エングラムプレイ

みゆき

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死喰鳥

死喰鳥④

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 ザァァとタイルを水が跳ねる。簡素なシャワールームは湯気で白んでいた。
 シスターは目をつむってその身を清めていた。シャンプーの泡が髪を滑っていく。手を這わせると地肌に触れた。
 死喰鳥。悲しみを食べるバケモノ。
 石鹸の隣にあの小瓶が置いてある。それを見ながら彼女は深く暗い溜息をついた。
 昼にうたたねしたときに見た夢を引きずっている。悪夢。悲しい、陰鬱な思い出。
 あの鳥のもやのようなものがからだに絡みついているのではと疑うほどに重たかった。引きずられるようにこの場で座り込んでしまったなら、夜が明けるまで立ち上げれないかもしれない。
 つうとしずくが頬を滑った。それはただの湯ではあるが、なんだか無性に心臓が痛い。思い出したくない記憶が勝手にフラッシュバックしては自分の内面を執拗に切りつける。無意識の自傷行為だと思う。
 シャワーのコックをひねって湯を止めた。長い髪からぽたぽたととめどなくしずくが滴る。
 胸の前で手を合わせて彼女は神に祈った。自分の想像に及ばない存在からの救いを、導きを、しずかに望む。
 ……しっかりしないと。
 自らを鼓舞するように、髪を搾り、そして顔を上げた。



 眼前の曇りガラスの向こうにあの白い顔が張り付いていた。



 咄嗟に上げそうになった声を飲み込んで、彼女はシャワールームのドアを開け放つ。そして逃げようとして小瓶の存在を思い出し手を伸ばした。瞬間。
 窓の割れる音。壁の壊れる音。水の吹き出す音。
 そしてそいつの咆哮。
 聴いたことのない割れるような高音は、苦痛を訴えるものであった。なぜなら壁を壊した際にあの小瓶が割れたらしい。銀玉を浴びた死喰鳥は毒に当てられたように首を捩り羽をばたつかせ瘴気を噴きながらもんどり打って、シャワールームに一度突っ込みかけた身体を引き下げて外を転げ回った。
 シスターは手近なタオルを一つ掴むと頭から被って駆け出した。のたうち回る死喰鳥の脇を通り抜け、彼女は無意識に聖堂へ走る。足首に黒いもやが絡み付いたように思われたが振り解くように裸足で土を踏みしめた。
 武器はない。文字通りの丸腰だ。追いつかれたら食われる。
 振り返らなくても態勢を立て直した死喰鳥が迫ってくるのがわかった。なんなんだこのおぞましい気配は。悪意が歓喜している。

 聖堂の扉を開こうとして、そこが施錠されていることを思い出した。
 体当たりした身体が痛い。開かない。いつも親しんでいた扉が恐ろしいものに思われた。
 不意に背後に生暖かいものが走った。
 彼女の手には黒い羽が上から添えられ、彼女の右肩からは白い顔がぬっと並ぶ。中は空洞なのだろうか。そいつが身じろぎするたびに、なにか、ごみのようなものが転がるような音がした。

 怖い。怖い。怖い。

 ガタガタと震える彼女の背を舌がなでる。
 そしてふと、その舌の感触が、まったく別のところに現れた。

 身体じゃない。けれどこいつは、私に触れている。
 ゆっくりと奥深く、不躾に舐め回す。

「……ぁッ」

 思わず背がのけぞった。裸の尻がビクつく。腹を精一杯扉に押し付けて逃げようとするが当然敵わなかった。
 触れられている。彼女の奥に。誰も触れたことのない精神世界に。
 どういう仕組みなのかわからない。ただ、恐ろしさに支配されていた心が、あっと言う間に先ほど噛みしめていた悲しみで満たされていた。

 感情を司る器官をアカシャという。

 先ほど少年から教わったばかりだった。今、まさに、そこを。
 他のことは考えられなかった。彼女は、自身の人生で味わったあまたの悲しみをむりやり呼び起こされて、その身を浸していた。
 ぼろぼろと涙をこぼし、カリカリと短い爪で古びた扉の木を引っかいた。そのときだ。

「いー趣味してんねェ!!」

 空から降って来た黒い影が死喰鳥の脳天に華麗にかかと落としを喰らわせたのだった。
 影は身軽に三回転しながら遠くの地面に着地した。動物じみた動きだった。
 力が抜けて倒れ込むシスターに再び舌が伸びるが、そうはいくかとジオは即座にひとっとびに追いついてそれを蹴り飛ばす。軌道を逸らされた舌は聖堂の石造りの壁を穿った。
 死喰鳥はゆらと立ち上がると、白い顔をかくかくと揺らした。ジオはポケットに手を突っ込んだままにやにやと首を傾げる。

「あー? なに言ってっかわかんねーよ。すっこんでなザコが」

 安い挑発だ。けれども食事の邪魔をされた死喰鳥は怒りのままに、黒い瘴気の立ち込める羽を大きく大きく広げた。
 腹の口ががばと開いて、耳をつんざくような高音で咆哮した。ビリビリと、それだけで衝撃が走る。聖堂にあしらわれていた重たい装飾がその圧に耐え切れずにはがれて宙を舞う。
 ジオの長い髪が遊び、シスターはタオルで頭を抱えてうずくまった。

「────うるさい。深夜だぞ」

 色のない、良く通る声が降った。
 そして一拍遅れて、バンという銃声。死喰鳥の彫刻の面を貫通した弾が乾いた地面に刺さる。
 死喰鳥は表情のない白い顔を空へ向けた。その視線の先には聖堂の屋根の上で銃を構えた少年がいた。
 彼は相変わらず無表情だったが「……俺もだいぶうるさかったな」と、静かな一面に鳴り響いた自らの銃声への反省をこぼしたのだった。
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