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第一章
狂い始めた歯車
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重い沈黙が馬車内を満たす。それを破ったのは泣き叫ぶように放たれた母の慟哭だった。
「どうして!? どうしてシンシアなのよ!!」
母がシンシアの身体を抱き寄せ、離しまいと腕に力を込める。その痛いほどの抱擁に、シンシアの瞳にも涙が浮かんだ。
離れたくない。
父や母、そして兄。乳姉妹のミアにノクスフェル子爵家のみんな。
大切な家族と離れて教会の管理下に置かれるなど耐えられない。でも、逃げれば間違いなく大切な家族に害が及ぶ。
逃げたいのに、逃げられない。八方塞がりの状況に涙が止まらない。
「嫌よ!! 絶対にシンシアは渡さない。あんな偽善教会にシンシアを渡すくらいなら、わたくしは戦います!!」
「ジャンヌ落ち着きなさい。大切な娘をエリセア教会に渡すつもりはない。だが、奴らの力は巨大だ。個で立ち向かうのは難しい」
セレスティア王国の権力図にも詳しい父が言うのだ。エリセア教会に刃向かうのは、実際に無理なのだろう。
心に絶望感が広がっていく。
やはり、私は教会に行くしかないのだわ。
「じゃあ、大人しくシンシアを渡すの!」
「いいや、渡さない。それは絶対だ。家族を売るような真似は、絶対にしない」
父の愛に涙があふれて止まらない。だからこそ言わなければならない。家族が自分のせいで、二度目の人生でも、破滅に追い込まれるなど、耐えられない。
「お父さま、シンシアはその言葉だけで十分です。大切な家族が私のせいで辛い立場に追い込まれるなど、耐えられません。だから――」
「シンシア、よく聞け。教会でのオメガに対する扱いは、想像する以上にひどいものだ。神の巫女と表では崇めているが、裏で行われているのは人権を無視した性搾取だ」
愕然とする。
回帰前、ベータだったシンシアにはオメガの知識がない。そして、希少性の高いオメガの特徴は女学校でも数が少ないという理由だけで割愛された。
性搾取って……オメガは、性奴隷になると同じということ? あんまりだわ。
「お父さま、うそよね……」
「いいや、うそではない。教会に入ったが最後、搾取され続ける人生が始まる。そこに個人の意思は関係ない」
「そんな、そんな、うそよぉ……」
頭を鈍器で殴られたかのような衝撃に、視界が白く染まる。もう、どうしたら良いかもわからず、母に支えられていなければ、倒れていただろう。
虚無を見つめ涙を流すシンシアの耳に、母の悲痛な叫びが響く。
「……逃げなさい。今すぐ、逃げなさい! 隣国の姉のところまでは、教会の手は伸びないわ」
「あぁ、シンシア。それしか、お前がお前らしく生きる道はない」
「でも、でも……私が逃げれば、お父さまもお母さまも、お兄さまも、ノクスフェル家もどうなるかわかりません」
「いいんだ。私たちのことは考えるな。今は無事に逃げることだけを考えなさい」
紙を取り出した父は、叔母宛の手紙を書くと魔法陣を空中に展開させ、その中へ手紙を落とした。
呪文を唱えると銀色に輝く蝶が魔法陣から飛び出し、ひらひらと舞う。
シンシアは状況も忘れ、銀色に輝く蝶をただただ見つめる。
なぜ魔法通信網があるの?
これが開発されるのは数年後のはず。
今自分の目にしているものが信じられず呆然とするが、疑問を解決する情報も猶予も残されてはいない。
「魔法通信網だ。開発が間に合って良かった。お前が国境に着く頃には叔母さまが迎えに来てくれるだろう。隣国は、バース性に囚われず自由に生きられる風潮の国だ。きっとオメガだろうと幸せになれる」
「えぇ、シンシア幸せになりなさい」
父にキュッと手を握られ、母に抱き寄せられる。
今生の別れになると、誰もが分かっていた。
「お父さま、お母さま、今までお世話になりました。シンシアは幸せになります」
*
ガタガタと揺れる座席にシンシアの身体が悲鳴をあげる。しかし、贅沢は言っていられない。一刻も早く国境の街へと到着しなければならない。シンシアはグッと腹に力を込め、馬車の揺れに耐えた。
教会を出たノクスフェル子爵家の馬車は、街中の一軒の洋品店へと横付けされた。
マントを深く被り、馬車を降りたシンシアは母と共に洋品店へと入った。そして、待機していた娘とマントを交換すると、店主に促され、裏口に停めてあった馬車へと乗り込んだ。
父から洋品店の店主に事情は伝わっていたのだろう。すぐに出発した馬車の中には、数点の簡素な衣服と食料が積まれていた。
王都から国境の街までは馬車で丸二日かかる。しかし、二日も時間はかけられない。明日になり、シンシアが逃げたとわかれば、教会は追手を差し向けるだろう。
揺れる馬車の中、シンシアは自分の身体を抱きしめる。
なぜ、自分はオメガとなってしまったのだろう。
回帰前は確かに青い炎があがりベータと断定されていたのだ。
考えても無駄ね。
運命の神は、どこまでも厳しい試練を与える。
いったい私は、これからどうなるのだろう?
無事に国境の街へたどり着ける保証もない。隣国へ渡ることが出来たとしても、その後の人生はどうなるのか?
あまりにもオメガに関する知識がない。そのことが、不安を募らせる。
父は、オメガは教会で性搾取されると言っていた。つまりは、性搾取されるような変化がオメガの身体には起こるということだ。
未知の身体変化――それは、恐怖でしかない。
今は考えるべきではないわ。
心が押しつぶされてしまったら、元も子もない。
無事に国境の街にたどり着くことだけを考えるべきよ。
休息を取るため、目をつぶる。
処刑されて、回帰して、オメガと言われ、追われる身となった。あまりにも衝撃的なことが続き、心身は己が思う以上に疲弊していた。
揺れる馬車の中、いつの間にか眠っていたシンシアは、突然急停車した馬車の反動で座席から転げ落ちた。
「敵襲です!! お嬢さま、絶対に外に出ないでください!」
剣がぶつかる音、人の叫び声。
盗賊か、教会の追手か。
敵の正体が分かるはずもない。
シンシアは座席の下に身を潜め、震えることしか出来なかった。
ここまでなの?
命をかけて、お父さまとお母さまが、逃げ道を作ってくれたというのに。
無力な自分が悔しくて涙が滲むが、必死にこらえる。
こんなところで捕まってたまるものですか!! どんな手を使ってでも逃げてやる!
自分の身を守りなさいと母から渡された短剣の鞘を外す。銀色に光る短剣だけがシンシアの命綱だった。
外は静まり返っている。
かすかに、馬車内を調べろという声が聞こえシンシアの喉がゴクリと鳴る。
手が汗でじっとりと濡れ、持った短剣の柄が滑り、あわてて握り直した。
緊張している場合ではない。扉が開いた瞬間が勝負だ。
息を潜め、扉が開くのをジッと待つ。そして鈍い音をあげ外から扉が開かれた瞬間、シンシアは渾身の力で短剣の刃先を突き出した。
「おおっと、とんだじゃじゃ馬だ」
突き出した短剣の刃先は敵を切り裂くことなくあっさり弾き落とされ、黒装束の男に組み伏せられる。板張りの床に叩きつけられ、息が詰まった。
そんなシンシアの姿を目の前に、男は残忍な笑みを浮かべる。
「手こずらせんじゃねぇ。貴族だろうが、何だろうが、オメガになった時点で、お前は性奴隷に落ちたんだ。ふざけた真似すると、ここで犯すぞ」
「おいおい、おびえてるじゃねぇか。綺麗なまま連れて来いとの、上からのご命令だ。丁重に扱えよ」
仲間と思しき男が背後から顔をのぞかせ、嘲りの笑みを浮かべる。
「まぁ、味見するくらいはいいんじゃねぇか。俺ら下っ端にも旨みがなけりゃ、やってらんねぇ」
「あぁ、そうだな。処女であれば問題ねぇな。後で、代われよ」
絶望的な言葉を残し、仲間の男が去っていく。
二人きりになった馬車の中、獲物を前にした男の欲望が隠しきれず、あふれ出していた。
「どうして!? どうしてシンシアなのよ!!」
母がシンシアの身体を抱き寄せ、離しまいと腕に力を込める。その痛いほどの抱擁に、シンシアの瞳にも涙が浮かんだ。
離れたくない。
父や母、そして兄。乳姉妹のミアにノクスフェル子爵家のみんな。
大切な家族と離れて教会の管理下に置かれるなど耐えられない。でも、逃げれば間違いなく大切な家族に害が及ぶ。
逃げたいのに、逃げられない。八方塞がりの状況に涙が止まらない。
「嫌よ!! 絶対にシンシアは渡さない。あんな偽善教会にシンシアを渡すくらいなら、わたくしは戦います!!」
「ジャンヌ落ち着きなさい。大切な娘をエリセア教会に渡すつもりはない。だが、奴らの力は巨大だ。個で立ち向かうのは難しい」
セレスティア王国の権力図にも詳しい父が言うのだ。エリセア教会に刃向かうのは、実際に無理なのだろう。
心に絶望感が広がっていく。
やはり、私は教会に行くしかないのだわ。
「じゃあ、大人しくシンシアを渡すの!」
「いいや、渡さない。それは絶対だ。家族を売るような真似は、絶対にしない」
父の愛に涙があふれて止まらない。だからこそ言わなければならない。家族が自分のせいで、二度目の人生でも、破滅に追い込まれるなど、耐えられない。
「お父さま、シンシアはその言葉だけで十分です。大切な家族が私のせいで辛い立場に追い込まれるなど、耐えられません。だから――」
「シンシア、よく聞け。教会でのオメガに対する扱いは、想像する以上にひどいものだ。神の巫女と表では崇めているが、裏で行われているのは人権を無視した性搾取だ」
愕然とする。
回帰前、ベータだったシンシアにはオメガの知識がない。そして、希少性の高いオメガの特徴は女学校でも数が少ないという理由だけで割愛された。
性搾取って……オメガは、性奴隷になると同じということ? あんまりだわ。
「お父さま、うそよね……」
「いいや、うそではない。教会に入ったが最後、搾取され続ける人生が始まる。そこに個人の意思は関係ない」
「そんな、そんな、うそよぉ……」
頭を鈍器で殴られたかのような衝撃に、視界が白く染まる。もう、どうしたら良いかもわからず、母に支えられていなければ、倒れていただろう。
虚無を見つめ涙を流すシンシアの耳に、母の悲痛な叫びが響く。
「……逃げなさい。今すぐ、逃げなさい! 隣国の姉のところまでは、教会の手は伸びないわ」
「あぁ、シンシア。それしか、お前がお前らしく生きる道はない」
「でも、でも……私が逃げれば、お父さまもお母さまも、お兄さまも、ノクスフェル家もどうなるかわかりません」
「いいんだ。私たちのことは考えるな。今は無事に逃げることだけを考えなさい」
紙を取り出した父は、叔母宛の手紙を書くと魔法陣を空中に展開させ、その中へ手紙を落とした。
呪文を唱えると銀色に輝く蝶が魔法陣から飛び出し、ひらひらと舞う。
シンシアは状況も忘れ、銀色に輝く蝶をただただ見つめる。
なぜ魔法通信網があるの?
これが開発されるのは数年後のはず。
今自分の目にしているものが信じられず呆然とするが、疑問を解決する情報も猶予も残されてはいない。
「魔法通信網だ。開発が間に合って良かった。お前が国境に着く頃には叔母さまが迎えに来てくれるだろう。隣国は、バース性に囚われず自由に生きられる風潮の国だ。きっとオメガだろうと幸せになれる」
「えぇ、シンシア幸せになりなさい」
父にキュッと手を握られ、母に抱き寄せられる。
今生の別れになると、誰もが分かっていた。
「お父さま、お母さま、今までお世話になりました。シンシアは幸せになります」
*
ガタガタと揺れる座席にシンシアの身体が悲鳴をあげる。しかし、贅沢は言っていられない。一刻も早く国境の街へと到着しなければならない。シンシアはグッと腹に力を込め、馬車の揺れに耐えた。
教会を出たノクスフェル子爵家の馬車は、街中の一軒の洋品店へと横付けされた。
マントを深く被り、馬車を降りたシンシアは母と共に洋品店へと入った。そして、待機していた娘とマントを交換すると、店主に促され、裏口に停めてあった馬車へと乗り込んだ。
父から洋品店の店主に事情は伝わっていたのだろう。すぐに出発した馬車の中には、数点の簡素な衣服と食料が積まれていた。
王都から国境の街までは馬車で丸二日かかる。しかし、二日も時間はかけられない。明日になり、シンシアが逃げたとわかれば、教会は追手を差し向けるだろう。
揺れる馬車の中、シンシアは自分の身体を抱きしめる。
なぜ、自分はオメガとなってしまったのだろう。
回帰前は確かに青い炎があがりベータと断定されていたのだ。
考えても無駄ね。
運命の神は、どこまでも厳しい試練を与える。
いったい私は、これからどうなるのだろう?
無事に国境の街へたどり着ける保証もない。隣国へ渡ることが出来たとしても、その後の人生はどうなるのか?
あまりにもオメガに関する知識がない。そのことが、不安を募らせる。
父は、オメガは教会で性搾取されると言っていた。つまりは、性搾取されるような変化がオメガの身体には起こるということだ。
未知の身体変化――それは、恐怖でしかない。
今は考えるべきではないわ。
心が押しつぶされてしまったら、元も子もない。
無事に国境の街にたどり着くことだけを考えるべきよ。
休息を取るため、目をつぶる。
処刑されて、回帰して、オメガと言われ、追われる身となった。あまりにも衝撃的なことが続き、心身は己が思う以上に疲弊していた。
揺れる馬車の中、いつの間にか眠っていたシンシアは、突然急停車した馬車の反動で座席から転げ落ちた。
「敵襲です!! お嬢さま、絶対に外に出ないでください!」
剣がぶつかる音、人の叫び声。
盗賊か、教会の追手か。
敵の正体が分かるはずもない。
シンシアは座席の下に身を潜め、震えることしか出来なかった。
ここまでなの?
命をかけて、お父さまとお母さまが、逃げ道を作ってくれたというのに。
無力な自分が悔しくて涙が滲むが、必死にこらえる。
こんなところで捕まってたまるものですか!! どんな手を使ってでも逃げてやる!
自分の身を守りなさいと母から渡された短剣の鞘を外す。銀色に光る短剣だけがシンシアの命綱だった。
外は静まり返っている。
かすかに、馬車内を調べろという声が聞こえシンシアの喉がゴクリと鳴る。
手が汗でじっとりと濡れ、持った短剣の柄が滑り、あわてて握り直した。
緊張している場合ではない。扉が開いた瞬間が勝負だ。
息を潜め、扉が開くのをジッと待つ。そして鈍い音をあげ外から扉が開かれた瞬間、シンシアは渾身の力で短剣の刃先を突き出した。
「おおっと、とんだじゃじゃ馬だ」
突き出した短剣の刃先は敵を切り裂くことなくあっさり弾き落とされ、黒装束の男に組み伏せられる。板張りの床に叩きつけられ、息が詰まった。
そんなシンシアの姿を目の前に、男は残忍な笑みを浮かべる。
「手こずらせんじゃねぇ。貴族だろうが、何だろうが、オメガになった時点で、お前は性奴隷に落ちたんだ。ふざけた真似すると、ここで犯すぞ」
「おいおい、おびえてるじゃねぇか。綺麗なまま連れて来いとの、上からのご命令だ。丁重に扱えよ」
仲間と思しき男が背後から顔をのぞかせ、嘲りの笑みを浮かべる。
「まぁ、味見するくらいはいいんじゃねぇか。俺ら下っ端にも旨みがなけりゃ、やってらんねぇ」
「あぁ、そうだな。処女であれば問題ねぇな。後で、代われよ」
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