恋情を乞う

乙人

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悪夢

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珞燁らくゆう。」
 手招きされたのは、紅い目をし、痩せた女だった。

 旲瑓は驚いた。
 永寧長公主が、長公主ではなく、大長公主だったことに。
(姉さんは、叔母さんなんだ………)
 衝撃だった。宮廷中、皆が狼狽えた。
『永寧長公主は、櫖淑妃の不義の子。他にも秘密があるらしい。そんな、素性の分からぬ人間を東宮にしておくなど、愚かだ』
 そんなことを太后は言い、無理矢理位を廃した。
 父は、何も言えなかったらしい。
 東宮ではなく、ただの大長公主になった。それだけなら、まだ良かった。
 永寧大長公主は、大長公主の位も廃されてしまったらしい。太后が何をしても、櫖家が後ろにいるので、口出し出来ない。
 永寧大長公主は何だかんだで、仕事は出来る人だったので、今位を廃されては困る。
 永寧大長公主は、何故位を廃されたのか。それには裏があると、睨んだ。

 旲瑓が初めて会った永寧大長公主は、既に成人していた。母に死なれ、公主だった頃の永寧はどう生きてきたのかは、知らなかった。
 永寧大長公主が、太后に虐げられ、嘗ては下女の真似事までさせられていたと知り、母に憤りを感じた。
 永寧大長公主は今まで、どれだけの生き恥をかかされて来たのだろう。十になる前に、自分の素性を知ってしまったらしい。彼女が幼い頃から背負った物は、あまりにも重たい物だった。
 太后が永寧大長公主を毛嫌いしている理由。それが分かった気がする。
「旲瑓様。どうなさいましたか。」
 隣で榮氏が顔を覗いている。
 「永寧大長公主………」
 ピクリと肩が揺れる。動揺しているのが、目に見えているだろう。
「お悔やみ申し上げますわ。」
 永寧大長公主は死んでいるわけではない。ただ、全てを失ってしまった。
「太后はただでさえ永寧姉さんを嫌っている。大長公主の位を奪われた今、姉さんを守るものは何も無い。」
 涙が零れて来た。下を向いた。泣いているのを、人に見られたくなかった。
「さりげなく、太后の宮にお行きになられては。」
 難しいことを言う。出来なくはないが、永寧大長公主はいるのだろうか。
「ご機嫌伺いですわよ。」
 榮氏は賢しい女だ。

 その夜、夢を見た。
 随分と痩せた、汚い格好のザンバラの髪をした女が、毳毳しい格好の女に鞭打たれていた。
 直ぐに、その毳毳しい女が太后であることは分かった。
「其方は能無しなのね。死ねば良いのに。珞燁。」
 珞燁と呼ばれた女は俯いていた。
「穢らわしい女には、これが充分だわ。」
 腐りかけたスープを投げつけられた女は、何も言わなかった。左腕を庇って、蹲っていた。

 脚の腱を切られた。それも、左の。
 左半身が動かない。動かせない。
 悪夢が甦る。忘れたかった、十数年前の。
 身分を奪われて、下女にまで落された。逃げない様に、足を負傷させられ、満身創痍のままに、次々と汚れ仕事を押し付けられる。
 珞燁らくゆうと呼ばれ、誰もかもが自分を嘲笑う。
「これ洗ってきて頂戴ね、さ、速く行きなさいよ。太后様のご命令よ。」
 香油に汚れた衣裳を何枚が何枚も入った籠を投げつけられた。衣裳が下に落ちた。それを、拾う。
「あらやだ、汚い。」
 衣裳ではなく、珞燁のことだ。
「その血で汚さないでよ。」
 女は珞燁の背中を蹴った。
 仕方なく、洗濯をしに行く。手はあかぎれで、痛い。水なんて暫く触りたくない。
 慢性的な疲労は、体を蝕んでいく。動いてくれない左足を引きずって、なんとか洗濯所に辿り着く。
 それを洗って、戻るのだが、その間に、太后の侍女に出くわしてしまった。
 そのまま通り過ぎようとすると、足を引っ掛けて、転ばされた。籠の衣裳は地面に散らばった。
「また、やり直しね。」
 侍女が笑った。

 旲瑓と榮氏は、太后の宮にご機嫌伺いを兼ねて、永寧大長公主を探しに来ていた。
「永寧大長公主?そんなの、いないわ?」
 太后はそう言い、二人を追い返した。
 とぼとぼと歩いていると、前を汚れた三十路近くの女が籠を抱えて、歩いていた。左半身に不自由があるのか、辛そうだ。
「あら、遅いじゃないの。珞燁。太后様はお怒りよ。」
 珞燁と呼ばれた女は、紅い目をしていた。

 珞燁が永寧大長公主の名だと知ったのは、随分と後だった。
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