恋情を乞う

乙人

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左氏

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「わたくしは、貴方に仕えるのではありませんわよ。」
 女はにこりと笑った。

 圓稜鸞の元に、一人の妃が訪ねた。美人の位にいるらしい。そう言えば、榮氏が皇后になった頃、数人、妃が入ったのを思い出した。
 左馨曄サ ケイヨウを名乗る女で、豪商の娘だとか。昔の永寧の着ていたものと似ている衣裳を着ており、第一印象は、「地味な女」だった。

「准后様に、拝謁致します。」
 左氏は丁寧に頭を下げる。
「ご機嫌よう、左美人。」
「ご機嫌麗しゅう、准后様。」
 左氏については、准后はあまり知らなかった。正直、あまり後宮の妃等には、興味がない。
 後宮には、いくつかの派閥の様な物があるが、左氏は、圓稜鸞の元にいることが多いからだ。
 左氏の出身は知らない。だが、顔立ちからして、さしずめ倭国の出かと思われた。
「つまらぬわたくしの話を、お聞きくださること、幸いと存じます。」
「まだ、何も聞いていないわよ。」
 左氏は一言だけ申した。
「明るき世にお生きの何処の方の媛君。」
 すぐに、誰のことか分かった。准后の娘、明媛公主のことだ。
「冥き日にお生きの、空の御方と。ご注意を。」
 それだけを言い残し、去って行った、

「明るき世にお生きの何処の方の媛君……冥き日にお生きの空の御方………」
 前者が明媛公主のことを言っているのは分かるのだが、後者が分からない。
(字にしてみれば、わかるかしら。)
 紙に書いてみた。
「私が知っている中で、空に関する文字のつく者………空………冥……。れいえ……あ。」
 第一公主。『レイエイ』と云う名なのは、知っていた。だが、字面としては、見たことがない。
 不吉な文字。尸に関する文字だとは聞いたことがある。そこに、准后が当てたのは、『靈塋』。
(流石に違うわよね。)
 因みに二文字目は合っているのを、彼女は知らない。
「でも、御名はエンと仰ったわ。ツバメ………飛ぶ鳥ですもの。空。」
 だが、怖かった。
 どうして、最近来たばかりの妃が、公主のことを知っているのか。

「ご機嫌麗しゅう。淑儀様。」
「ご機嫌よう。稜鸞。」
「あら。珍しいわね。左美人に、准后殿まで。」
 稜鸞に促されて、席に座る。
「稜鸞。貴女、左美人については、知っているの?」
 普段、左氏は稜鸞の派閥にいる。稜鸞が何も知らないわけがない。
「左氏は、市井の豪商の娘よ。」
「あらまぁ、そうだったのね。知らなかったわ。私はてっきり、倭国の人だと思っていたのだけれど。」
 稜鸞はそうなの、と左氏を振り返る。
(はぁ。)
 左氏は溜め息をついた。
「准后陛下。流石としか、言いようが御座いませんわ。そうです。わたくしは、倭国の出身です。左馨曄なる名も、後につけた名です。」
「どうして此処に?」
「それは、分かりません。いつの間にか、此処に居た、といったところですわ。」
「へぇ。今、倭国はどうなっているの?旲瑓様も気になってらしたわよ。」
 稜鸞は少し楽しそうだ。
「さぁ……。わたくしは、死んでから、長きの間を、霊として彷徨っておりましたから………。覚えておりますのは、新しき帝がお立ちになって、都が山背やましろに移されたということだけです。」
「やましろ?」
 稜鸞が首を傾げるので、准后がこっそりと、「倭国の地名の一つよ。」と耳打ちした。
「よく御存知でしたわね。」
「この国では、倭国のことも少しは習うからね。かじった程度でしかないけれど。」
 因みに稜鸞が知らないのは、たんにサボっていただけである。
 山背は後に山城と呼ばれ、其処に移された都は、後に平安京と呼ばれることになるのだが、まだ、それは知られていない。

「馨曄。貴女、不思議なことを申していたわね。」
「不思議なこと?」
「明るき世にお生きに………のくだりよ。」
 准后に言った言葉。あれは、どう聞いても、明媛公主達についてのことだった。下手をしたら不敬罪で罪に問われることもある。そのため、問いたかったのだ。
「夢に出てきた御方が仰っていたのです。」
「夢?」
「はい。若草の衣裳をお召になった女性でした。年の頃は、十七、八くらいでしょうか。紅い瞳の、茶抜けた御髪をお持ちの方でしたわ。」
 茶抜けた髪ならともかく、紅い瞳。この国の皇族の血筋の人間だということだろうか。
「榮皇后様の公主様について、何か聞いたことはあるかしら。」
 准后は稜鸞に問う。
「ないわ。生まれて、暫くしてから、話はなくなったわよね。下級の妃ならともかく、我々が何も知らないだなんて、おかしな話よ。この後宮では、すぐに噂は広がると言うのに。」
「まぁ、皇后様が、公主様をお隠しになっているとも聞くから、分からなくはないわ。」
 准后は優雅に茶を嗜んでいる。いつもことだ。
「酷いわ。それが、親が娘にすることなの?」
 稜鸞は我が子を慈しみながら育てている。准后は毎日毒を盛っている。
「そんなものですよ、淑儀様。珍しい話ではありませんわ。」
 左氏が口を挟んた。
「親と子の仲は、微妙なもの。貴女様のように、子を慈しむ方もいらっしゃれば、その逆もいる。わたくしは、実父に殺されました。」
 多くは語らなかった。だが、首に傷が残っていた。斬首されたのだと、賢しい准后には分かった。
「だれもが、愛されるわけではありませんしね。」
 何処か遠くを見ていた。
 准后も分からなくはなかった。そんなもの、履いて捨てる程、見てきたつもりだったから。

『其方、名は?』
『左馨曄。馨郎女とも呼ばれておりましたわ。東宮殿下。』
 女は笑う。
 左馨曄。彼女が後に、稜鸞の義娘になることを、知る者はいない。
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