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14話 報われた?

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 乱暴に開いた扉から顔を出したのはエルヴィンだった。

 エルヴィンは大股でアンの横に着くと、ルーカスに握られた手を取り上げる。
 そしてアンの正面に座る男を睨みつけ、そこでやっと驚いたように目を見開く。

「ルーカス……?」

 ルーカスは可笑しそうに笑い、エルヴィンに向かってひらりと手を振った。

「やぁ、待ってたよ」
「何でアンの家にルーカスが居るんだよ!」

 その言葉にルーカスは大きくため息をつき、冷ややかな視線をエルヴィンに向けた。

「お前が逃げるからだろう」
「……逃げたわけじゃない」
「なら、自分の役割はしっかりと果たすことだ」
「…………」

 ぴりりと張り詰めた空気の中、エルヴィンは口を閉ざす。
 エルヴィンとルーカス、どちらが優勢かは一目瞭然だ。

「アンちゃん」
「は、い……」
「ごめんね、実はアンちゃんにコイツを説得して欲しくてさ。コイツ、国王陛下の命令に逆らって逃げ出したんだ」
「は……!?」

 国王陛下から命令を受けたことすらアンは聞いていない。
 それも、断っただなんて。

 驚いてエルヴィンを見上げれば、エルヴィンは気まずそうにアンから視線を逸らし、ルーカスを睨みつけた。

「俺が受けたのは命令じゃない! 打診があったから、断っただけだろ」
「屁理屈を言うな。僕達が自ら忠誠を誓ったという『僕達の名誉』のために、敢えて『命令』としなかったのは国王陛下のお心遣いだ。そんなことも分からないほどお前はガキなのか」

 どんなやり取りがあったのかは分からないが、つまり国王陛下からエルヴィンに何かしらの依頼があり、それをエルヴィンは断ったということだろう。

 いくら『命令』という体でなかったとしても、国王陛下からの依頼を実力があるとはいえまだ22歳の、それも半魔であるエルヴィンが断っていいはずがない。

「エルヴィン、国王陛下に逆らったの……?」
「悪いかよ。……自分の未来は、自分で決めたい」

 アンは不安そうにエルヴィンの腕を引くが、エルヴィンはアンを見ようともしない。

「ちなみに、その命令っていうのは……」

 アンはエルヴィンの腕を引きながらルーカスに向き直る。
 ルーカスはエルヴィンに向けていた厳しい視線を緩めると、アンに向かっては柔らかく微笑んだ。

「まだ未公表だから周りには言わないでね。……教皇庁が救世主の召喚に成功したんだ。これから救世主は魔力汚染を解決すべく各地を巡ることになる。僕達に下りた命令はその時に救世主の眷属として同行し、その身を護ること」

 つまり。

「(タツミが召喚された……!?)」

 救世主というのはゲームの主人公であるタツミのことに違いない。
 エルヴィンの歳から考えても、タツミが召喚されるのは今年であるはず。

 つまり、ゲームでの本編の時間軸が始まったということ。

「も、もう救世主……様とはお会いしたんですか?」

 アンの心臓はうるさいくらい音を立てる。
 この世界に来てから一番緊張しているかもしれない。

 ついに、その時が来たのだ。

「まだだよ。眷属として神前の誓いをして、完全なる味方にならないと引き合わせては貰えない。既に誓いを立てた奴らはもう一緒に住み始めているかもね」

 ルーカスはまたエルヴィンをじろりと睨みつけ、エルヴィンはその視線に負けじと立っているものの、傍から見ていてエルヴィンが気圧されているのは分かる。

「……エルヴィン」

 アンに名前を呼ばれ、エルヴィンの方がぴくりと跳ねた。
 そして、ゆっくりと怒られる前の子供のような目でアンを見た。

「良かったね……!」
「は……?」

 アンは立ち上がり、両手でエルヴィンの手を強く握った。

「エルヴィンの苦労が報われて、良かった……!」

 ぽろり、ぽろり。
 自然と溢れる涙は頬を伝い、床へ丸いシミを作っていく。

「それって、国王陛下がエルヴィンの実力を認めたってことでしょう? エルヴィンが国のために必要な人だって、認められたってことじゃない」

 良かった。

 アンはほっと胸をなでおろし、その安心感が涙になって溢れ出る。

 エルヴィンと出会ってから、アンはずっと不安だったのだ。

 自分が介入してしまったことで、エルヴィンの姿が大きく変わってしまった。
 そのせいで、エルヴィンはもう本来のルートに戻れないのではないかと。

 自分のせいで世界が滅び、そしてエルヴィンはタツミと出会えず、幸せから遠ざかってしまったのではないかと。 

 なんとか元のルートから外れないようアンなりに動いてきたつもりだが、それがあっていたのか、どんな未来になるかは確証がなかった。

 エルヴィンに救世主の眷属になるよう声がかかったということは、エルヴィンの苦労が報われたということでもあり、アンの働きが認められたと言うことなのだ。

「でも、エルヴィンは嫌……だった?」

 アンからすれば国王陛下からの命令などとても名誉なことだが、エルヴィンはそれを断ったという。

 その理由が分からず、アンはじっとエルヴィンを見つめる。

「……アンはそれでいいのかよ」

 振り絞るような声だった。

「……え?」
「俺は、アンのことが好きだってずっと言ってるだろ!」

 エルヴィンの大声に驚くと同時に、内容の意図が掴めずにアンは固まった。

「(エルヴィンが国王陛下の命令に逆らうのと……私を好きだってこと、何か関係あるの……?)」

 何故エルヴィンが今その言葉を発したのか理解できないのはルーカスも同じだった。
 アンとエルヴィンを見比べ、不思議そうに首を傾げる。

「アンは俺のこと、本当に何とも思ってねぇの」
「……エルヴィン、ごめん。話が見えないんだけど」
「アンは、俺が救世主の眷属になってもいいんだな」

 エルヴィンの瞳は悲壮感に揺れていた。
 エルヴィンはアンに何かを期待している。
 それがわかっても、「何を」期待されているのか、アンには何も分からなかった。

「…………エルヴィンが嫌だって言うなら、無理になることはないと思う。でも、それはエルヴィンの人生を、きっと、良く変えることだと思うから」

 アンがそう答えた時、エルヴィンは一瞬だけ苦しそうな顔をした。

「…………わかった」

 エルヴィンはそのままルーカスの腕を掴み、アンの家を出ていった。


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