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反撃の狼煙
しおりを挟む「私にはとても優秀な姉がいました……」
そんな言葉から始まったレベッカの話は、聞いているだけで胸につまされるものがあった。
ウォルター伯爵家の次女として生を受けたレベッカの過酷な半生は、物心ついた時から始まっていた。
将来は伯爵家の婿をとる立場の姉と、政略的に嫁ぐ事になるレベッカとでは、家での扱いにも差があったという。
そして、年が近かった事も災いした。
優秀な姉と事あるごとに比べられる生活は、家族の中でありながら針の筵のような毎日だったと。しかも適齢期を迎えてなお、嫁ぎ先となる貴族家が見つからなかったレベッカに両親の苛立ちはピークに達した。
幼少期から婚約者がいた姉と違い、厄介者のレベッカ。
彼女は追い出されるように、王城行儀見習いとして奉公に出される事となった。
やっと辛い日々から解放される。レベッカは嬉々として奉公に出されることを受け入れたと言う。
その先に、今以上の地獄が待っているとも知らずに。
第二王子派だったウォルター伯爵家の娘の奉公先は、ウィリアムの母である側妃付き侍女。これだけ聞けば、またとない奉公先だろう。ただ、内情は苛烈を極めた。
気位が高く、身分の低い者を毛嫌いしている側妃の扱いはとても難しい。
数十名の侍女が仕える中、側妃のお眼鏡に適わない侍女に対する扱いは酷いものだったそうだ。
「側妃様付きの侍女には序列が決められています。側妃様のお気に入りの順に序列が決められ、順位が低い者には過酷な仕事が回されます。それだけではなく、順位の低い侍女は、順位の高い侍女に逆らう事は許されていません。たとえ、嫌がらせを受けたとしても泣き寝入りするしかないのです」
まだウィリアムの婚約者だった頃、エリザベスは側妃の侍女に対する扱いに目をむいたことがあった。
客人の居る前での叱責は日常茶飯事、飲んでいたお茶を給仕の侍女めがけて叩きつけていた所を目撃した事もある。
側妃のご機嫌を取るのに必死だった当時を思い出し、エリザベスの心が痛みだす。
「地獄のような日々の中、精神的にも、肉体的にも、限界が来ていました。そんな中、出会ったのがウィリアム殿下だったのです。裏庭でひっそりと泣く私に優しく声をかけ慰めて下さった」
『不幸な女性にしか欲情しない変態』いつだったか、そんな噂をエリザベスは耳にしたことがあった。
(あの噂は本当だったのね)
ウィリアムを愛していた時には、疑う事さえ罪だと感じていたあの噂が真実だったとわかっても、エリザベスの心は何も感じない。
それどころか、心に傷を負った女性をたぶらかし、身分を笠に肉体関係を迫っていたウィリアムの行いを考えると、その非道さに吐き気すらする。
なんてひどい男なの。
そんな男を盲目的に愛していた自分にも腹が立つ。
「エリザベス様、本当に申し訳ありませんでした。婚約者様がいると知っていながら、殿下と関係を持ち子を身籠ったのは紛れもない事実です。どんな叱責でも、罰でも受ける覚悟は出来ております。ただ、生まれて来た子供に罪はありません。どうか御慈悲を……」
深々と頭を下げ、泣き続けるレベッカからは痛いほどの悲しみの感情が伝わってくる。
確かに彼女にも非はあったのかもしれない。しかし、過酷な状況に追い込まれ、精神的にも、肉体的にも追いつめられていた彼女が正常な判断を下せたとは到底思えない。
殿下の甘言に惑わされ、誘惑に乗ってしまっても致し方なかったのではないだろうか。
「レベッカさん、今でもウィリアム殿下を愛していますか?」
沈黙が辺りを支配する。
「――愛……、よくわかりません。殿下を愛しているかと言われると、愛しているのかもしれません。ただ、心のどこかで裏切られたと感じている自分もいるのです」
彼女もまた私と同じなのかもしれない。
ウィリアム殿下と言う呪縛から逃れられず、前へと進めなかった私と同じ。
「レベッカさんと私は同じなのかもしれませんね」
「えっ!? 同じ……」
「そうです。ウィリアム殿下という呪縛に囚われ前へと進めないという意味でね」
「それは、いったい……」
「私も貴方と同じ。ウィリアム殿下に捨てられた身なのです。そして策略にはまり悪女に堕とされた。それが今の私です」
ヒュッと息を飲んだレベッカを見つめ、エリザベスは話し出す。
「レベッカさんが私にどんな感情を抱いているかは、わかりません。ただ、良い感情を抱いていないだろうとは想像しています。悪知恵だけは働く殿下です。女性を誑かす時に、私の名前を出し被害者面するくらい造作もなくやるでしょう」
「そんな……、まさか……」
「貴方がウィリアム殿下を信じたい気持ちもわかります。ただ、婚約者がいながら他の女性に手を出すような男が誠実な人と言えるでしょうか? 自分の欲を満たすためなら平気で嘘をつく。甘い言葉を吐き、獲物を手にするためなら己の婚約者でさえ貶めても何も感じない。そんな男を、貴方は信じられますか?」
レベッカの目が右に左に忙しなく動く様を見て、彼女の心が揺れているのが手に取るようにわかる。
今、彼女の中でウィリアムという存在が崩れ始めている。
神聖視すらしていた存在の上面が剥がれ、裏の顔が露見する瞬間、レベッカの中に湧き上がるであろう感情こそが前へと進む原動力となる。
あと、もう一押し。
「レベッカさん、よく考えてください。貴方が、この教会へ連れて来られてから一度でもウィリアム殿下はここを訪れた事がありましたか? 殿下は、貴方が産んだ子に会いに来てくれましたか?」
「――それは……、殿下は王族ですもの。きっと忙しいのです。こんな遠くまで来る時間など、ないのです」
「では、手紙は来ましたか? たとえ多忙な日々を過ごしていようとも、愛する者への手紙を書く時間すらないなんてあり得ないと思いませんか?」
「彼に限って、そんな事はありません。彼の愛は本物です。何度も、何度も愛していると言ってくれた。何度も、何度も――」
エリザベスの言葉など聞きたくないとレベッカが耳を塞ぐ。
過酷な日々の中、ウィリアムの紡ぐ甘い言葉にすがるしかなかったレベッカ。それが偽りの愛かもしれないと頭ではわかっていても、それを信じたくないと心が叫ぶ。
昔の自分とレベッカが重なり、エリザベスの胸がジクジクと痛む。
(真実を告げることがレベッカにとっての幸せだとは限らないわね)
このままこの教会に囚われていれば、辛い現実から目を背ける事はできる。
ウィリアムの愛を信じ、来ることのない殿下を待ち続ける人生。その方がレベッカにとっては幸せなのではないかと。
自分の中に生まれた迷いが真実を告げることをためらわせる。
その時だった。
耳元で響いたハインツの言葉がエリザベスの背中を押した。
『エリザベスは、真実を知り、一歩を踏み出したことを後悔していますか?』
後悔などしていない。
いつか人は真実を知る時が来る。それが遅いか、早いかの違いだけ……
耳を塞ぎ、床へ突っ伏したレベッカの手をとり、優しく握る。
「レベッカさん、貴方の気持ちはよくわかります。私もウィリアム殿下をずっと愛してきたのだから」
「――えっ?」
「不思議に思われるかもしれません。政略結婚が当たり前の世の中で、愛だの恋だので結婚した夫婦など、ほぼいない。しかも、王族との婚約です。政略的なものだと考えるのが普通でしょう。でもね……、私はずっとウィリアム殿下を愛してきた。何度辛い思いをしようとも、胸が張り裂けそうな噂を何度耳に入れようとも、ずっと彼だけを信じてきた。それは、心の底から愛していたからだと思うの。真実を知るのは誰だって怖いわ。でもね、一歩を踏み出したからこそ見える景色もあると私は知った」
レベッカの瞳の中にある迷いが消えていく。きっと彼女は真実を知ると言うだろう。
そんな確信がエリザベスの心の中で芽生えていく。
「決断するのはレベッカ、貴方です。真実を知るか、このまま幸せな嘘に包まれて人生を終えるか。明日、もう一度問います。よく考えてください。貴方の今後の人生を、そして貴方の最も大切な子の人生を――」
床に伏し泣き崩れるレベッカを残し、エリザベスはハインツと共に部屋を後にする。
「ハインツ様、レベッカは真実を知り戦う決意をすると思いますか?」
「すると思いますよ。女性は強いものです。貴方と一緒でね」
「ふふふ、私強くなりましたでしょうか?」
「えぇ、出会った当初に比べると、それはもう。私などでは太刀打ち出来ません」
「嘘ばっかり……、では明日までこの教会に留まる許可を神父様に頂かないといけませんわね」
「そこら辺は抜かりなく」
「えっ!?」
予想外の返答に、エリザベスは彼の用意周到さに舌を巻く。
レベッカの反応まで予想して行動していたとするならば、とんでもない策士である。
そんな男に囚われてしまった自分の男運のなさはピカイチなのかもしれない。
気づいた事実に、エリザベスは心の中で大きなため息をつく。
(虚言癖の横暴男の次は、腹黒策士に捕まるなんて、私の人生って……)
それを嫌だと思っていない自分が一番タチが悪いのかもしれない。
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