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ウィンチェスター
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「リーシュ!ねぇ!リーシュ!」
エルフの少女が、大きな目に涙を滲ませながら叫んだ。
彼女に抱き抱えられている少年からは、ポタリポタリと血が滴り、足元に血溜まりを作っている。
「よくもリーシュを…絶対に許さない!!」
「…喚かずに茂みにでも隠れればいいのに」
草原の真ん中に立つ少女から、六百メートルほど離れた大岩の上。
僕は、ウィンチェスターライフルM2087のスコープ越しに、少女の怒り叫ぶ様を見ていた。
まだ齢よわい十五ほどの幼さの残る顔が、恐怖と憎悪に塗り潰されている。
心が痛まなくもないが、立場を考えると同情するわけにもいかなかった。
「卑怯者!!姿を見せなさいよ!!」
また何か怒鳴っているようだが、この距離では何を言っているかまでは聞き取れない。
僕は一旦スコープから目を離すと、手首の関節を戯れに鳴らした。
「さっさと終わらせるかな」
大きく深呼吸してから、再びライフルを構え直す。
少女の心臓部がレクティルと重なり合った瞬間、僕は躊躇うことなく引き金を落とした。
鋭い爆発音。
少女は目を剥くと、悲鳴を上げる暇もなく倒れ込んだ。
映画のように、苦しみもがいたりはしない。
即死である。
僕はライフルを担ぎ上げると、寝そべっていた岩場から立ち上がった。
本来なら目標を殺害した時点で仕事は終わりだが、今回は違う。
あと一つ、やらねばならないことがあった。
「ま、苦しまずに死ねただけマシかな」
僕は少女らの死体に近づきながら、ポツリと漏らした。
生かして連れて帰れば金貨三百枚、殺して『例のもの』を取り返せば金貨百五十枚。
他の人間ならば、間違いなく殺さない方を選んだだろう。
足でも撃ち抜いて捕獲し連れ帰れば、二倍の報酬を貰えるのだ。
だが、もしも少女らを生かして連れ帰った場合、彼女たちには凄惨な拷問が待っている。
僕も、さすがにそれは後味が悪かった。
「感謝しろとまで言わないが、せめて恨まない欲しいな」
ひとりごちている間に、僕は現場に辿り着いた。
少女は、少年に覆い被さるようにして倒れている。
僕は胸の前で十字架を切ると、少女をどかそうと手を伸ばした。
「っ!?」
息絶えたはずの少女の身体がピクリと動く。
僕は咄嗟に後ろに飛び退くと、腰に差していたナイフに手を伸ばした。
「けほっ…!!」
少女が咳き込みながらむくりと起き上がる。
僕は信じられない思いでそれを見つめていた。
「弾は当たったはず…!」
僕は、すぐに少女の首から何かがぶら下がっていることに気づく。
紋章の刻まれたそれを、彼は知っていた。
「聖教会のアミュレットか。相変わらず何でもありの世界だな」
一回限りだが、アミュレットには着用者に守護の加護を与える効力を持つものが多い。
中でも聖教会のものと言えば、魔法攻撃すら防ぐ最高級品だ。
現にPB ポイントブレットを防いだのだから、その防御力は聞きしに勝るものらしい。
「あなたが…リーシュを殺したのね…」
驚く僕をよそに、少女は立ち上がって憎々しげな視線をぶつけてきた。
リーシュというのは、倒れている少年のことだろう。
僕は死体を一瞥すると、無表情のままため息をつく。
「なんで…なんでリーシュを殺したの!?答えてよ!」
「…僕が殺したのはその子だけじゃない。君と徒党を組んでいた仲間は、既にひとりもこの世にはいないよ」
少女は目を見開き、怒りに拳を強く握り締めた。
「貴様…っ!!」
「それから、理由についてだけれど…」
僕は少年の横に座り込み、腰のポケットを探った。
「汚い手でリーシュに触れないで!」
「あった。これだ」
お目当のものを取り出し、少女に見えるように掲げてみせる。
「これ、何だかわかるよね。と言うか、君も持っているかな」
「…それが何よ」
象牙のようなもので作られている、小さなペンダント。
それは磨き上げられており、美しい光沢を放っている。
これこそが、今回の目的の一つだ。
「まさか、そんなもの奪うために…!」
「奪う、と言うには語弊があるな。僕はこれを取り返しに来たんだよ」
そこまで言っても、少女は依然として理解できないようであった。
つくづく、おめでたい連中だ。
「私たちは、誰からもそれを盗ってなんか…」
「本当に?」
僕は立ち上がると、少女を見据える。
すると彼女は気圧され、一歩後ろに下がった。
「だ、だって、それは自分たちで作ったのよ!エミーシャが、記念にみんなでペンダントを作ろうってーー」
「村の人狼たちを皆殺しにした記念に、か」
「…!」
少女は言葉を失った。
どうやら、やっと飲み込めたらしい。
僕が、人狼たちの復讐代行人として雇われたことに。
「君たちは数ヶ月前の夜、ある人狼の村を襲撃した」
少女は膝から崩れ落ちる。
「あそこには当時、一人だけ隣の人狼集落の子供がいたそうだ。歳はまだ五つだったが…無論、君たちが人狼なんかに情けをかけるはずもない。その子も結局、剣で斬りつけられて死んでしまった」
僕は言葉に感情を込めずに、続ける。
「子供が帰ってこないことを心配に思った集落の長は、隣の村まで探しに行った。すると村には、血まみれで横たわる死体がゴロゴロ。長は必死に我が子を探すが見つからない。もしかして逃げたのでは、と思ったその時ーー」
「やめて!」
「頭蓋骨を切り開かれた我が子を、見つけた」
少女は唇を噛み締めながら震えている。
「唯一まだ息のあった若者が、長に教えてくれたそうだ。奴らは殺戮を終えた後、子供の頭蓋骨で戦利品を作った、と」
事実を知った長は怒り狂い、わざわざ僕を殺し屋として雇った。
それが、事の真相だ。
「わかっただろう?君たちが、一体何の報いを受けることになってしまったのか」
僕はナイフを逆手に持ち、しゃがみこんでいる少女の前に立った。
彼女は殺されることを悟り、必死に後ずさる。
「ま、待ってよ!だってあれは、人狼たちが旅人を襲うからで…!」
「あの村の人狼たちは、他種族との争いを望んでいなかった。農耕で生計を立て、自給自足の生活を送っていた。旅人を襲ったことなど一度もない」
「嘘!あの噛み跡は間違いなく人狼よ!違うって言うなら、他に誰がやったの!?」
「山賊さ。彼らは自分たちの仕業だとばれないように、飼い犬に死体を食わせていた。君たちは、完全に勘違いをしていたんだ」
その言葉に、少女の顔から血の気が引いた。
「う、嘘をつかないで!」
「…信じないならそれでもいい。僕はただ、与えられた仕事をこなすだけだよ」
「ひっ!」
少女はよろけながら立ち上がると、背を向けて走り出した。
さすがは身体能力の高いエルフなだけあって、その姿は瞬く間に小さくなっていく。
「…そうか」
僕はライフルを背中から降ろし、構えた。
新たなマガジンを装着し、スコープを除く。
真っ直ぐに走る少女の背中に照準を合わせるのは、難しいことではなかった。
トリガーにかけた指に力がこもる。
「…」
青い空に、乾いた銃声が吸い込まれていった。
◇◇◇◇◇
「…殺したのか」
銀色の頭髪が目立つ大柄な男は、悲哀を漂わせながらそう確認した。
薄暗い部屋で、蝋燭の炎がゆらりと揺れる。
「はい。予想以上に抵抗されたので、生け捕りは無理だと判断しました」
僕は台の上に、回収したペンダントの入った袋を置く。
男はそれを見ても、喜ぶことも怒ることもしない。
ただ静かに目を閉じ、苦しげに息を漏らすだけだ。
「…悪いが、金はすぐには払えない。集落中を掻き集めても、精々金貨三十枚が限度だ」
わかっている。
もとより、寂れた人狼集落に金貨百五十枚などという大金があるはずがない。
「わかりました。では、そのうちまたここに寄るので、その時都合がつけば支払って下さい」
僕は椅子を引き、荷物を担いで男に背を向ける。
だが、部屋を出ようとしたところで、彼は男に呼び止められた。
「あんた、ここらの人間じゃないよな」
疑念を含んだ問いだ。
だが、別に答えない理由もなかった。
「…出稼ぎに来ているんです。出身はここよりずっと遠くですよ」
「そうか…」
てっきりもっと突っ込まれるものかと思ったが、男は意外にもあっさりと引き退った。
「では、またいずれ」
僕は男から視線を外し、扉に手をかける。
ここで、漫画なんかによくある「殺気」とやらに気付けていればよかったのだが、生憎とハイマにそういう能力はなかった。
次の瞬間、強い衝撃が彼の背中を襲う。
「 ぐっ!」
僕は勢いよく吹き飛ばされ、受け身すら取れず壁に叩きつけられた。
そのまま床に落ち、あまりの痛みに意識が朦朧とする。
逃げなければと思うが、身体が言うことを聞いてくれなかった。
ひょっとしたら骨の一本や二本、イカれてしまったかもしれない。
「やっぱり、人間は許せねぇ。お前らみたいな人間の所為で、俺の娘は…」
男の声は次第に野太くなっていく。
そして彼はうずくまり、低い唸り声を上げ始めた。
頭髪が伸び始め、体中の皮膚から体毛が生えてくる。
「つ…!」
歯を食いしばりながら腕を動かし、ウィンチェスターに弾倉を填めて初弾を薬室に装填する。セミオートライフル故にボルトを引く動作は必要ないが、それでも変身した人狼相手に射撃動作を行う暇はなかった。
「ガアッ!!」
男に腹部を蹴り上げられ、僕は息を詰まらせながら机に激突する。
僕の喉に、胃の残留物がせり上がってきた。
「グアアアアアアア!!」
銀狼は咆哮し、ギラついた黄色い目を僕に向ける。
こうなってしまうと、純粋な身体能力で人間に勝ち目はない。
「…くそ」
僕は口元を拭い、息を吐いた。
牙に裂かれて絶命するなど御免だが、そのためにはこの状況を打破しなければならない。
僕はポーチを掴み、中身をぶちまけながら銀狼へと放った。
「何のつもりだ!人間!」
銀狼はポーチをいとも簡単に切り裂き、地を蹴って僕に飛びかかる。
それだけでほんの数秒だが、ライフルを構え引き金を引くのには、その僅かな時間だけで十分だった。
ハンマーが落ちて撃針を叩き、弾薬後部の雷管に衝突し撃発する。
工程を終えて銃身から飛び出した弾丸は、銀狼の毛に覆われた胸に赤黒い穴を開けた。
人狼は、驚愕に目を見開く。
「カ・・・」
銀狼は僕の方に倒れ込み、血の塊を吐いて痙攣する。
間も無く、怨みの光を宿していた瞳が生気を失った。
死んだのである。
「…僕には関係ないだろう」
僕は死体を押しのけ立ち上がろうとするが、痛みと重さの所為でうまくいかない。
そして最悪なことに、外から人々の喧騒が聞こえてきた。
扉が叩かれ、若い男の声が飛び込んでくる。
「長!大丈夫ですか!?何事かあったのですか!?」
銃声を不審に思って駆けつけたのだろうが、僕にとっては迷惑でしかない。
長が殺されたと知れば、集落の人狼たちは僕に一斉に襲いかかってくるだろう。
そうなれば、命の保証はどこにもない。
「殺されそうになったって言っても、信じないだろうなぁ」
僕は何とか死体の下から抜け出すと、部屋の奥に行き壁にもたれかかる。
「こんなとこじゃ、死ねない」
ウィンチェスターライフルの銃口が、扉に向けられた。
エルフの少女が、大きな目に涙を滲ませながら叫んだ。
彼女に抱き抱えられている少年からは、ポタリポタリと血が滴り、足元に血溜まりを作っている。
「よくもリーシュを…絶対に許さない!!」
「…喚かずに茂みにでも隠れればいいのに」
草原の真ん中に立つ少女から、六百メートルほど離れた大岩の上。
僕は、ウィンチェスターライフルM2087のスコープ越しに、少女の怒り叫ぶ様を見ていた。
まだ齢よわい十五ほどの幼さの残る顔が、恐怖と憎悪に塗り潰されている。
心が痛まなくもないが、立場を考えると同情するわけにもいかなかった。
「卑怯者!!姿を見せなさいよ!!」
また何か怒鳴っているようだが、この距離では何を言っているかまでは聞き取れない。
僕は一旦スコープから目を離すと、手首の関節を戯れに鳴らした。
「さっさと終わらせるかな」
大きく深呼吸してから、再びライフルを構え直す。
少女の心臓部がレクティルと重なり合った瞬間、僕は躊躇うことなく引き金を落とした。
鋭い爆発音。
少女は目を剥くと、悲鳴を上げる暇もなく倒れ込んだ。
映画のように、苦しみもがいたりはしない。
即死である。
僕はライフルを担ぎ上げると、寝そべっていた岩場から立ち上がった。
本来なら目標を殺害した時点で仕事は終わりだが、今回は違う。
あと一つ、やらねばならないことがあった。
「ま、苦しまずに死ねただけマシかな」
僕は少女らの死体に近づきながら、ポツリと漏らした。
生かして連れて帰れば金貨三百枚、殺して『例のもの』を取り返せば金貨百五十枚。
他の人間ならば、間違いなく殺さない方を選んだだろう。
足でも撃ち抜いて捕獲し連れ帰れば、二倍の報酬を貰えるのだ。
だが、もしも少女らを生かして連れ帰った場合、彼女たちには凄惨な拷問が待っている。
僕も、さすがにそれは後味が悪かった。
「感謝しろとまで言わないが、せめて恨まない欲しいな」
ひとりごちている間に、僕は現場に辿り着いた。
少女は、少年に覆い被さるようにして倒れている。
僕は胸の前で十字架を切ると、少女をどかそうと手を伸ばした。
「っ!?」
息絶えたはずの少女の身体がピクリと動く。
僕は咄嗟に後ろに飛び退くと、腰に差していたナイフに手を伸ばした。
「けほっ…!!」
少女が咳き込みながらむくりと起き上がる。
僕は信じられない思いでそれを見つめていた。
「弾は当たったはず…!」
僕は、すぐに少女の首から何かがぶら下がっていることに気づく。
紋章の刻まれたそれを、彼は知っていた。
「聖教会のアミュレットか。相変わらず何でもありの世界だな」
一回限りだが、アミュレットには着用者に守護の加護を与える効力を持つものが多い。
中でも聖教会のものと言えば、魔法攻撃すら防ぐ最高級品だ。
現にPB ポイントブレットを防いだのだから、その防御力は聞きしに勝るものらしい。
「あなたが…リーシュを殺したのね…」
驚く僕をよそに、少女は立ち上がって憎々しげな視線をぶつけてきた。
リーシュというのは、倒れている少年のことだろう。
僕は死体を一瞥すると、無表情のままため息をつく。
「なんで…なんでリーシュを殺したの!?答えてよ!」
「…僕が殺したのはその子だけじゃない。君と徒党を組んでいた仲間は、既にひとりもこの世にはいないよ」
少女は目を見開き、怒りに拳を強く握り締めた。
「貴様…っ!!」
「それから、理由についてだけれど…」
僕は少年の横に座り込み、腰のポケットを探った。
「汚い手でリーシュに触れないで!」
「あった。これだ」
お目当のものを取り出し、少女に見えるように掲げてみせる。
「これ、何だかわかるよね。と言うか、君も持っているかな」
「…それが何よ」
象牙のようなもので作られている、小さなペンダント。
それは磨き上げられており、美しい光沢を放っている。
これこそが、今回の目的の一つだ。
「まさか、そんなもの奪うために…!」
「奪う、と言うには語弊があるな。僕はこれを取り返しに来たんだよ」
そこまで言っても、少女は依然として理解できないようであった。
つくづく、おめでたい連中だ。
「私たちは、誰からもそれを盗ってなんか…」
「本当に?」
僕は立ち上がると、少女を見据える。
すると彼女は気圧され、一歩後ろに下がった。
「だ、だって、それは自分たちで作ったのよ!エミーシャが、記念にみんなでペンダントを作ろうってーー」
「村の人狼たちを皆殺しにした記念に、か」
「…!」
少女は言葉を失った。
どうやら、やっと飲み込めたらしい。
僕が、人狼たちの復讐代行人として雇われたことに。
「君たちは数ヶ月前の夜、ある人狼の村を襲撃した」
少女は膝から崩れ落ちる。
「あそこには当時、一人だけ隣の人狼集落の子供がいたそうだ。歳はまだ五つだったが…無論、君たちが人狼なんかに情けをかけるはずもない。その子も結局、剣で斬りつけられて死んでしまった」
僕は言葉に感情を込めずに、続ける。
「子供が帰ってこないことを心配に思った集落の長は、隣の村まで探しに行った。すると村には、血まみれで横たわる死体がゴロゴロ。長は必死に我が子を探すが見つからない。もしかして逃げたのでは、と思ったその時ーー」
「やめて!」
「頭蓋骨を切り開かれた我が子を、見つけた」
少女は唇を噛み締めながら震えている。
「唯一まだ息のあった若者が、長に教えてくれたそうだ。奴らは殺戮を終えた後、子供の頭蓋骨で戦利品を作った、と」
事実を知った長は怒り狂い、わざわざ僕を殺し屋として雇った。
それが、事の真相だ。
「わかっただろう?君たちが、一体何の報いを受けることになってしまったのか」
僕はナイフを逆手に持ち、しゃがみこんでいる少女の前に立った。
彼女は殺されることを悟り、必死に後ずさる。
「ま、待ってよ!だってあれは、人狼たちが旅人を襲うからで…!」
「あの村の人狼たちは、他種族との争いを望んでいなかった。農耕で生計を立て、自給自足の生活を送っていた。旅人を襲ったことなど一度もない」
「嘘!あの噛み跡は間違いなく人狼よ!違うって言うなら、他に誰がやったの!?」
「山賊さ。彼らは自分たちの仕業だとばれないように、飼い犬に死体を食わせていた。君たちは、完全に勘違いをしていたんだ」
その言葉に、少女の顔から血の気が引いた。
「う、嘘をつかないで!」
「…信じないならそれでもいい。僕はただ、与えられた仕事をこなすだけだよ」
「ひっ!」
少女はよろけながら立ち上がると、背を向けて走り出した。
さすがは身体能力の高いエルフなだけあって、その姿は瞬く間に小さくなっていく。
「…そうか」
僕はライフルを背中から降ろし、構えた。
新たなマガジンを装着し、スコープを除く。
真っ直ぐに走る少女の背中に照準を合わせるのは、難しいことではなかった。
トリガーにかけた指に力がこもる。
「…」
青い空に、乾いた銃声が吸い込まれていった。
◇◇◇◇◇
「…殺したのか」
銀色の頭髪が目立つ大柄な男は、悲哀を漂わせながらそう確認した。
薄暗い部屋で、蝋燭の炎がゆらりと揺れる。
「はい。予想以上に抵抗されたので、生け捕りは無理だと判断しました」
僕は台の上に、回収したペンダントの入った袋を置く。
男はそれを見ても、喜ぶことも怒ることもしない。
ただ静かに目を閉じ、苦しげに息を漏らすだけだ。
「…悪いが、金はすぐには払えない。集落中を掻き集めても、精々金貨三十枚が限度だ」
わかっている。
もとより、寂れた人狼集落に金貨百五十枚などという大金があるはずがない。
「わかりました。では、そのうちまたここに寄るので、その時都合がつけば支払って下さい」
僕は椅子を引き、荷物を担いで男に背を向ける。
だが、部屋を出ようとしたところで、彼は男に呼び止められた。
「あんた、ここらの人間じゃないよな」
疑念を含んだ問いだ。
だが、別に答えない理由もなかった。
「…出稼ぎに来ているんです。出身はここよりずっと遠くですよ」
「そうか…」
てっきりもっと突っ込まれるものかと思ったが、男は意外にもあっさりと引き退った。
「では、またいずれ」
僕は男から視線を外し、扉に手をかける。
ここで、漫画なんかによくある「殺気」とやらに気付けていればよかったのだが、生憎とハイマにそういう能力はなかった。
次の瞬間、強い衝撃が彼の背中を襲う。
「 ぐっ!」
僕は勢いよく吹き飛ばされ、受け身すら取れず壁に叩きつけられた。
そのまま床に落ち、あまりの痛みに意識が朦朧とする。
逃げなければと思うが、身体が言うことを聞いてくれなかった。
ひょっとしたら骨の一本や二本、イカれてしまったかもしれない。
「やっぱり、人間は許せねぇ。お前らみたいな人間の所為で、俺の娘は…」
男の声は次第に野太くなっていく。
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頭髪が伸び始め、体中の皮膚から体毛が生えてくる。
「つ…!」
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「ガアッ!!」
男に腹部を蹴り上げられ、僕は息を詰まらせながら机に激突する。
僕の喉に、胃の残留物がせり上がってきた。
「グアアアアアアア!!」
銀狼は咆哮し、ギラついた黄色い目を僕に向ける。
こうなってしまうと、純粋な身体能力で人間に勝ち目はない。
「…くそ」
僕は口元を拭い、息を吐いた。
牙に裂かれて絶命するなど御免だが、そのためにはこの状況を打破しなければならない。
僕はポーチを掴み、中身をぶちまけながら銀狼へと放った。
「何のつもりだ!人間!」
銀狼はポーチをいとも簡単に切り裂き、地を蹴って僕に飛びかかる。
それだけでほんの数秒だが、ライフルを構え引き金を引くのには、その僅かな時間だけで十分だった。
ハンマーが落ちて撃針を叩き、弾薬後部の雷管に衝突し撃発する。
工程を終えて銃身から飛び出した弾丸は、銀狼の毛に覆われた胸に赤黒い穴を開けた。
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「カ・・・」
銀狼は僕の方に倒れ込み、血の塊を吐いて痙攣する。
間も無く、怨みの光を宿していた瞳が生気を失った。
死んだのである。
「…僕には関係ないだろう」
僕は死体を押しのけ立ち上がろうとするが、痛みと重さの所為でうまくいかない。
そして最悪なことに、外から人々の喧騒が聞こえてきた。
扉が叩かれ、若い男の声が飛び込んでくる。
「長!大丈夫ですか!?何事かあったのですか!?」
銃声を不審に思って駆けつけたのだろうが、僕にとっては迷惑でしかない。
長が殺されたと知れば、集落の人狼たちは僕に一斉に襲いかかってくるだろう。
そうなれば、命の保証はどこにもない。
「殺されそうになったって言っても、信じないだろうなぁ」
僕は何とか死体の下から抜け出すと、部屋の奥に行き壁にもたれかかる。
「こんなとこじゃ、死ねない」
ウィンチェスターライフルの銃口が、扉に向けられた。
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