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羅刹姫
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-羅刹。人を食らう、悪鬼。
そんな化け物にまで成り下がってしまったのは、誰のせいなのだろうか。
今日も榮氏の承香宮では、湿っぽく、どんよりとした空気を漂わせていた。
「貴妃様。」
侍女が呼びに来ても、寝台から起き上がることさえなかった。ただ、死なぬよう、食事だけを無理矢理とって、あとは寝て過ごしていた。
『無様ね。』
女の声だ。どこか、自分と似ている。紅い瞳に長い茶毛の女だ。
あぁ、これは、現実ではない。夢だ、夢に違いない。
女は美しい袿を何枚も重ね、濃色の長袴を着ていた。雰囲気は榮氏に似ていたが、顔は旲瑓に似ていた。
『吾が、憎い?』
女は笑った。
母の面影が、あった。
『吾のせいで廃妃になったのだもの。憎いに決まっているわね。そうだわ。』
やめてくれ。もう、女の正体は分かった。もう、分かったから、やめてくれ。
『吾はもう、霛塋公主ではない。』
女は俯く。情緒不安定なのだろうかと思ったが、そうではないらしい。
『お前のせいなのよ、分かってくれる?妈妈。』
霛塋はその後、榮氏を嬲った。二十数年間閉じ込められたと言う。そして、下界に堕とされたらしい。
『幸せなのは、今のうち。せいぜい、楽しんでおくのが良いかと存じますよ。』
そして、夢から覚めた。
血が、欲しい。魂が、欲しい。
今でもたまに、そう、思ってしまう。化け物が人間の姿をしているようで、嫌悪してしまう。それは、間違いなく己なのに。
でも、ふと感じるのは、もう、愛する人を自分の者にするためには、それしか方法が無いということだ。
魂を食われた人間は大抵、死ぬ。例え死なずに済んだとしても、朦朧とした意識の中、操られるのだから、報われないだろう。
榮氏には、それしか思いつかなかったのだ。
(妾は悪鬼羅刹だ。)
「貴妃様。主上のお渡りで御座います。」
恭しく、侍女が頭を下げた。
「そう。」
榮氏は素っ気ない態度で答える。そのわりに、この日の衣裳は凝っていた。
(主上不足だな。)
侍女は内心笑っていたことだろう。
「莉鸞。」
旲瑓は青い衣裳を着ていた。前に、永寧大長公主が着ていた衣裳とそっくりだ。揃いで仕立てたのかと疑ってしまう程に。
「お久しぶりです、旲瑓様。」
榮氏は膝をつく。
「堅苦しいのは苦手なんだ、立ってくれ。ね。」
旲瑓は榮氏の手を取った。
「暫くほおっておいて、すまなかった。」
「気にしておりませんわ、ええ、本当に。全く気にしておりませんでしたわ。本当ですのよ。」
そっぽを向いて言っている。口調から、言っていることは本心の真逆だとすぐに分かった。
「ごめん………」
榮氏には聞こえただろうか。いや、聞こえていなかっただろう。
「ごめん、莉鸞。」
榮氏はずっと旲瑓に背を向けていた。そっと覗くと、ほろほろと涙が零れていた。
(…………)
何と言って慰めれば良いのだろうか。稜鸞のことを、根に持っているのだろうか。
「莉鸞。」
涙が、筋を作ってつたってゆく。旲瑓はそれを袖ですっと拭った。
榮氏はまだ背を向けている。彼女の本心は、分からない。
(そうか。)
「莉鸞。」
後ろから抱き竦めた。彼女は冷たかった。態度ではない。そうだ、彼女はもう、死んでいるんだ、だから、此処にいるのに。
「悪かった。私が其方を拾ったのに、そのままほおっておいて、すまなかった。どうか、嬲ってくれ。罵ってくれ。」
榮氏は首を振った。そして、振り返った。
「違う。」
榮氏は、俯く。
「貴方を、罵りたかったわけでも、嬲りたいわけでもない。」
涙が床に染みを作る。
「妾はきっと、寂しかったのでしょう。でも、もう、それさえも分からなくなった。」
榮氏は旲瑓に寄りかかって来た。胸に顔を埋めている。
「旲瑓様。貴方が悪かったのでは、ありません。」
榮氏は旲瑓に手を伸ばした。
「ごめんなさい、旲瑓様。妾は、まだ、化け物だったみたいですわ。」
榮氏の目には、もう、何も映っていなかった。輝きを失っていた。
旲瑓は恐ろしくなって、身を引いた。力が、入らなかった。
『妾は、まだ、化け物だったみたいですわ。』
その真意を、やっと理解出来た。
意識が遠のいてゆく。そして、朦朧とした意識の中、見えたのは、悲痛な顔をした榮氏だった。
「ぎゃあ!」
何かの泣き声がした。吃驚して、辺りを見渡すと、隣の部屋に、霛塋公主が居たのに気がついた。
そして、足元には、意識を失った、榮氏が倒れていた。
(分からなくも、ない。)
悪鬼羅刹。榮氏はそれだったのかもしれない。確かに、榮氏は人の血肉は食わない。だが、魂を喰う。人を食っているのと、代わりない。
(私のせいだ。)
榮氏を抱えて、部屋を出て行く。
榮氏を寝台に横たわらせ、そのまま、去った。
「再見。」
それから、数日後、男御子が生まれた。母は圓稜鸞昭儀。そして、その子は、璙寍皇子とした。
榮氏は、三年間、目を覚ますことはなかった。
そんな化け物にまで成り下がってしまったのは、誰のせいなのだろうか。
今日も榮氏の承香宮では、湿っぽく、どんよりとした空気を漂わせていた。
「貴妃様。」
侍女が呼びに来ても、寝台から起き上がることさえなかった。ただ、死なぬよう、食事だけを無理矢理とって、あとは寝て過ごしていた。
『無様ね。』
女の声だ。どこか、自分と似ている。紅い瞳に長い茶毛の女だ。
あぁ、これは、現実ではない。夢だ、夢に違いない。
女は美しい袿を何枚も重ね、濃色の長袴を着ていた。雰囲気は榮氏に似ていたが、顔は旲瑓に似ていた。
『吾が、憎い?』
女は笑った。
母の面影が、あった。
『吾のせいで廃妃になったのだもの。憎いに決まっているわね。そうだわ。』
やめてくれ。もう、女の正体は分かった。もう、分かったから、やめてくれ。
『吾はもう、霛塋公主ではない。』
女は俯く。情緒不安定なのだろうかと思ったが、そうではないらしい。
『お前のせいなのよ、分かってくれる?妈妈。』
霛塋はその後、榮氏を嬲った。二十数年間閉じ込められたと言う。そして、下界に堕とされたらしい。
『幸せなのは、今のうち。せいぜい、楽しんでおくのが良いかと存じますよ。』
そして、夢から覚めた。
血が、欲しい。魂が、欲しい。
今でもたまに、そう、思ってしまう。化け物が人間の姿をしているようで、嫌悪してしまう。それは、間違いなく己なのに。
でも、ふと感じるのは、もう、愛する人を自分の者にするためには、それしか方法が無いということだ。
魂を食われた人間は大抵、死ぬ。例え死なずに済んだとしても、朦朧とした意識の中、操られるのだから、報われないだろう。
榮氏には、それしか思いつかなかったのだ。
(妾は悪鬼羅刹だ。)
「貴妃様。主上のお渡りで御座います。」
恭しく、侍女が頭を下げた。
「そう。」
榮氏は素っ気ない態度で答える。そのわりに、この日の衣裳は凝っていた。
(主上不足だな。)
侍女は内心笑っていたことだろう。
「莉鸞。」
旲瑓は青い衣裳を着ていた。前に、永寧大長公主が着ていた衣裳とそっくりだ。揃いで仕立てたのかと疑ってしまう程に。
「お久しぶりです、旲瑓様。」
榮氏は膝をつく。
「堅苦しいのは苦手なんだ、立ってくれ。ね。」
旲瑓は榮氏の手を取った。
「暫くほおっておいて、すまなかった。」
「気にしておりませんわ、ええ、本当に。全く気にしておりませんでしたわ。本当ですのよ。」
そっぽを向いて言っている。口調から、言っていることは本心の真逆だとすぐに分かった。
「ごめん………」
榮氏には聞こえただろうか。いや、聞こえていなかっただろう。
「ごめん、莉鸞。」
榮氏はずっと旲瑓に背を向けていた。そっと覗くと、ほろほろと涙が零れていた。
(…………)
何と言って慰めれば良いのだろうか。稜鸞のことを、根に持っているのだろうか。
「莉鸞。」
涙が、筋を作ってつたってゆく。旲瑓はそれを袖ですっと拭った。
榮氏はまだ背を向けている。彼女の本心は、分からない。
(そうか。)
「莉鸞。」
後ろから抱き竦めた。彼女は冷たかった。態度ではない。そうだ、彼女はもう、死んでいるんだ、だから、此処にいるのに。
「悪かった。私が其方を拾ったのに、そのままほおっておいて、すまなかった。どうか、嬲ってくれ。罵ってくれ。」
榮氏は首を振った。そして、振り返った。
「違う。」
榮氏は、俯く。
「貴方を、罵りたかったわけでも、嬲りたいわけでもない。」
涙が床に染みを作る。
「妾はきっと、寂しかったのでしょう。でも、もう、それさえも分からなくなった。」
榮氏は旲瑓に寄りかかって来た。胸に顔を埋めている。
「旲瑓様。貴方が悪かったのでは、ありません。」
榮氏は旲瑓に手を伸ばした。
「ごめんなさい、旲瑓様。妾は、まだ、化け物だったみたいですわ。」
榮氏の目には、もう、何も映っていなかった。輝きを失っていた。
旲瑓は恐ろしくなって、身を引いた。力が、入らなかった。
『妾は、まだ、化け物だったみたいですわ。』
その真意を、やっと理解出来た。
意識が遠のいてゆく。そして、朦朧とした意識の中、見えたのは、悲痛な顔をした榮氏だった。
「ぎゃあ!」
何かの泣き声がした。吃驚して、辺りを見渡すと、隣の部屋に、霛塋公主が居たのに気がついた。
そして、足元には、意識を失った、榮氏が倒れていた。
(分からなくも、ない。)
悪鬼羅刹。榮氏はそれだったのかもしれない。確かに、榮氏は人の血肉は食わない。だが、魂を喰う。人を食っているのと、代わりない。
(私のせいだ。)
榮氏を抱えて、部屋を出て行く。
榮氏を寝台に横たわらせ、そのまま、去った。
「再見。」
それから、数日後、男御子が生まれた。母は圓稜鸞昭儀。そして、その子は、璙寍皇子とした。
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