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第3章
迂闊な行動
しおりを挟む「はぁぁ……」
アイシャは、行きつけのカフェで紅茶を頼み、窓際のお気に入りの席に座り、ボンヤリと外を眺めていた。
ノア王太子の婚約を祝う夜会以降、アイシャは引き籠り生活に戻っていた。出席しなければならない夜会もなく、病気療養中と言う名目で、茶会や夜会のお誘いは全て断っていた。
王城で開かれた夜会以降、キースに抱き上げられ会場を後にしたアイシャの噂は、良い意味でも悪い意味でも社交界では、ホットな話題として囁かれている。
あの夜、アイシャを守るように周りの貴族を威圧していたキースの態度と、周りの目も気にせずアイシャを大事そうに抱きかかえ立ち去った姿に、キースは婚約者を守るナイトとしての振る舞いを、多くの貴族から賞賛された。
それだけではない。アイシャとの関係を問われた時、キースは堂々と愛する女性と言い切った。そんなキースの態度から、彼とアイシャは婚約者同士と言うことになっている。両家のどちらからも正式な婚約成立の文書が発表されているわけではないのにだ。
(リアムのことなんて忘れて、キースと結婚した方が幸せになれるのかしらね……)
アイシャは、一つため息をこぼし、目の前に置かれたケーキを口に放り込む。『大好きなケーキですら、美味しく感じないのね』とボーッと考えながら、王城で開かれた夜会での一幕を思い出す。バルコニーから見たリアムと婚約者だと思われるグレイス・ドンファン伯爵令嬢とのキスシーンが脳裏をかすめ、胸がジクジクと痛み出す。
リアムと他の女性とのキスシーンに、あんなに動揺するとは思わなかった。それだけリアムがアイシャにとって特別な存在になっていたのだろう。
(リアムを好きでいたって、どうする事も出来ないのにね)
そんな自嘲的なことを思いつつ、もう一口、アイシャはケーキを口に放り込む。
あの夜会以降も、キースはリンベル伯爵家を訪ねて来てくれる。その頻度たるや、『貴方はリンベル伯爵家の家族ですか?』と突っ込みを入れたくなる程だ。
ひょっこり現れては、『店先の花が綺麗だったので、つい買ってしまった』と花束を渡され、次の日には、『騎士団に差し入れられたお菓子が美味しかったので、貴方にも食べさせたくて』と、お茶の席に現れる。また別の日には、『時間が空いたから、久々に剣の練習をしないか?』と、外に連れ出され、数刻後にはナイトレイ侯爵家の練習場で、キースと剣を交わしていた。
副団長補佐へ昇格したと言っていたキースは、忙しいはずなのだ。それなのに、隙間時間を見つけては会いに来てくれる。先日も夕飯の席に、ちゃっかり座っていた。その時の衝撃と言ったら、余りの驚きに母から促されるまで、その場に立ち尽くしてしまったほどだ。
父とも酒を酌み交わし、人付き合いが苦手な父の心をも、がっちり掴んでいた。しかも、キースのことを嫌っていた兄ダニエルをも、あっという間に懐柔した人心掌握術は、見事としか言いようがない。周りへの気遣いといい、格下の伯爵家に対しても驕らない態度といい、文句の付けようがない。
今や両親の心をもがっちり掴み、家族のように接してくれるキースの態度に、アイシャも絆されつつあった。
(両親もキースを気に入っているし、彼と結婚した方が幸せなのよね、絶対……)
このままキースに流される未来を望む心の声が聞こえる一方で、リアムを忘れるために彼を利用してはダメだと叫ぶ小さな声もする。
(やっぱり、一人で生きていく未来を考え直すべきなのかしら?)
答えの出ない問いが、アイシャの頭の中でグルグルと回り、前へ進めない。
気晴らしに街のイケメン観察(腐女子的妄想含む)をしに来たのに、それすらもままならない。そんな自分のはっきりしない態度に、さらに自己嫌悪に堕ちいってしまう。
「よし! 考えるのはやめよう。今は趣味のイケメン観察だ」
紅茶をひと口飲み、気合を入れ直す。
(さてさて、どんなイケメンカップルが通るかな?)
頭の中の懸案事項を追い出し、アイシャは、街中を歩く人の波に目を向ける。好みのイケメンカップルが通らないか、目を凝らし見つめていたアイシャは、見覚えのある人物を見つけ、思わず立ち上がっていた。
「――――っうん!? あれって……、グレイス・ドンファン伯爵令嬢??」
町娘風に変装をしているが、あのフワフワのピンクブロンドの髪にエメラルドの瞳。そして、周りと差をつける圧倒的な可愛らしさ。間違いなくグレイスだ。
ただ、相手が問題だった。
彼女達は、広場のベンチに座り、人目も憚からず絶賛イチャつき中なのだ。簡単に言うと、さっきからチュッチュ、チュッチュしている。ここからでは、相手の男の顔までは見えない。
(まさか、リアムじゃないわよね?)
目深に帽子を被っているため、男の髪色までは分からない。リアムの特徴でもある赤髪を、確認出来ないのだ。
(こんな白昼堂々と、イチャつくなんて破廉恥にも程があるでしょ!! もし相手がリアムだったら一言、言ってやる!)
あちらもお忍びなら、こっちもお忍びだ。どちらもお忍びなら、市井でのトラブルは非公認。貴族なら恥として絶対に口外しないはず。
(先ずは、相手の男が誰か突き止めてやる!)
アイシャは鼻息も荒く席を立つと、あの二人を尾行するべく店を出た。
♢
――――あっ! 立ち上がった。
カフェを出たアイシャは、二人を監視出来る路地の壁に張りつき、息をひそめ、二人の様子を伺う。すると、肩を抱かれたグレイスが、男に促され立ち上がると、二人寄り添い歩き出した。
(行っちゃう……)
アイシャは被っていたつば広帽子を深く被り直し、慌てて追いかける。適度な距離を保ちながら二人の後を追いかけるのは難しい。いつ振り向かれるかビクビクしながら後をつけていたアイシャだったが、グレイスと相手の男は、二人の世界に入っているのかアイシャの存在に気づきもしない。時折り顔を寄せ合い、歩きながらキスをしているようにも見える。
(くっそぉぉ! 私がこんなに苦しんでいるのに、お前らは良い身分だな!! 白昼堂々とイチャつきやがって!!!! あぁぁぁぁ、どうしてやろうか……)
すでにアイシャの頭の中は、相手の男はリアムで決定していた。肩を怒らせ、足を踏み鳴らし歩くアイシャは、すっかり尾行していることを忘れていた。すれ違う人々が、何事かと凝視して行くが、怒り心頭のアイシャは気づかない。
(あっ! 曲がっちゃう!!)
アイシャは二人を見失わないように駆け出し、路地を曲がる。
(――――いない。どこ行ったのかしら?)
狭い路地を見渡すが、先程まで歩いていた二人の姿は何処にも見えない。
(ここって……、マズいかもしれない……)
二人の行為を余す事なく見つめ歩いていたアイシャは、周りを見ていなかった。いつの間にか人通りがなく、寂れた雰囲気の裏路地に来ていた。
(早く大通りに戻らないと!)
慌てて振り返り、元来た道を戻ろうとした時だった。
「ちょっと待ちなよ、嬢ちゃん。そんなに急いで帰らなくてもいいだろう。俺たちと一緒に遊ぼうや」
アイシャの目の前には柄の悪い男、三人組が道を塞ぐように立っていた。
(あちゃぁぁぁ、マズ過ぎるぅぅぅ……)
目の前の男達の内、二人はヒョロっとしていて、あまり強そうには見えない。棒状の物があれば何とか打撃を与えて、逃げるだけなら出来そうだ。しかし、真ん中の巨漢男は無理だ。女の細腕で太刀打ち出来る相手ではない。
ニタニタと笑いながらゆっくり近づいて来る男達に、アイシャも後退するが、限界はある。
「申し訳ございませんが、わたくし急ぎますので其処を退いてはくださいませんか?」
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一か八か、やるしかない。
奴等が油断している今がチャンスだ。
アイシャは鞄に忍ばせていた護身用の短剣を手に持つと、背中に隠しゆっくりと三人の男達へ近づいて行く。
(皮肉よね。リアムに昔もらった短剣が、役に立つ時が来るなんて……)
欠かさず手入れをし、今では短剣として実戦でも使えるように研ぎ直してある。本当、未練タラタラもいいところだ。
(これで逃げられなかったら、末代までリアムを恨んでやるんだから!!)
リアムへの恨み言をつぶやきながら、変な気合を入れたアイシャは、目の前のゴロツキ共を見据え、走り出した。
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