恋情を乞う

乙人

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 圓氏はその日、とぼとぼと歩いている榮氏を見つけた。
 普段は腹のすぐ下で結んでいる帯を、胸のすぐ下で結んでいるのを見て、何となく、彼女を察した。
(男御子か、女御子か。)
 どちでも良い。自分には、関係ない。
(まあ、爸爸とうさまに叱られるだろうけれど。)
 本当に、どうでもよかった。

 榮氏は虚ろな目をしていた。人相を見るのが苦手でも、分かる未来だ。
 榮氏が産むのは、女御子だろうと思う。根拠は無い。何となく、そう、思った。
(身の保全を優先するならな。)
 圓氏は、自分を心配してくれていた榮氏に気を使っている。榮氏は圓氏を目の敵にはしない。圓氏が愛する人を喪って、心を喪失しかけており、自分の敵にはなりえないと分かっているからだ。
『あの人は、何処におられるの?』
 榮氏が問うた。
『御自身の宮にいらっしゃいますよ。永寧大長公主様がいらっしゃるから。』
 言わない方が良かっただろうか。
『………如何したの?』
 榮氏がポロポロと涙を流しながら、情けない顔をしていた。
『あの人は、妾の処に、帰ってきて下さらないのね。』
 寂しいのだろうか。まあ、仕方がない。後宮の妃である以上、それは変えられない。
『寂しいのですか?』
『……そうかも、しれないわ。』
 笑っていた。だが、とても悲しそうだった。
『ねぇ、榮妃様?貴女には、幸せな記憶はありますか?』
 口が勝手に動いていた。
『やはり、旲瑓様に逢ったことだわね。それ以前だったら、父様が生きていらっしゃった頃ね。それ以降は、閉じ込められていたから。』
 それ以外には、無いの、と榮氏は言う。
『幸せな記憶を胸にしまって生きてゆけばよいと思いますのよ。………私の様にね。貴女は幸せだわ。愛する人は、生きておられる。』
 圓氏の想い人は、父親に殺されている。
『人は死んでも、誰かの心の中で生き続けるの。だから、もし、全ての人に忘れられてしまったら、それは、本当の死、です。』
 圓氏は何処か遠くを見ていた。
『だから、貴女は愛する人を、心の底から愛せば良いのです。。』
 真意を汲み取るのは、難しかろう。だが、きっと、いつか分かってくれるだろう。

「幸せな、記憶。」
 榮氏は腹を撫でながら、思い出す様に呟いた。
「よく生きていられたわね、圓氏は。」
 妾はきっと、生きていけない、と涙を流す。
「幸せになるのは、罪だわ、きっと。」
 死んだ父。思い出すのは苦痛になる、殺した母や再婚相手。
 榮氏は舞姫。灼熱の舞台で踊り続ける、血染めの舞姫。朽ち果てる、その時まで、安寧はやって来ない。
 覚悟していた。していたはずだ。地獄に堕ちると。だが、何の因果か、この国の後宮にいる。
 如何してなのだろう。堕獄した方が、いっそ、楽だったのではと思う。
 幸せを感じる度に、責められている気がしてしまう。「お前には、幸せになる権利なぞ、無い」と。
 人殺しと云う罪科を抱え、且つ、人の魂を喰らう化け物に成り果てた榮氏。そんな者が、幸せになって良いはずが無いのだった。
 恋うる人は、いる。飢えもしない。身分もある。なのに、不幸だ。きっと、償いなのだろう。親殺しと云う不徳の致すことだろう。
 でも、榮氏は幸せと思われる。「幸」は、手枷を示しているらしく、罪を逃れられて幸せ、という意味から来ているそうだ。
 地獄での極刑を免れ、華やかな後宮で暮らす榮氏は、その分には幸せだ。本人の思うことは別である。
 そう言えば、圓氏の言っていたことが気になる。「独りになってしまうでしょうから」の意が。
 その、独り、が旲瑓のことであることは何となく分かる。だが、如何してそう言えるのだろう。
 後宮には沢山の女がいる。決して独りになることは無いのに。
(死んだら一番悲しんで貰えるのは誰だろうか。)
 きっと、自分ではない。
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