推しよ、ここはBLゲームの世界です!〜属性:腐女子のモブは、推しも世界も救いたい〜

はちよ

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9話 何と話せばいいんだろう【10年前⑦】

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 その日も2人で作った夕飯を食べ、あとは寝るだけになったタイミングでアンはエルヴィンの前に膝をついた。

「エルヴィン、話があるの」
「……なんだよ、いきなりそんな畏まって」
「…………」
「アン?」

 アンはそっとエルヴィンの頬に手を伸ばす。
 その頬は丸くて、柔らかくて、温かくて。
 一瞬だけ肩を跳ねさせたものの、そのまま身体を委ねるその姿に、アンは次の言葉が紡げなくなった。

「アン?」
「…………」
「話って、なんだよ」

 じっと押し黙るアンの姿に何かを感じたのだろう。

 エルヴィンの視線は徐々に床に落ち、唇はキュッと引き結ばれた。

「言いたいことがあるなら、ハッキリ言えよ」

 覚悟は出来ていると、そう訴えるエルヴィンの視線から逃れるように、アンはエルヴィンを正面から抱き締める。

「あのね」

 エルヴィンの目を見てその内容を告げることは、アンには出来なかったのだ。

「あと三日で、エルヴィンがここに来て一週間が経つでしょう」

 ぎゅうとエルヴィンを抱き締める腕に力を入れる。小柄なエルヴィンは歳より幼く見え、アンの腕にすっぽりと収まった。
 そっと、エルヴィンがアンの服の端を握った気配がした。

「そろそろ、元の場所に帰った方がいいと思うんだ」

 アンがようやく絞り出した言葉。
 その言葉はしんと静まり返る部屋に落ち、重い沈黙がその場を支配する。

 エルヴィンが元々傭兵団の中で暮らしていたことは、この数日の中で本人の口からぽつりぽつりと語られた。
 そこでは、『不死の怪物』と言われ、最前線に立たされていることも。
 酷い時にはエルヴィンを囮に使ったり、盾にしたりするというのだ。大の大人達が。

 そんな場所に居たと知りながら、そこへ戻れと告げるなんて……どれだけ残酷なことなのか、アンも理解している。

 エルヴィンが邪魔な訳ではない。エルヴィンを嫌いな訳でもない。
 ただ、未来のことを知るアンだからこそ、この穏やかな日々では、エルヴィンが本当に幸せになることはないのだと知っているからこその選択だった。

「(何て言えばいいんだろう。エルヴィンを嫌いなわけじゃないって、それだけでも伝えられたらいいのに……)」

 アンはせめてその気持ちが伝わるようにと、エルヴィンを抱き締める腕に力を込める。

 それに答えるように、エルヴィンがアンの服を握る力が強まった。

「なんで? ……ここにいちゃ、駄目なのかよ」

 平然を装おうとしているのだろう。
 エルヴィンの声は震える喉を意地で抑えようとしているような、そんな力の入り方だった。

 抱きしめるほどエルヴィンの呼吸が浅く変化していく様子がアンによく伝わった。

 小さい身体を大きく見せようとするような、外見にそぐわない大人びたエルヴィンの振る舞いはアンの決意を鈍らせる。

「(いつまでもここに居たらいい。あんなところに戻らなくていい。そう伝えられたら良かったのに……!)」

 アンは唇を噛み締める。
 しかし、アンはゲームの中でエルヴィンの幸せそうな笑顔を何度も見た。
 あの笑顔は、アンでは引き出せないもの。

「駄目だよ。ここにはエルヴィンを置いてあげられない」
「ッ何でだよ! 俺、役に立っただろ!? 掃除して、洗濯して、洗い物も……! 包帯だって、巻いてやっただろ!? 金なら、俺も、働くから……!」
「エルヴィンは本当に良くしてくれて、ありがたいって思ってるよ」
「ならなんで……!」

 アンが目を瞑る。
 ずっと考えていたのだ。
 エルヴィンに、何と告げるべきか。

 エルヴィンは10年後に「救世主」として召喚されるタツミに恋をするのだ。
 攻略対象はエルヴィンだけではなく、この世界の未来がどのキャラのルートに進むかは分からない。

 それでも、タツミと出会い、恋に落ちることでエルヴィンは沢山の物を得る。

 今、エルヴィンがアンに懐いているのは、産まれたての雛が初めて見た物を親と思い込むのと同じことが起こっているだけなのだ。

「(我が子を谷底に突き落とす獅子って、こういう心境なのかな)」

 だから。

「あなたは、半魔だから」

 アンはあえてタツミと逆の言葉を口にした。

 タツミがエルヴィンの心を開かせた言葉。そのキーワードは『同じ人間』。

 半魔であるエルヴィンを同じ『人間』として扱った初めての人がタツミだった。

 エルヴィンは差別を受けながら、ずっと周りを羨んでいた。
 だからこそ、初めて人間として扱われた瞬間、エルヴィンの心は救われたのだ。

 エルヴィンを正規ルートに戻すためにも、エルヴィンはこれ以上自分に懐いてはいけない。

 そのアンの気持ちは、エルヴィンには届かない。

「お前も結局、同じことを言うんだな」

 その瞬間、その場の空気が凍ったようだった。
 目の前には感情が抜け落ちたようなエルヴィンの顔。
 薄氷を踏むような緊張感がアンの全身を襲った次の瞬間、アンはその場に尻もちをついていた。

 いつの間にかエルヴィンの手には包丁が握られており、ぽかんと見上げるアンを温度のない視線で見下ろした。

「物心ついた時から魔獣達とやり合ってきたんだ。あんたを転ばせることくらい、目を瞑っても出来る」
「エルヴィン……」
「なぁ、あんた。自分がどれだけ残酷なことをしたか、分かってるか」

 アンは言葉が出なかった。
 自分のした事はどこまでも自己満足であり、ただの偽善だと……アン自身がよく分かっているから。

「地獄で生まれた人間と……途中でも地獄に落ちた人間がいたとする。過ごすのは同じ地獄だ。でも、地獄以外を知らないのと……地獄以外も知っているのと、どちらが苦しいだろうな?」
「…………」
「ここでの生活は……あんたにとっては当たり前の日常なんだろうな。でも、俺にとっては違った」

 エルヴィンの包丁を握る手が震える。

「俺はもう、あんな生活には戻れない。でも、あそこ以外に……バケモノの俺の居場所は無いんだろうな」

 ゆっくりとエルヴィンは包丁の先を自分に向ける。
 そんな事で死ねないことなど、自分が一番よく知っていたけれど。

「エルヴィンッ……!」

 死ぬか死なないかは問題ではないのだ。
 アンが救いたいのは、エルヴィンの『心』だったから。

 アンは出会った日と同じように、エルヴィンに向かって手を伸ばす。

 エルヴィンはアンの必死な表情に満足したように笑みを浮かべ、その手を大きく動かした。

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