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第二章
ダレン視点
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王城の豪奢な客間に通されてから数時間。
ダレンは、目的の人物が来るのを、今か今かと待っていた。
まだ、来ないのか?
評議会の連中は何をやっているんだ!! たかだか、あの女の処遇を決めるだけだろうが!?
苛立ちに、足が小刻みに揺れる。
多忙を極める待ち人に、苛立ちをぶつけたところで仕方がないとわかっている。ただ、思うように事が進まない現状が、焦りを募らせる。
全てを終わらせ、シンシアと結婚したい。そして、許しが得られるのなら番となりたい。
因縁の相手――聖女さえ、闇に葬りさればシンシアとの明るい未来が待っている。だというのに、あの女の処遇だけが、はっきりしない。
すべては、不甲斐ない自分のせいなのだ。
決定的証拠となるはずだった魔法記録装置の故障。何度も、調整を試みたが聖女の愚行が映像として映し出されることはなかった。
己の力不足を棚に上げ、待ち人を責めるなど、卑怯だとわかっている。ただ、このままこう着状態が続けば、シンシアに隠し通すのも難しくなる。
彼女には、すべて順調だと伝えている。
エリセア教会の悪事も、聖女の実態も、白日の下に晒されると言ったのに、事は予想外な方向へと進んでいるのだ。
万が一にも、今の状況が彼女の耳に入りでもしたら、やっと得られた信頼を失いかねない。
――それだけは、絶対に阻止しなければ。
「すまない。ダレン、待たせたね」
「そんな事はどうでもいい。それで、評議会の方は、どうなった?」
疲れた顔を隠そうともせず、向かいのソファに腰掛けた王太子レオニスを見て、評議会の決定が思うものではなかったことを悟る。
「……そうだね。私たちの望み通りには、進まなかったとだけ伝えておくよ」
「つまりは、聖女リディアは罰せないと?」
「今のままでは、難しいだろうね。聖女がアルファ貴族を操っていた確固たる証拠がない」
「だが、あのサークレットが破壊された今、洗脳は解けたはずだ。エリセア教会の非人道的なオメガ支配が明るみに出れば、聖女リディアの関与は――」
「――難しいだろうな。エリセア教会の前教皇派は、聖女を担ぎ上げ、民衆を扇動しようとしている。平民の間で、いまだ聖女の人気は高い。そんな中リディアを処罰すれば、暴動に繋がる可能性がある。それだけは避けなければならない」
聖女を悪とすれば、リディアを崇拝する教徒が暴徒化するか。その火が平民の不満に飛び火すれば、一気に不平不満は広がり大規模な暴動へと繋がるということか。
それを恐れ、評議会は聖女リディアの処罰に消極的だと。
「くそ!! どいつもこいつも腰抜けどもめ!!」
「ダレン、そう焦るな。焦れば、いい結果も得られない。今は旧エリセア教会の出方を見るべきだ。彼らの目的は、今のエリセア教会の解体。我らと目的は同じだ」
「しかし……どこまで、信用して良いものか。アイツらもエリセア教会であることには、変わらないだろ」
「だからこそ、使えるんじゃないか。ダレンに、一つ朗報を教えよう」
「朗報だと?」
「あぁ。旧エリセア教会の上層部の話では、聖女リディアはエリシエル神の聖女でもなくなったそうだぞ」
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ。エリシエル神の祝福を受け、聖女になったにも関わらず、悪神と契約を交わしたらしい」
「――悪神だと?」
「あぁ。エリシエル神の天敵、悪神ダーラさ」
王太子の言葉に心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
なぜ、今の今まで忘れていたのだろう。
回帰の禁忌魔法を発動させるために契約を交わした神のことを。
――嫌な予感がする。
あの赤髪の男神と聖女リディアが契約を交わしたと言うのか。
そんな偶然、ある訳がない。
魔法記録装置が壊れ、聖女の悪事がうやむやになり、しまいには聖女が次期教皇候補に推挙される事態となっている。すべてが、あの権力欲の強い女の思惑通りに進んでいる。
破壊と想像の神ダーラ。
神の御技を以てすれば、物事を有利に進めることなど造作もない。
なぜ、ダーラは聖女リディアと契約するに至ったのか。
あの男神は何を考えている?
――神との契約には、代償がともなう。
突如、頭に浮かんだ言葉に、恐怖が喉元をせり上がり、眩暈がする。――いいや、本当に眩暈がしているのだ。視界がグラグラと揺れ、目の前の王太子の顔がぐにゃりと歪んだ。
「――やっと、効いてきたようだね」
「なに、を……、のま、せた……」
「毒ではないよ。ちょっと、眠ってもらおうと思ってね」
「レオニス、貴さま……裏切った、のか」
「裏切った? おかしいな。俺は誰も裏切っていないよ。わたしは、己の利でしか動かないからね。ただ、それだけのことさ。さぁ、ダレン、さる御方が君をご所望だよ」
「だれが……俺を――――」
レオニスの歪みきった笑みを最後に視界は暗転した。
*
静寂に包まれた世界。
俺はこの世界を知っている。
上も下も、右も左もない真っ白な空間にダレンの身体は揺蕩っている。
いいや、身体なんてない。
魂の世界とでも言うのか――現世とは切り離された世界に、ダレンは一度来たことがあった。
だから、わかる。
この世界にあの男神がいると。
「どこにいる? 破壊と想像の神、ダーラ!」
「――そう、騒ぐでない。我の依代よ。すぐに、顕現しようぞ」
頭の中で響いた声と共に現れた赤髪の男は、初めて出会った時と同じく、禍々しくも美しい金色のオーラを纏っていた。
「貴さま! どういうつもりだ!!」
「はて、どういうつもりとは、何ぞや?」
「白々しい! レオニスと結託して、俺に毒を盛っただろう!」
「毒とは、はて? 我はあの男に、お主を連れて来いと命じたまでよ。命までは取ってはおらん。その証拠にお主の身体は、まだ生きておる。ほら、見よ」
真っ白な空間に、突如として現れた映像には翡翠色の泉が見える。そして、泉の真ん中に佇む祭壇らしき石版。その上に乗せられた人物を見て、ダレンは息を呑んだ。
真上から自分自身を見下ろしているという奇妙な状況に、思考が混乱する。
――俺は、夢を見ているのか?
「……夢か。確かに、夢に近いかもしれんな。ここは、魂が交わる場所、だからな」
「魂が交わる場所だと? 魂だけ身体から抜け出た状態だとでも、言うつもりか」
「半分正しく、半分違うな。お主の魂はあの身体の中にある。――今はな。魂が抜け出る。それは、肉体の死を意味する。今のお主は、意識だけ別世界に来たようなものだ」
「なぜ、そんな真似をした?」
「そんな真似? あぁ、意識だけ引き抜いた理由か。……くくく、お主も薄々は気づいているのではないか」
試すような笑みを浮かべる男神に、嫌な予感が当たったことを悟った。
「代償か……」
「察しの良いことで、助かるな。そうだ、時間を戻してやった代償は、お主の肉体よ」
「肉体だと? 俺の魂ではないのか?」
「くくく、お主の魂などいらん。欲しいのは、我を宿す器よ」
「なぜ、そんなことを! ダーラ、お前は人間にでも、なるつもりなのか!? いったい何のために……まさか――っ、シンシア!!」
「ご名答。エリシエルの魂が宿る女よ。あの娘を手に入れるために、ダレン――お主の身体が必要ぞ」
ずっと疑問に感じていた。
なぜ、シンシアはオメガになったのか。
ダレンが神ダーラと契約した代償がシンシアへと転じた結果、オメガになったのだと思っていた。だが、その考えが間違いだったと気づいた出来事があった。
聖女リディアからの攻撃。二人を守った金色の蝶の群れ。そして、シンシアの胸元で金色に輝いていた涙石。
あれらは、慈愛の神エリシエルの力によるものだ。
シンシアにはエリシエルの加護がついている。
「シンシアの身体の中に、エリシエル神がいるのか?」
「……だろうな。だが、あやつは我を嫌っておるからのぉ。そうやすやすと、尻尾を出さんよ」
「ではなぜ……シンシアの身体に、エリシエルがいるとわかる?」
「くくく、わかるわなぁ。エリシエルは、我の魂の番よ。あやつが力を使えば、すぐに居場所などわかる」
――あの時か。
シンシアのオメガフェロモンは、聖騎士を跪かせた。そんな芸当、エリシエル神の慈愛の力なくしてはあり得ない。
シンシアが聖女の目の前でオメガフェロモンを発した時、ダーラ神も近くにいたということか。
「ダーラ神、俺の身体を乗っ取り、お前はシンシアに何をするつもりだ!?」
「くくく……我の望みは、ただ一つ。その望みをお主が知る必要はない。――さて、もうじき赤い月が満ちる。我の力が最も強まる時よの。その前に契約の代償として身体を明け渡してもらおうか」
残忍な笑みを浮かべダーラ神が、天に手をかざす。
紅蓮の炎が立ち上り、真っ白な空間が真っ赤に染められていく。
――そして、ダレンめがけ炎の刃が放たれた。
「なぁに、痛みはない。すぐ楽にしてやる」
「くそっ!!――――」
逃げることなど出来ない。
神との契約の代償を回避することは不可能だ。
それは、世界の理を曲げた罪なのだから……
赤い炎の刃が四方八方からダレンの身体を貫いた。
痛みも、苦しみもない。
ただ、鎖に繋がれたように身体は動かない。なのに、目だけは残酷な映像を捉えてしまう。
石版の上に置かれた身体が起き上がり、歓喜の雄叫びをあげる。
「くく、くくく、はははは!! ――やっと、やっとだ。手に入れたぞ、人間の身体というやつを。待っておれ、エリシエルよ!!」
身体を乗っ取られ、俺の魂はどうなるのだろうか?
ダーラは魂の死は肉体の死を意味すると言っていた。あの身体には俺の魂がまだ存在するということなのだろう。
ならば、今の俺の状態は何なんだ。
意識――精神をダーラに乗っ取られた状態なのだろうか。
……わからない。
この空間に拘束され、ダーラに乗っ取られた身体を見続けるのだろうか。
こんな場所に囚われている場合ではない。シンシアが狙われているのだ。
奴の思惑が何かはわからない。
だからこそ、一刻も早くシンシアを逃がさなければならない。
必死に身体を動かそうとするが、指一本動かない。
俺には何も出来ないのか。
シンシアを守ることも、逃すことさえも出来ないのか。
――また、俺はシンシアを見殺しにしてしまうのか。
不甲斐ない。
不甲斐なくて、惨めだ。
何も出来ない無力な自分に、心が死んでいく。
考えたくない。
今は、何も考えたくない。
逃げるように意識が遠のいていく。
すべてが夢であったなら。
悪夢が覚めれば、暖かなシンシアの腕の中であったなら。これは、悪い夢……
――だが、現実はどこまでも残酷だった。
次に意識を取り戻した時、身体を貫いていた炎の刃は赤い鎖となり、身体の自由を奪っていた。
真っ白な空間に鎖で繋がれ、身動きすら取れず、現世の映像から目を逸らすことも許されない。
「ダーラ神さま、おめでとうございます」
目の前で流れる映像には、聖女リディアを筆頭に、王太子レオニス、そしてエリセア教の司教が、ダーラ神に身体を乗っ取られたダレンの前に跪いていた。
ダレンは、目的の人物が来るのを、今か今かと待っていた。
まだ、来ないのか?
評議会の連中は何をやっているんだ!! たかだか、あの女の処遇を決めるだけだろうが!?
苛立ちに、足が小刻みに揺れる。
多忙を極める待ち人に、苛立ちをぶつけたところで仕方がないとわかっている。ただ、思うように事が進まない現状が、焦りを募らせる。
全てを終わらせ、シンシアと結婚したい。そして、許しが得られるのなら番となりたい。
因縁の相手――聖女さえ、闇に葬りさればシンシアとの明るい未来が待っている。だというのに、あの女の処遇だけが、はっきりしない。
すべては、不甲斐ない自分のせいなのだ。
決定的証拠となるはずだった魔法記録装置の故障。何度も、調整を試みたが聖女の愚行が映像として映し出されることはなかった。
己の力不足を棚に上げ、待ち人を責めるなど、卑怯だとわかっている。ただ、このままこう着状態が続けば、シンシアに隠し通すのも難しくなる。
彼女には、すべて順調だと伝えている。
エリセア教会の悪事も、聖女の実態も、白日の下に晒されると言ったのに、事は予想外な方向へと進んでいるのだ。
万が一にも、今の状況が彼女の耳に入りでもしたら、やっと得られた信頼を失いかねない。
――それだけは、絶対に阻止しなければ。
「すまない。ダレン、待たせたね」
「そんな事はどうでもいい。それで、評議会の方は、どうなった?」
疲れた顔を隠そうともせず、向かいのソファに腰掛けた王太子レオニスを見て、評議会の決定が思うものではなかったことを悟る。
「……そうだね。私たちの望み通りには、進まなかったとだけ伝えておくよ」
「つまりは、聖女リディアは罰せないと?」
「今のままでは、難しいだろうね。聖女がアルファ貴族を操っていた確固たる証拠がない」
「だが、あのサークレットが破壊された今、洗脳は解けたはずだ。エリセア教会の非人道的なオメガ支配が明るみに出れば、聖女リディアの関与は――」
「――難しいだろうな。エリセア教会の前教皇派は、聖女を担ぎ上げ、民衆を扇動しようとしている。平民の間で、いまだ聖女の人気は高い。そんな中リディアを処罰すれば、暴動に繋がる可能性がある。それだけは避けなければならない」
聖女を悪とすれば、リディアを崇拝する教徒が暴徒化するか。その火が平民の不満に飛び火すれば、一気に不平不満は広がり大規模な暴動へと繋がるということか。
それを恐れ、評議会は聖女リディアの処罰に消極的だと。
「くそ!! どいつもこいつも腰抜けどもめ!!」
「ダレン、そう焦るな。焦れば、いい結果も得られない。今は旧エリセア教会の出方を見るべきだ。彼らの目的は、今のエリセア教会の解体。我らと目的は同じだ」
「しかし……どこまで、信用して良いものか。アイツらもエリセア教会であることには、変わらないだろ」
「だからこそ、使えるんじゃないか。ダレンに、一つ朗報を教えよう」
「朗報だと?」
「あぁ。旧エリセア教会の上層部の話では、聖女リディアはエリシエル神の聖女でもなくなったそうだぞ」
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ。エリシエル神の祝福を受け、聖女になったにも関わらず、悪神と契約を交わしたらしい」
「――悪神だと?」
「あぁ。エリシエル神の天敵、悪神ダーラさ」
王太子の言葉に心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
なぜ、今の今まで忘れていたのだろう。
回帰の禁忌魔法を発動させるために契約を交わした神のことを。
――嫌な予感がする。
あの赤髪の男神と聖女リディアが契約を交わしたと言うのか。
そんな偶然、ある訳がない。
魔法記録装置が壊れ、聖女の悪事がうやむやになり、しまいには聖女が次期教皇候補に推挙される事態となっている。すべてが、あの権力欲の強い女の思惑通りに進んでいる。
破壊と想像の神ダーラ。
神の御技を以てすれば、物事を有利に進めることなど造作もない。
なぜ、ダーラは聖女リディアと契約するに至ったのか。
あの男神は何を考えている?
――神との契約には、代償がともなう。
突如、頭に浮かんだ言葉に、恐怖が喉元をせり上がり、眩暈がする。――いいや、本当に眩暈がしているのだ。視界がグラグラと揺れ、目の前の王太子の顔がぐにゃりと歪んだ。
「――やっと、効いてきたようだね」
「なに、を……、のま、せた……」
「毒ではないよ。ちょっと、眠ってもらおうと思ってね」
「レオニス、貴さま……裏切った、のか」
「裏切った? おかしいな。俺は誰も裏切っていないよ。わたしは、己の利でしか動かないからね。ただ、それだけのことさ。さぁ、ダレン、さる御方が君をご所望だよ」
「だれが……俺を――――」
レオニスの歪みきった笑みを最後に視界は暗転した。
*
静寂に包まれた世界。
俺はこの世界を知っている。
上も下も、右も左もない真っ白な空間にダレンの身体は揺蕩っている。
いいや、身体なんてない。
魂の世界とでも言うのか――現世とは切り離された世界に、ダレンは一度来たことがあった。
だから、わかる。
この世界にあの男神がいると。
「どこにいる? 破壊と想像の神、ダーラ!」
「――そう、騒ぐでない。我の依代よ。すぐに、顕現しようぞ」
頭の中で響いた声と共に現れた赤髪の男は、初めて出会った時と同じく、禍々しくも美しい金色のオーラを纏っていた。
「貴さま! どういうつもりだ!!」
「はて、どういうつもりとは、何ぞや?」
「白々しい! レオニスと結託して、俺に毒を盛っただろう!」
「毒とは、はて? 我はあの男に、お主を連れて来いと命じたまでよ。命までは取ってはおらん。その証拠にお主の身体は、まだ生きておる。ほら、見よ」
真っ白な空間に、突如として現れた映像には翡翠色の泉が見える。そして、泉の真ん中に佇む祭壇らしき石版。その上に乗せられた人物を見て、ダレンは息を呑んだ。
真上から自分自身を見下ろしているという奇妙な状況に、思考が混乱する。
――俺は、夢を見ているのか?
「……夢か。確かに、夢に近いかもしれんな。ここは、魂が交わる場所、だからな」
「魂が交わる場所だと? 魂だけ身体から抜け出た状態だとでも、言うつもりか」
「半分正しく、半分違うな。お主の魂はあの身体の中にある。――今はな。魂が抜け出る。それは、肉体の死を意味する。今のお主は、意識だけ別世界に来たようなものだ」
「なぜ、そんな真似をした?」
「そんな真似? あぁ、意識だけ引き抜いた理由か。……くくく、お主も薄々は気づいているのではないか」
試すような笑みを浮かべる男神に、嫌な予感が当たったことを悟った。
「代償か……」
「察しの良いことで、助かるな。そうだ、時間を戻してやった代償は、お主の肉体よ」
「肉体だと? 俺の魂ではないのか?」
「くくく、お主の魂などいらん。欲しいのは、我を宿す器よ」
「なぜ、そんなことを! ダーラ、お前は人間にでも、なるつもりなのか!? いったい何のために……まさか――っ、シンシア!!」
「ご名答。エリシエルの魂が宿る女よ。あの娘を手に入れるために、ダレン――お主の身体が必要ぞ」
ずっと疑問に感じていた。
なぜ、シンシアはオメガになったのか。
ダレンが神ダーラと契約した代償がシンシアへと転じた結果、オメガになったのだと思っていた。だが、その考えが間違いだったと気づいた出来事があった。
聖女リディアからの攻撃。二人を守った金色の蝶の群れ。そして、シンシアの胸元で金色に輝いていた涙石。
あれらは、慈愛の神エリシエルの力によるものだ。
シンシアにはエリシエルの加護がついている。
「シンシアの身体の中に、エリシエル神がいるのか?」
「……だろうな。だが、あやつは我を嫌っておるからのぉ。そうやすやすと、尻尾を出さんよ」
「ではなぜ……シンシアの身体に、エリシエルがいるとわかる?」
「くくく、わかるわなぁ。エリシエルは、我の魂の番よ。あやつが力を使えば、すぐに居場所などわかる」
――あの時か。
シンシアのオメガフェロモンは、聖騎士を跪かせた。そんな芸当、エリシエル神の慈愛の力なくしてはあり得ない。
シンシアが聖女の目の前でオメガフェロモンを発した時、ダーラ神も近くにいたということか。
「ダーラ神、俺の身体を乗っ取り、お前はシンシアに何をするつもりだ!?」
「くくく……我の望みは、ただ一つ。その望みをお主が知る必要はない。――さて、もうじき赤い月が満ちる。我の力が最も強まる時よの。その前に契約の代償として身体を明け渡してもらおうか」
残忍な笑みを浮かべダーラ神が、天に手をかざす。
紅蓮の炎が立ち上り、真っ白な空間が真っ赤に染められていく。
――そして、ダレンめがけ炎の刃が放たれた。
「なぁに、痛みはない。すぐ楽にしてやる」
「くそっ!!――――」
逃げることなど出来ない。
神との契約の代償を回避することは不可能だ。
それは、世界の理を曲げた罪なのだから……
赤い炎の刃が四方八方からダレンの身体を貫いた。
痛みも、苦しみもない。
ただ、鎖に繋がれたように身体は動かない。なのに、目だけは残酷な映像を捉えてしまう。
石版の上に置かれた身体が起き上がり、歓喜の雄叫びをあげる。
「くく、くくく、はははは!! ――やっと、やっとだ。手に入れたぞ、人間の身体というやつを。待っておれ、エリシエルよ!!」
身体を乗っ取られ、俺の魂はどうなるのだろうか?
ダーラは魂の死は肉体の死を意味すると言っていた。あの身体には俺の魂がまだ存在するということなのだろう。
ならば、今の俺の状態は何なんだ。
意識――精神をダーラに乗っ取られた状態なのだろうか。
……わからない。
この空間に拘束され、ダーラに乗っ取られた身体を見続けるのだろうか。
こんな場所に囚われている場合ではない。シンシアが狙われているのだ。
奴の思惑が何かはわからない。
だからこそ、一刻も早くシンシアを逃がさなければならない。
必死に身体を動かそうとするが、指一本動かない。
俺には何も出来ないのか。
シンシアを守ることも、逃すことさえも出来ないのか。
――また、俺はシンシアを見殺しにしてしまうのか。
不甲斐ない。
不甲斐なくて、惨めだ。
何も出来ない無力な自分に、心が死んでいく。
考えたくない。
今は、何も考えたくない。
逃げるように意識が遠のいていく。
すべてが夢であったなら。
悪夢が覚めれば、暖かなシンシアの腕の中であったなら。これは、悪い夢……
――だが、現実はどこまでも残酷だった。
次に意識を取り戻した時、身体を貫いていた炎の刃は赤い鎖となり、身体の自由を奪っていた。
真っ白な空間に鎖で繋がれ、身動きすら取れず、現世の映像から目を逸らすことも許されない。
「ダーラ神さま、おめでとうございます」
目の前で流れる映像には、聖女リディアを筆頭に、王太子レオニス、そしてエリセア教の司教が、ダーラ神に身体を乗っ取られたダレンの前に跪いていた。
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