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一触即発
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「まだなの?」
太后は不満を面に丸出しだ。
「申し訳御座いません。」
その目線の先で、恭しく頭を垂れるのは、太后の姪、魖氏だ。
「分かっているわよね、闉黤。」
「御意。」
それ以外、口にすることを許されなかった。
(三十路の婆なんて、ほっときゃ死んでくれるだろうに。太后様が大量に毒盛りゃいいのよ。)
旲瑓は魖氏に目はくれない。
そして、彼の隣に立とうとはしない。太后も許してくれない。妃として推したのは太后だが、唯一それだけは許されなかった。
魖氏は背が高すぎて、あまり長身ではない旲瑓の見栄えを悪くしてしまう。二人はほぼ同じくらいの背だ。
魖氏は表向きは妃。四夫人という、恵まれた地位を与えられている。だが、本当はそんなものはお飾りで、妃として役目を全うしようとは考えない。
魖氏の役目はたった一つ。
永寧大長公主、龗珞燁を殺害することだ。
(死ねば、用無しなのね。)
そして、死罪になるだろう。
腰を斬られるか、はたまた、肉を削がれる、凌遅刑か。何れにしても、壮絶だろう。
慈悲のある旲瑓は、そんなことは出来ないだろう。だから、罪を課すのは、永寧大長公主の兄である龗妟纛か、その父であろう。
情状酌量は、決してない。
「太后。」
そう呼ぶのは、紅い瞳をした女だった。
龗璡姚。そう呼ばれる女である。この国の母だ。
因みに、龗妟纛の昔の名前もこれだが、それはこの璡姚が面白がって付けたものだった。
「ご機嫌麗しゅう、女帝。」
太后が頭を下げるのは、この、龗璡姚女帝のみではないだろうか。
「頭をお上げ、菫児。」
菫児は、太后の名である。
「出迎えてくれてありがとう。久しぶりだわね、こうして顔を合わせるのも。旲瑓が生まれた頃だったかしら、最後に会ったのは。」
「そうですわね。もう、二十年近く前になりますのよ。」
「不思議な心地ね。もう、私もお婆さんだわ。玄孫にあたるのかしら、旲瑓は?」
二人はほほほ、と上品に笑っていた。
「でも、旲瑓は妟纛にあまり似ていないのね。」
太后-魖菫児-の表情が堅くなる。
「それに、菫児。貴女にも、叔母の珞燁にも似ていない。如何してなのかしらね。」
とぼける様な仕草をしているが、本当のことを知っているのだろう。
「不思議でしかたがないわねぇ。」
女帝の眼光は、穏やかなようで、鋭かった。
璡姚にとって、永寧大長公主と太后は悩みの種だった。
永寧大長公主は三十路を超えても、未だ結婚していない。流石に後宮は出ているようだが、独り身は辛かろう。今でも馬鹿にされると聞く。
(いい嫁ぎ先はないかしら。)
彼女は聡明で美しいのに、不幸だ。
(顔の傷さえ、なかったらねぇ。)
永寧大長公主の右頬には、傷がある。
(菫児もつくづく、莫迦な女ね。)
分かっている。だから、聞いた。
旲瑓は何処の子だろうか。少なくとも、妟纛と太后菫児の子ではない。
『此処を出るには、方法は二つ。』
鉄格子の扉の前で、顔に傷がある女が話していた。相手は鎖に繋がれていた。
『明日、お前は処刑される。凌遅になるのは、まず、確実ね。』
凌遅は、生きながらに肉を削がれる、最も重い刑だ。そして、その姿は見世物にされる。一種の娯楽なのだ。
『お前も愚かな女ね。』
夫は、助けてくれない。
所詮、邪魔者だったのは、昔から疾っくに分かっていたのに。何をしていたのだろうか?
『これよ。』
女は小さな小瓶を手渡した。
『砒素よ。』
女は笑う。
『楽には死なせない。此処で死ねば、見世物にはならなくて済む。ただ、その違いだわ。でも、汚らわしい人間の前に姿を晒さなくてよい分、まだ、温情があると思ってもらわなくてはね。』
女は大きな腹を愛おしげに撫でていた。
「珞燁。」
「ご機嫌麗しゅう、女帝。」
身内だと言えど、璡姚と永寧大長公主の地位は、璡姚の方が上となる。
「そこまで堅苦しくしなくても良くてよ、ね、珞燁。」
璡姚は妟纛に似ている。だが、旲瑓には似ていなかった。
「後宮を出たのね。」
「ええ、三年前になりますかしら。」
「初めは、貴女が降嫁したのかと思ったわ。でも、違うのね。」
「行き遅れの私を、始末したかっただけでしょうよ。」
離宮は相変わらず、がらりとして、静かだった。寄り付く者もいないのだと言う。
「降嫁先によいのは、なかったの?」
「三十路の年増女なんて、いらないでしょう?ましてや、私は顔に傷がある。それに、まだ、思う様には身体は動いてくれませんの。」
璡姚は悲しかった。
降嫁していないのは、彼女だけだった。そして、何もしてやれなかった自分に、不甲斐なさを感じた。
「かなり前には、櫖家に嫁ぐことになっていましたけれどね。」
死んでしまいました、と。
「貴女は今、幸せですか、珞燁。」
今にも泣きそうな顔をされた。
「如何してもっと早く、曾祖母の私を頼らなかったの。貴女を不幸になんかさせなかった。」
璡姚は永寧大長公主を抱きしめた。
「らくゆ…………」
腹に手が触れた。
「貴女、まさか………」
太后は不満を面に丸出しだ。
「申し訳御座いません。」
その目線の先で、恭しく頭を垂れるのは、太后の姪、魖氏だ。
「分かっているわよね、闉黤。」
「御意。」
それ以外、口にすることを許されなかった。
(三十路の婆なんて、ほっときゃ死んでくれるだろうに。太后様が大量に毒盛りゃいいのよ。)
旲瑓は魖氏に目はくれない。
そして、彼の隣に立とうとはしない。太后も許してくれない。妃として推したのは太后だが、唯一それだけは許されなかった。
魖氏は背が高すぎて、あまり長身ではない旲瑓の見栄えを悪くしてしまう。二人はほぼ同じくらいの背だ。
魖氏は表向きは妃。四夫人という、恵まれた地位を与えられている。だが、本当はそんなものはお飾りで、妃として役目を全うしようとは考えない。
魖氏の役目はたった一つ。
永寧大長公主、龗珞燁を殺害することだ。
(死ねば、用無しなのね。)
そして、死罪になるだろう。
腰を斬られるか、はたまた、肉を削がれる、凌遅刑か。何れにしても、壮絶だろう。
慈悲のある旲瑓は、そんなことは出来ないだろう。だから、罪を課すのは、永寧大長公主の兄である龗妟纛か、その父であろう。
情状酌量は、決してない。
「太后。」
そう呼ぶのは、紅い瞳をした女だった。
龗璡姚。そう呼ばれる女である。この国の母だ。
因みに、龗妟纛の昔の名前もこれだが、それはこの璡姚が面白がって付けたものだった。
「ご機嫌麗しゅう、女帝。」
太后が頭を下げるのは、この、龗璡姚女帝のみではないだろうか。
「頭をお上げ、菫児。」
菫児は、太后の名である。
「出迎えてくれてありがとう。久しぶりだわね、こうして顔を合わせるのも。旲瑓が生まれた頃だったかしら、最後に会ったのは。」
「そうですわね。もう、二十年近く前になりますのよ。」
「不思議な心地ね。もう、私もお婆さんだわ。玄孫にあたるのかしら、旲瑓は?」
二人はほほほ、と上品に笑っていた。
「でも、旲瑓は妟纛にあまり似ていないのね。」
太后-魖菫児-の表情が堅くなる。
「それに、菫児。貴女にも、叔母の珞燁にも似ていない。如何してなのかしらね。」
とぼける様な仕草をしているが、本当のことを知っているのだろう。
「不思議でしかたがないわねぇ。」
女帝の眼光は、穏やかなようで、鋭かった。
璡姚にとって、永寧大長公主と太后は悩みの種だった。
永寧大長公主は三十路を超えても、未だ結婚していない。流石に後宮は出ているようだが、独り身は辛かろう。今でも馬鹿にされると聞く。
(いい嫁ぎ先はないかしら。)
彼女は聡明で美しいのに、不幸だ。
(顔の傷さえ、なかったらねぇ。)
永寧大長公主の右頬には、傷がある。
(菫児もつくづく、莫迦な女ね。)
分かっている。だから、聞いた。
旲瑓は何処の子だろうか。少なくとも、妟纛と太后菫児の子ではない。
『此処を出るには、方法は二つ。』
鉄格子の扉の前で、顔に傷がある女が話していた。相手は鎖に繋がれていた。
『明日、お前は処刑される。凌遅になるのは、まず、確実ね。』
凌遅は、生きながらに肉を削がれる、最も重い刑だ。そして、その姿は見世物にされる。一種の娯楽なのだ。
『お前も愚かな女ね。』
夫は、助けてくれない。
所詮、邪魔者だったのは、昔から疾っくに分かっていたのに。何をしていたのだろうか?
『これよ。』
女は小さな小瓶を手渡した。
『砒素よ。』
女は笑う。
『楽には死なせない。此処で死ねば、見世物にはならなくて済む。ただ、その違いだわ。でも、汚らわしい人間の前に姿を晒さなくてよい分、まだ、温情があると思ってもらわなくてはね。』
女は大きな腹を愛おしげに撫でていた。
「珞燁。」
「ご機嫌麗しゅう、女帝。」
身内だと言えど、璡姚と永寧大長公主の地位は、璡姚の方が上となる。
「そこまで堅苦しくしなくても良くてよ、ね、珞燁。」
璡姚は妟纛に似ている。だが、旲瑓には似ていなかった。
「後宮を出たのね。」
「ええ、三年前になりますかしら。」
「初めは、貴女が降嫁したのかと思ったわ。でも、違うのね。」
「行き遅れの私を、始末したかっただけでしょうよ。」
離宮は相変わらず、がらりとして、静かだった。寄り付く者もいないのだと言う。
「降嫁先によいのは、なかったの?」
「三十路の年増女なんて、いらないでしょう?ましてや、私は顔に傷がある。それに、まだ、思う様には身体は動いてくれませんの。」
璡姚は悲しかった。
降嫁していないのは、彼女だけだった。そして、何もしてやれなかった自分に、不甲斐なさを感じた。
「かなり前には、櫖家に嫁ぐことになっていましたけれどね。」
死んでしまいました、と。
「貴女は今、幸せですか、珞燁。」
今にも泣きそうな顔をされた。
「如何してもっと早く、曾祖母の私を頼らなかったの。貴女を不幸になんかさせなかった。」
璡姚は永寧大長公主を抱きしめた。
「らくゆ…………」
腹に手が触れた。
「貴女、まさか………」
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