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真紘side

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眠りに落ちた鈴香を腕に抱き、ベッドへと入る。まさか、あの場面で寝てしまうとは思わなかった。

規則正しい寝息を聴きつつ、苦笑が漏れる。

イジメ過ぎてしまったかぁ………

まさか、こんなに早く応えてくれるとは思っていなかった。恋人契約を解消した後も、彼女の動向は追っていたが、嫌われている自覚しか無かった。

鈴香と仲の良い菊池先輩に恥を忍んで協力を仰いで良かった。先輩の趣味に付き合わされたのは勘弁だったが、そのお陰で彼女の窮地に駆けつける事が出来た。

先輩から伝えられた情報は、緊急性を要していた。

『鈴香の元彼がストーカー化している』

復縁を迫るメールが何通も送りつけられていると告げられた時、嫌な予感がした。
浮気を何回も繰り返しても、最後には鈴香の元へと帰って来る男の心情など分かりきっている。あの男にとって彼女は特別な存在だったのだ。絶対に失いたくない存在であるからこそ試したくなってしまった。鈴香の愛を。その愛が失われたと理解した時、絶望と共に噴き出した狂気こそ、あのストーカー行為だったのだろう。

あと少しでも駆けつけるのが遅ければ、鈴香はあの男に暴行されズタズタにされていたかと思うと、震えが止まらない。心の底から間に合って良かったと思う。

ただ、鈴香の心の内は分からない。あの男からのメールを無視し続けていても、実際に会ってしまった今、心が動かないとも限らない。

あの男との五年間が、未だに彼女の心を縛りつけているのだとしたら、鈴香は奴の元へ戻ってしまう可能性すらある。

仕事振りや性格を鑑みても、鈴香は他人に流されるようなタイプではないが、どうしてか男女関係になると真逆になる。
押しに弱く、相手の言動に流されやすい。根はとても優しいのだ。
だからこそ、あんな浮気男と五年も付き合う羽目になったのだと、彼女は気づいているのだろうか?

忌々しい男の顔が脳裏を過り、悪態がついて出る。

「………あぁ、イラつく」

あんな男が未だに鈴香の心に居座っているかと思うと苛立ちが募る。

「う…うぅ…ん………」

むずがる様な声を聞き、彼女を抱いていた腕を緩める。無意識に強く抱き締めていたようだ。

僅かに開いた隙間から鈴香の寝顔を除き見れば、開いた空間を埋めるように擦り寄ってくる。その仕草がまるで甘えん坊の猫のようで愛らしい。熱くなった心のままに彼女を優しく抱き寄せれば、安心したのか規則正しい寝息が聴こえ始めた。

「これからどうすっかなぁ………」

恋愛契約を解消したが、あのままただの先輩と後輩の関係に戻るつもりなど毛頭なかった。どうにかして、彼女との距離を縮めようと模索していた俺にとって、あの男の暴走は、ある意味嬉しい誤算だった。あんなに早く、しかも一番良い形で彼女との距離を縮められるとは思っていなかった。

今朝のやり取りを思い出し笑いが込み上げてくる。

ーーーあれは完全に断るつもりだったよなぁ………

往生際が悪いと言うか、拒否したところで、俺が手放す訳ないのに。

確かに強引だったと思う。彼女の恐怖心を煽り、同居を承諾させた自覚はある。一晩経てば、冷静になり承諾した事を後悔するだろう事も想像していた。だからこそ、逃げられないように先手を打った。

『一度交わした約束を直ぐに反故するのは大人としてどうかと思うよ』

俺との年の差を挙げて、何かと子供扱いする彼女には想像以上に効いた。

彼女は分かっていない。
たかだか7歳の差なんて何の意味もない事を。事実、男女の機微に疎い鈴香は俺に丸め込まれ同居を断ることすら出来なかった。

年上だから何だと言うのだ。俺より人生経験が長かろうと、社会人として先輩だろうと関係ない。男と女の関係になれば年の差なんて関係ないと何故分からない。

ドロドロに甘やかして俺なしではいられなくなればいいのに………

ーーーいや、誰よりも年の差を気にしているのは俺自身か。

未だに過去に囚われ前に進めない。

『真紘、貴方の事は誰よりも大切よ。愛している気持ちも変わらないわ。
でも、もう限界なの………
貴方はまだ子供で、貴方が大人になるのを待てる程、私は強くない。
ママゴトのような恋愛は、もう終わりにしましょう。
ーーーだから、サヨナラ』

陳腐な台詞を残し、去って行った『彼女』の後ろ姿が目に焼きついて離れない。

知らない男の腕に手を絡めた『彼女』の姿が………

腕の中でスヤスヤと心地良い寝息をたて眠る鈴香をかき抱く。突然の強い拘束にイヤイヤと身動ぐ彼女の抵抗を容易く押さえ込み、キスを落とす。

「………」

薄っすらと目を開けた彼女だったが、眠気に勝てなかったのか、直ぐに瞳を閉じてしまった。

鈴香と『彼女』は違うと分かっている。
あんな無責任な女とは違うと分かっている。

真っ直ぐで、勝ち気で、頑張り屋さん。誰からも信頼されるほど優秀で頼りになる存在なのに、たまに抜けていて、そんなアンバランスな所も魅力的に写る。

しっかり者の癖に、何故か男女の仲だけは、押しに弱く流されやすい。
甘え下手で、意地っ張りな鈴香。

彼女の色々な一面を知る度に好きになっていく。

もう彼女を知る前の自分には戻れない。

だからこそ怖い………

彼女がこの手から消えてなくなってしまう事が怖い。

「鈴香、愛している………」

「………うぅ…ん、真紘………」

鈴香の甘い声が俺の名を呼ぶ………

そんな些細な事が、冷え切った心を温めてくれるような気がした。






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