夜道を照らすのなら懐中電灯のほうが良さそうなのに)
口を尖らせた菜月に応じたのは河野。
「迷っている蛍に道を教えるためだ」と当然のことのように鼻を鳴らす。
蛍は藪入りで帰って来た魂だと教えてもらったが、意味が分からない。
「毎年、蛍狩りで追い回されて迷子になるやつがいるんだよ」
ほら、と促されて視線を向けた茂みの中から頼りない光が尾を引いて舞う。
「見つけたっ!」
すかさずアカリが駆け寄って、手のひらで包み込むようにして捕まえた。
小さな指の隙間から漏れる黄緑色の光。
まるで呼吸をするように明滅を繰り返す。
「見て、見てっ」
機嫌よく両手を差し伸べるアカリに揃って腰をかがめる。
「こんなところに隠れてちゃ縁日が終わっちまうだろ。付喪、潰すなよ」
目を吊り上げる河野の声は聞こえていないのか――恐らく後者。
アカリは機嫌よく手のひらの中の蛍をのぞき込む。
「そいつもちゃんと連れて行ってやれ」
腰を伸ばして見上げた空には銀の欠片をこぼしたような藍の空。
竹林は黒く塗りつぶされたよう。
下駄を鳴らして田舎道を進むと陽気な祭囃子が聞こえてきた。
「寺についたら蝋燭を吹き消すんだ」
蝋燭を吹き消すという行為に自分の中にある悪いものを吐き出すという意味があるらしい。
うながされて黄泉寺の門をくぐると提灯の蝋燭を吹き消した。
境内には浴衣姿の人の波――白や藍色。柄ものの浴衣も見える。
中には見覚えのある尻尾をつけた子供の姿も見えた。
オレンジ色の灯篭が飾られた狭い参道。
菜月らは人の流れに合わせて歩いている。
並ぶ屋台は黄色い光に照らされた金魚すくい、香ばしいソースの焼きソバやたこ焼き。
菜月とアカリは揃って香ばしい匂いを胸いっぱいに吸い込んで頬を緩めた。
「嬢ちゃん、タコ焼きはいかか?」
白い法被姿の青年に声を掛けられてアカリが目を輝かせて催促するように菜月にすり寄ってくる。
「タコ焼き!」
機嫌よく歩き出そうとした首根っこを河野がぐっと捕まえた。
「こら、お前は手が空いてねぇだろ。寺にお札を納めるのが先だ」
確かに――手のひらに蛍を閉じ込めたままではなにも食べられない。
参道のつきあたりにあるのが黄泉寺の本堂。
前庭に置かれた大きな香炉からはもうもうと白い煙が上がっている。
その勢いはまるで火事かたき火だ。
「ちょっと煙が多すぎない?」
「悪い鬼が寄り付かねぇように香を焚いてるんだ。葬式の線香みたいなもんだ」
この薬くさい匂いに覚えがある。竹林で嗅いだ嫌な臭いと同じ。
「アカリはこの匂いキライ」
「お前は憑き物だから仕方ねぇ。小滝のじじいにお祓いされねぇように気を付けろよ」
怯えた顔でアカリが菜月の後ろに隠れた。
「ほう、変わった気配があると思ったら……蛍を連れて来てくれたんかい。ご苦労さん」
赤い着物を着た禿頭の骨董品のようなお爺さん。
アカリが差し出した蛍を受け取って皺くちゃの顔をくしゃくしゃにするようにして笑う。
(なんで赤い着物?)
「黄泉寺の管理をしてる小滝のじじい――子泣きじじいだ」
菜月と目が合うと人懐っこそうに笑う。よく分からないまま慌ててお辞儀をした。
連れ立って進んだ境内の奥――竹林に囲まれたほんの少し開けた空間――に輪を作って踊る盆踊りの輪があった。そこに浴衣姿の信楽のオバちゃんも。
白や藍色の浴衣の男女が手を上げたり手拍子したりしながら楽しそうに踊っている。
「九十九町の盆踊りは藪入りで帰った霊と一緒に楽しむために踊るんだとさ」
老若男女、生死を問わずに一緒に踊る姿は楽しそうだ。
「――あらぁ、河野ちゃん。ついに彼女ができたの?」
後ろからかけられた明るい声に驚いて振り返った。
黒髪を結い上げた白い着物の女性――その顔に覚えがあった。
竹林の中で出会った女性。
菜月の顔を見て懐かしいものを見るように表情を緩めた。
「――――菜月?」
長すぎる沈黙を挟んで、名前を呼ばれた。
(あの時の――!)
会った時どんな顔をしようと鏡を相手に百面相をしていたのだが――そんなことは全部忘れた。
菜月がなにかを言う前に――抱き寄せられていた。
頬に感じるのは冷たい絹の感触。
目を伏せて吸い込んだ空気に柔らかな百合の匂い――懐かしい匂い。
「会いたかった」
長すぎる沈黙の後に聞こえたのは――――ため息のような声。
ほんのひととき、周囲の音が遠ざかったような気がした。
「千珠、菜月が潰れちまうぞ」
河野のあきれたような声に慌てて菜月を解放して目を細める。
「五年……六年ぶりかしら。すっかり大きくなって」
嬉しそうな千珠に駆け寄ろうとしたアカリを後ろから河野がつかんだ。
アカリの首根っこをつかんだまま引きずって人ごみに消える。
些細な気づかいがうれしい。
「美人さんだから河野ちゃんの彼女かと思っちゃったわ」
「――――お母さん」
長すぎる沈黙を挟んで呼びかけた。小首を傾げるようにして顔をのぞき込む。
頬を緩めて「こんなに大きくなったらもうおんぶはできないわね」と嬉しそうにつぶやいた。
「聞きたいことがあるの」
問いかけながら、わずかに声が震えた。
(――お父さんのこと、実際はどう思っているんだろう)
返事は意外だった。
「良かったと思ってるわよ。菜月も仲良くできてるみたいだし――なにより一人でお父さんを待たなくてよくなったんだもの」
すっと心のスキマを撫でられて菜月は困ったような顔になる。
茜色に満たされた静かな部屋――寂しいと感じたことがなかったわけではない。
気付かないふりをして忙しくすることで誤魔化すことを覚えた。
今は帰宅すれば亜希子さんが迎えてくれる。
最初は嬉しさを戸惑いという感情に置き換えた。
気にかけてもらえるのは嫌じゃないけど――素直になれない。
「お父さんを取られちゃって嫌じゃない?」
「菜月。お父さんはモノじゃないの。取ったり取られたりするものじゃないの」
なにかを思い出したのか母は眉根を寄せて少し痛そうな顔になる。
「だってお父さんになにかがあったら――菜月は独りぼっちになっちゃうじゃない」
それは言わずもがな。
父も仕事が忙しくて親戚づきあいもあまりない。
正太郎と会うのも久しぶりだった。
「……そういう、意味だったの?」
「当たり前でしょ。菜月が幸せで笑っていてくれればお母さんもうれしいの」
着物袖を口元に当てて鈴の鳴るような声で笑う。
「お父さんが選んだ人だもん。きっと私に似てる自信があるわ」
意外とあっさりしていた。そしてもう一つの疑問。
「私もウブメになるの?」
決められた運命なのだろうか――母も祖母もそうだったのなら。
「――ならないわよ。ウブメは私で終わり」
低く響いた時を告げる鐘の音。潜んでいた蛍が舞い上がる。
「もう行かなきゃ」
頬を包む冷たい手のひら。屈むようにして菜月と額を合わせた。
「行くってどこに?」
あの世へ帰るではないのか?
「お母さんね、とてもラッキーなの。……そろそろ順番が回ってきそうでね」
蛍が空に向かって飛び立つ――光の滝が逆流するよう。
母の笑顔も黄色い光に包まれた。
「菜月、元気でね」
それは夢のような時間だった。
まばゆさに目を眇めた菜月に甘い百合の香りを残して――消えた。
「ちゃんと行ったか?」
少し離れた場所から声を掛けてきたのは河野だ。
慌てて目元をぬぐう。
気づけば盆踊りの輪から白い着物の人たちも消えている。
「……順番って、なに?」
「そりゃ輪廻の順番に決まってんだろ。千珠は愛想もいいしクジ運もいいからなぁ」
河野がつぶやいて空を仰いだ。
つられるように見上げた藍色の空――銀の粉をまき散らしたような星空で西の方角に向かって星が流れた。
「――また会える?」
「いや。出会ったとしてもきっと分からん」
「菜月の幸せそうな姿を見届けたかったんだろ」
空を見上げたまま、河野が独り言のようにつぶやいた。
「――――」
歪んだ視線を地面に落とした――が。
「菜月っ」
赤い兵児帯を揺らした塊が菜月を押し倒すように飛びついてきたのだ。
すぐにアカリだと気づいたが――全力アタックは思ったよりパワーがあってよろめいて河野にのしかかった。
「こら、付喪っ! 危ねぇだろっ!」
慌てて菜月を両手で抱き取って吼える。
思ったより力強い腕に鼓動が跳ね上がったのは言わないでおく。
「アカリは菜月とずっと一緒にいるよ。寂しくないでしょ?」
柔らかな頬にソースを付けた屈託のない笑顔。
「ソース、着いてる!」
涙を悟られたくなくてソースをこすり取るようにアカリの頬を指先でなぞるとくすぐったそうに笑う。
「うるさい付喪がいたって鬱陶しいだけだろ」
「スケベなカッパよりマシだもん!」
「なんだとポリエステル?」
「ふんだ、大人のくせにアカリが可愛いからって焼きもち焼いてるんだ~。カッコ悪い~」
特大のあっかんべーを残して逃げ出したアカリを河野が目を吊り上げて追いかける。
なにも変わらないやり取りに――涙も引っ込んだ。
「こら待て、付喪っ!」
「菜月、早く行かないと焼きそば売り切れちゃうよ!」
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