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今、僕のまわりにはたくさんの犬がいる
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僕は犬が苦手だ。
嫌いなのではない、苦手なのだ。
きっと、幼い頃に犬に手を噛まれたからだと思う。
子供の好奇心というやつで、近所で飼われていた犬に触ろうと手を伸ばした瞬間、ものすごい勢いで噛まれたのだ。
じゃれていたとか、そんな生易しいものではない。
明らかな敵意を持ってやつは僕の手を噛み、そして吠えた。
今でも、その痕は残っている。
それ以来僕は犬が苦手になった。
噛む、そして吠える。
そのイメージが完全に頭に刷り込まれてしまった。
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、中学生の頃に父が子犬を一匹我が家に連れてきた。
ゴールデンレトリバーの子供だ。
友人からもらいうけたのだそうだ。
母も姉も、これでもかというほど顔を緩ませて奪い合った。
当然、僕は反発した。
「何考えてんだよ、どっかやってよ!」
そんな言葉も叫んだかもしれない。
もう10年以上も前の出来事なので、その辺りの記憶はあやふやだ。
ただ、僕の想いは届くことなくゴールデンレトリバーの子供は我が家の一員となった。
最初は「クゥン、クゥン」と夜な夜な物悲しそうに鳴くものだから、家族みんなで寄り添って寝てあげることがあった。ただ一人、僕だけは自室で布団にくるまって不貞腐れながら寝ていた。我が家での僕の立場はまさに犬以下だった。
父さんも母さんも姉さんも、僕より犬のほうが大事なのだ。そう思った。
それが如実に感じられたのが朝だった。
朝起きてリビングに行くと、家族みんながゴールデンレトリバーの子犬と添い寝しているのだ。
子犬は子犬で、何食わぬ顔で眠っている。その姿に無性に腹が立った。
「このクソ犬が」
そのまま首根っこをつかんで、外に放り出してしまいたかった。でも、子犬ですら僕は触れなかった。
それほどまでに僕は犬が苦手だったのである。
家族みんなで寝ている姿を遠巻きに眺めながら、思った。
この家に、僕の居場所はない。
それからは、一日の大半を祖母の家で過ごした。
我が家からはたいして離れてないので、多少遅くなっても平気だった。たまにお菓子もくれるし、夕飯もごちそうしてくれる。なにより犬がいない。最高の環境だった。
「僕、ばあちゃんの家に住もうかな」
冗談めかしてそんなことを言ったこともある。
祖母は笑いながら
「じゃあ、引っ越しの手続きしないとねえ」
と言っていた。
もちろん、父が許可しなかったが。
それから数年、今度は祖母が犬を飼いだした。
僕が犬が苦手なのを知っているのに、なんで? と思った。
祖母は言う。
「たっくんが毎日来てくれるのは嬉しいんだけど、たっくんが家に帰って1人になると、たまらなく寂しくなってねぇ」
祖母は一人暮らしだ。祖父は僕が小さい頃に他界している。
その言葉に僕は気がついた。
もしかしたら、僕がしていたのは祖母の寂しさを助長するだけだったのかもしれないと。
僕のひとりよがりが、祖母をさらに寂しい気持ちにさせていたのではと。
「ほら、かわいいでしょう? 抱いてごらん」
祖母はそう言って、柴犬の子供を無理やり僕の胸に押し付けてきた。
「え、あ、ちょ……」
慌てふためきながら、僕は柴犬の子供を受け取った。
落とさないように、慌てて両腕で抱きかかえる。
柴犬の子供は震えていた。
プルプル、プルプルとまるで怯えているかのように震えていた。
腕の中で、顔をあげて僕を見つめるその黒い瞳が、僕の心を「きゅん」と締め付けた。
これが、今まで僕が苦手だった動物なのか。
噛む。
吠える。
そんな印象など微塵も感じられない、愛しさが感じられた。
気がつくと、僕はその柴犬の頭をなでていた。胸の中で抱きかかえながら、優しくなでていた。
「かわいいね」
そう言うと祖母はニッコリと笑っていた。
その夜、僕は寝静まった我が家に帰ると初めて自分の家のゴールデンレトリバーに近づいた。
この家に来てからもう数年。中学生だった僕がまだ19歳の未成年大学生であるのに比べ、この家の犬はもう十分大人だった。大きな身体を床に伏せ、べたぁ、と顔をうずくまらせながら静かに眠っている。
僕はゆっくりと近づきそっと手を差し伸べると、そいつはピクリと反応し顔を上げた。
「……!!」
ビクッとして手を止める。
そのゴールデンレトリバーは顔を上げたまま、微動だにせず僕を見つめていた。
僕もどうしていいかわからず、固まっている。
しばらく、お互い見つめ合っていた。
どうしよう、どうすればいい?
手を差し伸べたまま凍り付いていると、そいつがクイと鼻を寄せてきた。
「……?」
なんだ。
なにがしたいんだ。
クンクンと匂いを嗅ぎながら、さらに僕の顔を見上げる。
僕はよくわからないまま、その鼻の頭に手を伸ばした。
噛まれたらどうしよう。
一瞬、その恐怖が僕を包んだが、気が付けば僕の手はゴールデンレトリバーの鼻の上に置かれていた。
「………」
そいつは、何もしてこなかった。
僕が差し伸べた手を、黙って受け入れていた。
なんでだろう。
どうしてだろう。
僕は思った。
なんで、今までこいつを毛嫌いしてたのだろう。
鼻の頭をさすっているうちに、だんだんと苦手意識がなくなってきた。
むしろ、なんでこれほどまでに苦手だったのかわからなかった。
「ブシッ」
さすり続けていると、突然ゴールデンレトリバーがくしゃみをした。僕が触り続けてたせいで、鼻がむずがゆかったのだろう。
犬もくしゃみするんだ。
そう思ったと同時に、その姿があまりにも面白くて僕は笑った。心から笑った。
笑う僕の頬を、そいつは舌を出してペロリと舐めた。
それからさらに月日が流れた現在。
今、僕のまわりにはたくさんの犬がいる。
獣医師になるため大学を辞め、1から勉強をし直したのだ。
今は動物病院で駆け出しの獣医師として働かせてもらっている。
噛む。
吠える。
それはこの動物病院で働かせてもらってから何度も経験しているが、僕は知ってしまった。
「犬はそれ以上に愛くるしい」
彼らの命を救えるのであれば、僕はどんなことをされても平気だった。
犬に対する苦手意識。
それはもうどこかへ行ってしまった。
嫌いなのではない、苦手なのだ。
きっと、幼い頃に犬に手を噛まれたからだと思う。
子供の好奇心というやつで、近所で飼われていた犬に触ろうと手を伸ばした瞬間、ものすごい勢いで噛まれたのだ。
じゃれていたとか、そんな生易しいものではない。
明らかな敵意を持ってやつは僕の手を噛み、そして吠えた。
今でも、その痕は残っている。
それ以来僕は犬が苦手になった。
噛む、そして吠える。
そのイメージが完全に頭に刷り込まれてしまった。
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、中学生の頃に父が子犬を一匹我が家に連れてきた。
ゴールデンレトリバーの子供だ。
友人からもらいうけたのだそうだ。
母も姉も、これでもかというほど顔を緩ませて奪い合った。
当然、僕は反発した。
「何考えてんだよ、どっかやってよ!」
そんな言葉も叫んだかもしれない。
もう10年以上も前の出来事なので、その辺りの記憶はあやふやだ。
ただ、僕の想いは届くことなくゴールデンレトリバーの子供は我が家の一員となった。
最初は「クゥン、クゥン」と夜な夜な物悲しそうに鳴くものだから、家族みんなで寄り添って寝てあげることがあった。ただ一人、僕だけは自室で布団にくるまって不貞腐れながら寝ていた。我が家での僕の立場はまさに犬以下だった。
父さんも母さんも姉さんも、僕より犬のほうが大事なのだ。そう思った。
それが如実に感じられたのが朝だった。
朝起きてリビングに行くと、家族みんながゴールデンレトリバーの子犬と添い寝しているのだ。
子犬は子犬で、何食わぬ顔で眠っている。その姿に無性に腹が立った。
「このクソ犬が」
そのまま首根っこをつかんで、外に放り出してしまいたかった。でも、子犬ですら僕は触れなかった。
それほどまでに僕は犬が苦手だったのである。
家族みんなで寝ている姿を遠巻きに眺めながら、思った。
この家に、僕の居場所はない。
それからは、一日の大半を祖母の家で過ごした。
我が家からはたいして離れてないので、多少遅くなっても平気だった。たまにお菓子もくれるし、夕飯もごちそうしてくれる。なにより犬がいない。最高の環境だった。
「僕、ばあちゃんの家に住もうかな」
冗談めかしてそんなことを言ったこともある。
祖母は笑いながら
「じゃあ、引っ越しの手続きしないとねえ」
と言っていた。
もちろん、父が許可しなかったが。
それから数年、今度は祖母が犬を飼いだした。
僕が犬が苦手なのを知っているのに、なんで? と思った。
祖母は言う。
「たっくんが毎日来てくれるのは嬉しいんだけど、たっくんが家に帰って1人になると、たまらなく寂しくなってねぇ」
祖母は一人暮らしだ。祖父は僕が小さい頃に他界している。
その言葉に僕は気がついた。
もしかしたら、僕がしていたのは祖母の寂しさを助長するだけだったのかもしれないと。
僕のひとりよがりが、祖母をさらに寂しい気持ちにさせていたのではと。
「ほら、かわいいでしょう? 抱いてごらん」
祖母はそう言って、柴犬の子供を無理やり僕の胸に押し付けてきた。
「え、あ、ちょ……」
慌てふためきながら、僕は柴犬の子供を受け取った。
落とさないように、慌てて両腕で抱きかかえる。
柴犬の子供は震えていた。
プルプル、プルプルとまるで怯えているかのように震えていた。
腕の中で、顔をあげて僕を見つめるその黒い瞳が、僕の心を「きゅん」と締め付けた。
これが、今まで僕が苦手だった動物なのか。
噛む。
吠える。
そんな印象など微塵も感じられない、愛しさが感じられた。
気がつくと、僕はその柴犬の頭をなでていた。胸の中で抱きかかえながら、優しくなでていた。
「かわいいね」
そう言うと祖母はニッコリと笑っていた。
その夜、僕は寝静まった我が家に帰ると初めて自分の家のゴールデンレトリバーに近づいた。
この家に来てからもう数年。中学生だった僕がまだ19歳の未成年大学生であるのに比べ、この家の犬はもう十分大人だった。大きな身体を床に伏せ、べたぁ、と顔をうずくまらせながら静かに眠っている。
僕はゆっくりと近づきそっと手を差し伸べると、そいつはピクリと反応し顔を上げた。
「……!!」
ビクッとして手を止める。
そのゴールデンレトリバーは顔を上げたまま、微動だにせず僕を見つめていた。
僕もどうしていいかわからず、固まっている。
しばらく、お互い見つめ合っていた。
どうしよう、どうすればいい?
手を差し伸べたまま凍り付いていると、そいつがクイと鼻を寄せてきた。
「……?」
なんだ。
なにがしたいんだ。
クンクンと匂いを嗅ぎながら、さらに僕の顔を見上げる。
僕はよくわからないまま、その鼻の頭に手を伸ばした。
噛まれたらどうしよう。
一瞬、その恐怖が僕を包んだが、気が付けば僕の手はゴールデンレトリバーの鼻の上に置かれていた。
「………」
そいつは、何もしてこなかった。
僕が差し伸べた手を、黙って受け入れていた。
なんでだろう。
どうしてだろう。
僕は思った。
なんで、今までこいつを毛嫌いしてたのだろう。
鼻の頭をさすっているうちに、だんだんと苦手意識がなくなってきた。
むしろ、なんでこれほどまでに苦手だったのかわからなかった。
「ブシッ」
さすり続けていると、突然ゴールデンレトリバーがくしゃみをした。僕が触り続けてたせいで、鼻がむずがゆかったのだろう。
犬もくしゃみするんだ。
そう思ったと同時に、その姿があまりにも面白くて僕は笑った。心から笑った。
笑う僕の頬を、そいつは舌を出してペロリと舐めた。
それからさらに月日が流れた現在。
今、僕のまわりにはたくさんの犬がいる。
獣医師になるため大学を辞め、1から勉強をし直したのだ。
今は動物病院で駆け出しの獣医師として働かせてもらっている。
噛む。
吠える。
それはこの動物病院で働かせてもらってから何度も経験しているが、僕は知ってしまった。
「犬はそれ以上に愛くるしい」
彼らの命を救えるのであれば、僕はどんなことをされても平気だった。
犬に対する苦手意識。
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