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第2章
甘い朝食
しおりを挟む前日の衝撃的なキスシーンから一夜明け、アイシャは広々としたダイニングで、キースと二人、朝食を摂っていた。
ダイニングには、十脚の椅子が左右に並べられた長テーブルが置かれている。給仕のメイドの案内で、綺麗な庭が見渡せる窓際の席に案内され着席したアイシャだったが、なぜか真横には、少し遅れてやって来たキースが座っている。こんなに広いテーブルなのだから、真横に座らなくてもいいのにと思いつつ、アイシャはフォークに刺さったトマトを口に放り込む。
(きっと、給仕し易いように隣に座ったのよね)
先ほどからアイシャの朝食を取り分けたりと、本来であれば給仕メイドがやるべき仕事を率先して行っているキースに違和感を感じつつ、取り敢えずは気にしないことにする。
(これが、ナイトレイ侯爵家の朝食スタイルなのね、きっと)
そんなことを上の空で考えながら、目の前に鎮座するベーコンエッグにアイシャの目はくぎ付けだった。半熟に仕上げられた目玉焼きと、こんがりと焼けたベーコンの組み合わせは、目にも美味しそうに映る。
(これをパンに乗っけて食べたら、絶対に美味しいんだろうな。食べた瞬間、黄身があふれて……)
口の中に広がるベーコンの香ばしい香り。そして、トロッと溶け出した黄身のコクとベーコンの甘みが合わさり、格別なマリアージュを生む。それを優しく包むパン。想像するだけで、よだれが出てくる。
しかし、貴族令嬢たるもの、そんな食べ方をしたら、行儀が悪いと後ろ指を刺されてしまう。
(家だったら、お小言を言われようと、やるんだけどなぁ。ここじゃ、無理よね)
アイシャはコソッとため息をこぼし、もったいないと思いながらも、手に持ったナイフで目玉焼きを切り分けようとして、キースに声をかけられた。
「アイシャ、目玉焼きの美味しい食べ方を知っているかい?」
「美味しい食べ方?」
「あぁ。まずは、片手にパン、そして、目玉焼きの下に敷かれているベーコンをフォークで刺して――――」
「えっ! うそ……」
横に座ったキースが、フォークに刺さったベーコンをパンの上に置き、さらにその上に目玉焼きを乗せて、パンを半分に折り、食べたのだ。
「ちょっと、行儀が悪かったかな。でも、これが格別に美味いんだ。騎士団にいると遠征が多いからな。簡易的に食べられる方法が身につくというか……」
そう言って、少し恥ずかしそうに笑うキースから目が離せなくなる。彼は知っていたのかもしれない。
昨晩、ここに到着した時から不思議に思っていたのだ。通された客間の内装から、メイドが入れてくれるお茶やお菓子、ディナーで提供された食事に至るまで、驚くほどにアイシャの好み、ど真ん中だったのだ。
キースは、アイシャがナイトレイ公爵領へ来るまでの間に、どれほどの時間を費やし、情報を集め、アイシャのために準備をしてくれたのだろうか。きっと、想像以上に多くの時間を、自分のために割いてくれたのだろう。
だからこそ、アイシャの好きな目玉焼きの食べ方まで知っていた。そして、客人として招待されている立場では、パンに挟んで目玉焼きを食べるなど出来ないこともわかった上で、自らやって見せてくれた。
ここでは、自由に、好きに、振舞ってもいいのだと、言われているようで、胸が熱くなる。
「キース様。わたくしも、やってみていいかしら?」
パンを手に持つと、その上に目玉焼きとベーコンを乗っけて、一口食べる。
「――――美味しい。とっても、美味しいです」
「それは、よかった。アイシャ、ここでは気を使わなくていいから。普段通りのアイシャと、俺は過ごしたい」
「えっ!?」
「いや、その……、なんだ。ここにいる使用人は皆、気心の知れた者たちばかりなんだ。だから、気を使わなくて大丈夫というか、なんというか……」
急に歯切れが悪くなり、口ごもるキースを見て、アイシャの心が温かくなる。
(耳まで赤くなっちゃって、キース様って、可愛いところもあるのね)
「ありがとうございます、キース様。では、普段通り、過ごさせてもらいますわ」
アイシャの言葉に、嬉しそうに笑うキースを見て、鼓動が、ひとつ『トクンっ』と高鳴った。
♢
「アイシャに、会わせたい人がいるんだ」
キースとの初めての朝食が、和やかな雰囲気のまま終わりを迎え、お茶と食後のデザートをキースと共に楽しんでいる時だった。ドライフルーツがたっぷり練り込まれたマフィンに生クリームをたっぷりつけて、口に放り込んだアイシャに、キースが話しかける。
「あわへ、たい、ひと?」
「あぁ、すまない。タイミングが悪かった。先に、食べてくれ」
口の中いっぱいに広がるドライフルーツの自然な甘みと酸味、そしてまろやかな生クリームの舌触りに誘惑されたアイシャは、キースの提案をありがたく受け入れ、思う存分、もしゃもしゃとマフィンを味わう。
(あぁぁ、美味しい。食後のデザートの、なんて贅沢なことか)
家では、太ることを気にした母の徹底した食事管理のせいで、食後のデザートなど夢のまた夢。なんの制限もなくデザートを食べられる喜びにしばし浸る。
お菓子を好きなだけ食べられるだけでも、ここに来た甲斐があったというものだ。
そんなことを考えつつ、アイシャは目の前のマフィンを思う存分堪能する。そんな、彼女の様子をニコニコと笑みを浮かべ見つめるキースの存在にアイシャが気づいたのは、あらかたデザートを平らげた後だった。
(あら、やだ。キースの存在を忘れていたわ。確か、会わせたい人がいるとか、なんとか……)
「キース様、ごめんなさい。あまりにもデザートが美味しくて、夢中になってしまったわ」
「気にしないでくれ。美味しそうに食べているアイシャの姿を見ているだけで、幸せなんだ」
「なっ……、」
(なんて顔して笑うのよ)
幸せそうに笑みくずれるキースの顔を見て、アイシャの顔も赤く染まる。一年ぶりに再会した、あの夜会からずっと、キースの甘々な言動に振り回されっぱなしのアイシャは、どう振舞って良いかわからず焦る。そして、さらに甘さを増していくキースの言動に、男女の駆け引きに疎いアイシャが対処出来るわけもなく、顔を真っ赤にして、うつむくのが精一杯だった。
「アイシャ、顔が真っ赤だ。少しは、俺のこと意識してくれているって、思っていいのかな?」
「へっ? あっ……」
キースの言葉に思わず顔をあげたアイシャは、横に座り優しい笑みを浮かべる彼と目が合う。頬へとかかった蜂蜜色の髪を優しく払ったキースの手が、アイシャの頬へと触れる。
「本当に、綺麗だ。この蜂蜜色の髪も、コバルトブルーの瞳も。そして、赤く染まった頬に、潤んだ瞳……、ねぇ、アイシャ……」
頬を滑ったキースの指先が、唇をなぞる。その行為に、彼とのキスを思い出してしまったアイシャの脳は沸騰した。
(ひぃぃぃぃ、キース様って、キース様って……、あぁぁぁぁ!!!!)
「キ、キース様!! 人、人、人に会わせてくださると!」
「あっ……、そうだったな」
甘い空気をぶち壊すアイシャの大声に、キースがやっと我にかえる。
「アイシャ、すまなかった。あまりにも、アイシャと過ごせる時間が幸せで、暴走してしまった」
視線を逸らし、紡がれるキースの言葉は、最後まで甘い。
耳を赤くしてうつむくキースと、顔を真っ赤に染めたアイシャの様子を、微笑ましく見守るメイドの皆さまという、ある種異様な空気は、ダイニングへと乱入した人物により、突如終わりを迎えることとなる。
「アイシャ、久しぶりだな!」
「えっ!? し、師匠!」
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