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五
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「なかったことにて、どういうことやの!」
唖然としていたのもつかの間、寿子が身を乗り出して畳をたたいた。清一郎は一瞬びくっとしながらも寿子をしっかり見返した。
「ど、どういうことはこっちの台詞や。人のおらん間に勝手に祝言まで勝手に……」
「それはあんたがいつまで経っても顔を見せへんからやないの。今日までに一回でもそうやって現れてくれはったら、お話もちゃんと聞けたのになぁ……残念や」
「そ、それはすんまへん……でもわしはお客さんから『東京にあやかしが見える女子がおる』て聞いたから、うちの店に呼んだらどないやって言うただけや。嫁として、やなんて言うてへん」
正当な主張をしていると言いたげだが、そんなものは立腹している寿子には通用しない。寿子は、帯に挟んでいた扇子で清一郎の額をペシペシはたいた。
「店主のあんさんが、わざわざ女子を呼びたいなんて言うたら、誰でも嫁取りやて思いますやろ! いつまで暢気な坊でいるつもりや。しっかりしなはれ!」
「い、痛い痛い! 何するねんな! お母はんこそ、その子ども扱いやめぇ!」
「よりによって祝言の席を台無しにするようなアホが何言うてますのや! お客様や店の者、なによりスズさんの顔潰してからに!」
スズは、ただただ目の前の光景に圧倒されていた。
鬼の面を被った清一郎が、鬼のような気迫の寿子に打ち据えられている。態度こそ堂々たるものだったのに、今では逃げ腰で、はっきり言って格好悪い……。
(このお人、いったい何がしたいんやろう?)
首をかしげている間に、奉公人たちが駆けつけ、寿子と清一郎を引き離した。それでも寿子の怒りは収まっていない。だが離れたことで、清一郎は少し落ち着きを取り戻したようだ。
「わしは……嫁を貰う気はない。あんたを呼んだんは、そんなつもりやなかったんや。すまんかった」
清一郎は居住まいを正して、スズに対して深々と頭を下げた。
そんな殊勝なことをされては、スズはかえって困惑してしまう。
「や、やめてください。そんな……」
「この祝言は、すべて取り消しや。その責は全部わしが負う。あんた……スズさんも、その打ち掛けやお母はんが揃えた道具類は全部好きにしてええさかい、好きなところへ行け。家に戻るなら……しんどいやろけど、一筆書くなりなんなりするさかい」
「そ、それだけは堪忍してください!」
おとなしく話を聞いていたスズが大声を出したものだから、清一郎も寿子も驚いている。そして、そのまま続きを促している。
「家には……もう帰れません。お義母様が迎えにきてくれはった時に、あの人らはうちのことは捨てたんです。そやから、このお店に尽くすて決めました。もうここ以外行くところなんてないので、どうか……」
「ほな、別の店に奉公に……」
清一郎がそう言おうとした、その時だった。清一郎の頭上に、また扇子がトスンと落ちて、言葉を遮った。そして、代わりに寿子が上機嫌な声で告げたのだった。
「スズさん、よう言うた! ほな、あんさんら、ちょっと賭けでもしてみなはれ」
「……賭け?」
スズと清一郎の声が重なった。寿子は二人を順番に見つめた。
「スズさん、今からあんさんに、この店で一番大事なお役目を任せます。それが果たせへんかった時は、この店を辞めてもらいます……ああ、ちゃんと別のお店を紹介しますさかい」
「だ、大事なお役目……ですか?」
寿子は大きく頷き、今度は清一郎を見る。
「スズさんがお役目を無事に果たすことができたら、その時はこの店の……あんさんの嫁として認める。よろしいな、清一郎?」
「……わかった」
清一郎は、しぶしぶ頷いた。
すると寿子が、皆に聞こえるように大きく手を打った。
「そうと決まったら早速働いてもらいまひょ、スズさん」
「はい!」
角隠しをつけた打ち掛け姿のまま、スズは居住まいを正す。そんなスズに、寿子の指がすぅっと向けられる。
「あんさんの仕事は、そこにいる旦さんを捕まえることだす」
「……はい?」
「へ!?」
スズの声と重なって、素っ頓狂な声が響く。
だが周囲からは、またどっと賑やかな声が湧いた。
「そらええわ! そんな大事な仕事、他にあらへん」
「頑張ってぇや。坊はすぐ逃げるさかい、ええ加減、捕まえてんか」
客たちは、こぞってそう言って、大笑いしていた。
「な……なっ……!?」
ぷるぷる震える清一郎を見て、寿子はスズを急かす。
「ほれ、早うせんと。清一郎は逃げ足だけは逸品なんやから、逃げられまっせ」
「に、逃げられ……え!?」
「こら、あかん!」
何が起きているのかさっぱりわからず、スズがきょろきょろしていると、どういうわけか、清一郎の姿がすぅっと消えてしまった。まるで雲か霞のように、空気に溶けてしまったのだ。
「へ!? どこ行かはったんですか?」
「ああ……遅かったなぁ。また逃げられたわ」
「また?」
寿子は、深く頷く。面の奥で眉間にしわを寄せているであろうことが容易に想像できる。
「ほれ、ぐずぐずしてたら見つけられまへんで。どうせまだ近くにおるさかい、探しぃ」
「は、はい!」
裾をずるずる引きずりながら、スズは皆の声援を受けて、宴席を後にするのだった。
唖然としていたのもつかの間、寿子が身を乗り出して畳をたたいた。清一郎は一瞬びくっとしながらも寿子をしっかり見返した。
「ど、どういうことはこっちの台詞や。人のおらん間に勝手に祝言まで勝手に……」
「それはあんたがいつまで経っても顔を見せへんからやないの。今日までに一回でもそうやって現れてくれはったら、お話もちゃんと聞けたのになぁ……残念や」
「そ、それはすんまへん……でもわしはお客さんから『東京にあやかしが見える女子がおる』て聞いたから、うちの店に呼んだらどないやって言うただけや。嫁として、やなんて言うてへん」
正当な主張をしていると言いたげだが、そんなものは立腹している寿子には通用しない。寿子は、帯に挟んでいた扇子で清一郎の額をペシペシはたいた。
「店主のあんさんが、わざわざ女子を呼びたいなんて言うたら、誰でも嫁取りやて思いますやろ! いつまで暢気な坊でいるつもりや。しっかりしなはれ!」
「い、痛い痛い! 何するねんな! お母はんこそ、その子ども扱いやめぇ!」
「よりによって祝言の席を台無しにするようなアホが何言うてますのや! お客様や店の者、なによりスズさんの顔潰してからに!」
スズは、ただただ目の前の光景に圧倒されていた。
鬼の面を被った清一郎が、鬼のような気迫の寿子に打ち据えられている。態度こそ堂々たるものだったのに、今では逃げ腰で、はっきり言って格好悪い……。
(このお人、いったい何がしたいんやろう?)
首をかしげている間に、奉公人たちが駆けつけ、寿子と清一郎を引き離した。それでも寿子の怒りは収まっていない。だが離れたことで、清一郎は少し落ち着きを取り戻したようだ。
「わしは……嫁を貰う気はない。あんたを呼んだんは、そんなつもりやなかったんや。すまんかった」
清一郎は居住まいを正して、スズに対して深々と頭を下げた。
そんな殊勝なことをされては、スズはかえって困惑してしまう。
「や、やめてください。そんな……」
「この祝言は、すべて取り消しや。その責は全部わしが負う。あんた……スズさんも、その打ち掛けやお母はんが揃えた道具類は全部好きにしてええさかい、好きなところへ行け。家に戻るなら……しんどいやろけど、一筆書くなりなんなりするさかい」
「そ、それだけは堪忍してください!」
おとなしく話を聞いていたスズが大声を出したものだから、清一郎も寿子も驚いている。そして、そのまま続きを促している。
「家には……もう帰れません。お義母様が迎えにきてくれはった時に、あの人らはうちのことは捨てたんです。そやから、このお店に尽くすて決めました。もうここ以外行くところなんてないので、どうか……」
「ほな、別の店に奉公に……」
清一郎がそう言おうとした、その時だった。清一郎の頭上に、また扇子がトスンと落ちて、言葉を遮った。そして、代わりに寿子が上機嫌な声で告げたのだった。
「スズさん、よう言うた! ほな、あんさんら、ちょっと賭けでもしてみなはれ」
「……賭け?」
スズと清一郎の声が重なった。寿子は二人を順番に見つめた。
「スズさん、今からあんさんに、この店で一番大事なお役目を任せます。それが果たせへんかった時は、この店を辞めてもらいます……ああ、ちゃんと別のお店を紹介しますさかい」
「だ、大事なお役目……ですか?」
寿子は大きく頷き、今度は清一郎を見る。
「スズさんがお役目を無事に果たすことができたら、その時はこの店の……あんさんの嫁として認める。よろしいな、清一郎?」
「……わかった」
清一郎は、しぶしぶ頷いた。
すると寿子が、皆に聞こえるように大きく手を打った。
「そうと決まったら早速働いてもらいまひょ、スズさん」
「はい!」
角隠しをつけた打ち掛け姿のまま、スズは居住まいを正す。そんなスズに、寿子の指がすぅっと向けられる。
「あんさんの仕事は、そこにいる旦さんを捕まえることだす」
「……はい?」
「へ!?」
スズの声と重なって、素っ頓狂な声が響く。
だが周囲からは、またどっと賑やかな声が湧いた。
「そらええわ! そんな大事な仕事、他にあらへん」
「頑張ってぇや。坊はすぐ逃げるさかい、ええ加減、捕まえてんか」
客たちは、こぞってそう言って、大笑いしていた。
「な……なっ……!?」
ぷるぷる震える清一郎を見て、寿子はスズを急かす。
「ほれ、早うせんと。清一郎は逃げ足だけは逸品なんやから、逃げられまっせ」
「に、逃げられ……え!?」
「こら、あかん!」
何が起きているのかさっぱりわからず、スズがきょろきょろしていると、どういうわけか、清一郎の姿がすぅっと消えてしまった。まるで雲か霞のように、空気に溶けてしまったのだ。
「へ!? どこ行かはったんですか?」
「ああ……遅かったなぁ。また逃げられたわ」
「また?」
寿子は、深く頷く。面の奥で眉間にしわを寄せているであろうことが容易に想像できる。
「ほれ、ぐずぐずしてたら見つけられまへんで。どうせまだ近くにおるさかい、探しぃ」
「は、はい!」
裾をずるずる引きずりながら、スズは皆の声援を受けて、宴席を後にするのだった。
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