38 / 126
勘
しおりを挟む
圓氏はその日、とぼとぼと歩いている榮氏を見つけた。
普段は腹のすぐ下で結んでいる帯を、胸のすぐ下で結んでいるのを見て、何となく、彼女を察した。
(男御子か、女御子か。)
どちでも良い。自分には、関係ない。
(まあ、爸爸に叱られるだろうけれど。)
本当に、どうでもよかった。
榮氏は虚ろな目をしていた。人相を見るのが苦手でも、分かる未来だ。
榮氏が産むのは、女御子だろうと思う。根拠は無い。何となく、そう、思った。
(身の保全を優先するならな。)
圓氏は、自分を心配してくれていた榮氏に気を使っている。榮氏は圓氏を目の敵にはしない。圓氏が愛する人を喪って、心を喪失しかけており、自分の敵にはなりえないと分かっているからだ。
『あの人は、何処におられるの?』
榮氏が問うた。
『御自身の宮にいらっしゃいますよ。永寧大長公主様がいらっしゃるから。』
言わない方が良かっただろうか。
『………如何したの?』
榮氏がポロポロと涙を流しながら、情けない顔をしていた。
『あの人は、妾の処に、帰ってきて下さらないのね。』
寂しいのだろうか。まあ、仕方がない。後宮の妃である以上、それは変えられない。
『寂しいのですか?』
『……そうかも、しれないわ。』
笑っていた。だが、とても悲しそうだった。
『ねぇ、榮妃様?貴女には、幸せな記憶はありますか?』
口が勝手に動いていた。
『やはり、旲瑓様に逢ったことだわね。それ以前だったら、父様が生きていらっしゃった頃ね。それ以降は、閉じ込められていたから。』
それ以外には、無いの、と榮氏は言う。
『幸せな記憶を胸にしまって生きてゆけばよいと思いますのよ。………私の様にね。貴女は幸せだわ。愛する人は、生きておられる。』
圓氏の想い人は、父親に殺されている。
『人は死んでも、誰かの心の中で生き続けるの。だから、もし、全ての人に忘れられてしまったら、それは、本当の死、です。』
圓氏は何処か遠くを見ていた。
『だから、貴女は愛する人を、心の底から愛せば良いのです。独りになってしまうでしょうから。』
真意を汲み取るのは、難しかろう。だが、きっと、いつか分かってくれるだろう。
「幸せな、記憶。」
榮氏は腹を撫でながら、思い出す様に呟いた。
「よく生きていられたわね、圓氏は。」
妾はきっと、生きていけない、と涙を流す。
「幸せになるのは、罪だわ、きっと。」
死んだ父。思い出すのは苦痛になる、殺した母や再婚相手。
榮氏は舞姫。灼熱の舞台で踊り続ける、血染めの舞姫。朽ち果てる、その時まで、安寧はやって来ない。
覚悟していた。していたはずだ。地獄に堕ちると。だが、何の因果か、この国の後宮にいる。
如何してなのだろう。堕獄した方が、いっそ、楽だったのではと思う。
幸せを感じる度に、責められている気がしてしまう。「お前には、幸せになる権利なぞ、無い」と。
人殺しと云う罪科を抱え、且つ、人の魂を喰らう化け物に成り果てた榮氏。そんな者が、幸せになって良いはずが無いのだった。
恋うる人は、いる。飢えもしない。身分もある。なのに、不幸だ。きっと、償いなのだろう。親殺しと云う不徳の致すことだろう。
でも、榮氏は幸せと思われる。「幸」は、手枷を示しているらしく、罪を逃れられて幸せ、という意味から来ているそうだ。
地獄での極刑を免れ、華やかな後宮で暮らす榮氏は、その分には幸せだ。本人の思うことは別である。
そう言えば、圓氏の言っていたことが気になる。「独りになってしまうでしょうから」の意が。
その、独り、が旲瑓のことであることは何となく分かる。だが、如何してそう言えるのだろう。
後宮には沢山の女がいる。決して独りになることは無いのに。
(死んだら一番悲しんで貰えるのは誰だろうか。)
きっと、自分ではない。
普段は腹のすぐ下で結んでいる帯を、胸のすぐ下で結んでいるのを見て、何となく、彼女を察した。
(男御子か、女御子か。)
どちでも良い。自分には、関係ない。
(まあ、爸爸に叱られるだろうけれど。)
本当に、どうでもよかった。
榮氏は虚ろな目をしていた。人相を見るのが苦手でも、分かる未来だ。
榮氏が産むのは、女御子だろうと思う。根拠は無い。何となく、そう、思った。
(身の保全を優先するならな。)
圓氏は、自分を心配してくれていた榮氏に気を使っている。榮氏は圓氏を目の敵にはしない。圓氏が愛する人を喪って、心を喪失しかけており、自分の敵にはなりえないと分かっているからだ。
『あの人は、何処におられるの?』
榮氏が問うた。
『御自身の宮にいらっしゃいますよ。永寧大長公主様がいらっしゃるから。』
言わない方が良かっただろうか。
『………如何したの?』
榮氏がポロポロと涙を流しながら、情けない顔をしていた。
『あの人は、妾の処に、帰ってきて下さらないのね。』
寂しいのだろうか。まあ、仕方がない。後宮の妃である以上、それは変えられない。
『寂しいのですか?』
『……そうかも、しれないわ。』
笑っていた。だが、とても悲しそうだった。
『ねぇ、榮妃様?貴女には、幸せな記憶はありますか?』
口が勝手に動いていた。
『やはり、旲瑓様に逢ったことだわね。それ以前だったら、父様が生きていらっしゃった頃ね。それ以降は、閉じ込められていたから。』
それ以外には、無いの、と榮氏は言う。
『幸せな記憶を胸にしまって生きてゆけばよいと思いますのよ。………私の様にね。貴女は幸せだわ。愛する人は、生きておられる。』
圓氏の想い人は、父親に殺されている。
『人は死んでも、誰かの心の中で生き続けるの。だから、もし、全ての人に忘れられてしまったら、それは、本当の死、です。』
圓氏は何処か遠くを見ていた。
『だから、貴女は愛する人を、心の底から愛せば良いのです。独りになってしまうでしょうから。』
真意を汲み取るのは、難しかろう。だが、きっと、いつか分かってくれるだろう。
「幸せな、記憶。」
榮氏は腹を撫でながら、思い出す様に呟いた。
「よく生きていられたわね、圓氏は。」
妾はきっと、生きていけない、と涙を流す。
「幸せになるのは、罪だわ、きっと。」
死んだ父。思い出すのは苦痛になる、殺した母や再婚相手。
榮氏は舞姫。灼熱の舞台で踊り続ける、血染めの舞姫。朽ち果てる、その時まで、安寧はやって来ない。
覚悟していた。していたはずだ。地獄に堕ちると。だが、何の因果か、この国の後宮にいる。
如何してなのだろう。堕獄した方が、いっそ、楽だったのではと思う。
幸せを感じる度に、責められている気がしてしまう。「お前には、幸せになる権利なぞ、無い」と。
人殺しと云う罪科を抱え、且つ、人の魂を喰らう化け物に成り果てた榮氏。そんな者が、幸せになって良いはずが無いのだった。
恋うる人は、いる。飢えもしない。身分もある。なのに、不幸だ。きっと、償いなのだろう。親殺しと云う不徳の致すことだろう。
でも、榮氏は幸せと思われる。「幸」は、手枷を示しているらしく、罪を逃れられて幸せ、という意味から来ているそうだ。
地獄での極刑を免れ、華やかな後宮で暮らす榮氏は、その分には幸せだ。本人の思うことは別である。
そう言えば、圓氏の言っていたことが気になる。「独りになってしまうでしょうから」の意が。
その、独り、が旲瑓のことであることは何となく分かる。だが、如何してそう言えるのだろう。
後宮には沢山の女がいる。決して独りになることは無いのに。
(死んだら一番悲しんで貰えるのは誰だろうか。)
きっと、自分ではない。
0
あなたにおすすめの小説
神は激怒した
まる
ファンタジー
おのれえええぇえぇぇぇ……人間どもめぇ。
めっちゃ面倒な事ばっかりして余計な仕事を増やしてくる人間に神様がキレました。
ふわっとした設定ですのでご了承下さいm(_ _)m
世界の設定やら背景はふわふわですので、ん?と思う部分が出てくるかもしれませんがいい感じに個人で補完していただけると幸いです。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
灰かぶりの姉
吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。
「今日からあなたのお父さんと妹だよ」
そう言われたあの日から…。
* * *
『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。
国枝 那月×野口 航平の過去編です。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる