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其の弐 指輪は待っている
十一
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先ほどまで手を取って歩いていた和子の姿がふわりと輪郭を変え、初名と同じ年頃の女性の姿になった。
和子は、もう片方の手を弥次郎に伸ばし、弥次郎もまたその手を取った。再会を喜ぶ親子のように、二人はひしと抱き合っていた。
「よう来たな。それに……よう頑張ったな」
「うん、頑張ったよ。やじさんが頑張れ言うてくれたから、頑張れた」
和子が、弥次郎の着物にぎゅっと顔をうずめると、周囲から一斉に声が上がった。
「あの時のいとはんや!」
「いやぁ戻って来た!」
「元気そうやな!」
『いとはん』とは、少し古い大阪弁で『お嬢ちゃん』などの意である。ここにいる彼らからもそんな言葉が飛び出すということは、かつて和子が本当にお嬢ちゃんと呼ばれる年頃だったときにここに来ていたということか。
何よりも、今目の前で浮かべている表情……潤んだ瞳に、桜色に染まった頬、それらが指すことは一つであるように思えた。
「あの人が……会いたい人?」
「そういうことや」
二人を見守っていた風見が、初名の隣で小さく呟いた。
そういえば和子は、18歳の時にここへ来たと言っていた。あの姿は当時の姿というのなら少し理解できる。だがどうしてそうなったのか、何が起こってああなっているのか……さっぱりわからなかった。
「後で全部話す。今は、ただ見守ってやってくれへんか?」
風見のその声を受けて、弥次郎は顔を上げた。厳しそうな面持ちがどこか和らいでいた。
急に優し気な笑みを向けられて、初名は思わず固まってしまった。
「探しとるんは、これやろ?」
そう言うと、弥次郎は懐に手を入れた。そして、小さな箱を取り出した。
「うん、これ!」
差し出された箱を、和子は嬉々として受け取った。小さな紙製の箱を、千代紙で装飾したものだ。大事にしているのだと一目でわかる。
和子は、箱をそっと開いた。すると中には綿が敷き詰められており、その真ん中にちょこんと、小さな指輪が眠っていた。
プラスチックの輪に、同じくプラスチックで作られた花の飾りがついた子供用の、おもちゃの指輪だった。
「え、プラスチック? あれって……」
初名がそろりと風見に視線を向けるも、その問いに答えたのは和子だった。
「そう、おもちゃよ」
その嬉々とした様子に、初名は戸惑った。だが、笑っている顔は、確かに和子の面影があった。この人は、あの『和子』なのだとゆっくりと感じ取っていた。
「探していたのって、それなんですか?」
「貴金属やと思たでしょ? 思い出の指輪いうたら、普通そう思うわなぁ。だからこその、これなんよ」
和子はクスリと笑った。手品に驚く相手に種明かしをするような、悪戯っぽい、子供っぽい笑みだった。
「あのね、これからお嫁に行く娘がアクセサリーの指輪なんて持ってたら、浮気やて言われてまうでしょ。そやけどプラスチックのおもちゃやったら、そんな風に思わへんやろって、やじさんが言うてくれてなぁ」
驚いている初名の顔を、和子は楽しそうに笑って見ていた。だがそれでも、その顔はすぐに曇ってしまった。
「まぁ、それでも邪魔だのいらんだの言われて、何回も捨てられたけどね。でも良かった。最後はやっぱりここに戻って来てた」
ほんのり涙を浮かべて箱をぎゅっと抱きしめる和子を、初名は目を瞬かせて見つめていた。
「戻って来た……って?」
「この指輪はな、持ち主の元を離れてもちゃんと帰って来てくれるんよ。やじさんが、そうしてくれた」
「やじ……弥次郎さんが……」
「だってそうでもせんと、すぐ捨てられるんやもん。両親も、夫も、息子も、皆そうやった。でも別にええんよ。他には何もいらんの。これさえあればいい。この指輪だけやねんから、私を大事に想ってくれたのは」
そう、歌うように言う和子に、初名は息をのんだ。先ほど、彼女の話を聞いて感じた予感は、やはり正しかったのだ。だって今、悲しいほどに幸せそうなのだから。
ちらりと風見を振り返ると、どこか悲し気なように見えた。おそらく、初名と同じ表情なのだろうと思う。そして意外にも、似た表情を、弥次郎までもが浮かべていた。
「でも、それだと今までは和子さんのところに戻って来ていたんですよね? どうして、今はここに?」
和子はそれには答えようとせず、鈍く光る指輪を笑って眺めていた。
「やじさんだけが、私と手をつないでくれた。大事なものをくれた。持って行くのは、これだけでええわ」
「……ホンマに、ええんか?」
「え?」
弥次郎はおもむろに、再度、懐に手を入れた。
そしてきょとんとして見返す和子に、先程とは別の小箱を差し出した。
「お前のさがしものは、もう一つある」
和子は、もう片方の手を弥次郎に伸ばし、弥次郎もまたその手を取った。再会を喜ぶ親子のように、二人はひしと抱き合っていた。
「よう来たな。それに……よう頑張ったな」
「うん、頑張ったよ。やじさんが頑張れ言うてくれたから、頑張れた」
和子が、弥次郎の着物にぎゅっと顔をうずめると、周囲から一斉に声が上がった。
「あの時のいとはんや!」
「いやぁ戻って来た!」
「元気そうやな!」
『いとはん』とは、少し古い大阪弁で『お嬢ちゃん』などの意である。ここにいる彼らからもそんな言葉が飛び出すということは、かつて和子が本当にお嬢ちゃんと呼ばれる年頃だったときにここに来ていたということか。
何よりも、今目の前で浮かべている表情……潤んだ瞳に、桜色に染まった頬、それらが指すことは一つであるように思えた。
「あの人が……会いたい人?」
「そういうことや」
二人を見守っていた風見が、初名の隣で小さく呟いた。
そういえば和子は、18歳の時にここへ来たと言っていた。あの姿は当時の姿というのなら少し理解できる。だがどうしてそうなったのか、何が起こってああなっているのか……さっぱりわからなかった。
「後で全部話す。今は、ただ見守ってやってくれへんか?」
風見のその声を受けて、弥次郎は顔を上げた。厳しそうな面持ちがどこか和らいでいた。
急に優し気な笑みを向けられて、初名は思わず固まってしまった。
「探しとるんは、これやろ?」
そう言うと、弥次郎は懐に手を入れた。そして、小さな箱を取り出した。
「うん、これ!」
差し出された箱を、和子は嬉々として受け取った。小さな紙製の箱を、千代紙で装飾したものだ。大事にしているのだと一目でわかる。
和子は、箱をそっと開いた。すると中には綿が敷き詰められており、その真ん中にちょこんと、小さな指輪が眠っていた。
プラスチックの輪に、同じくプラスチックで作られた花の飾りがついた子供用の、おもちゃの指輪だった。
「え、プラスチック? あれって……」
初名がそろりと風見に視線を向けるも、その問いに答えたのは和子だった。
「そう、おもちゃよ」
その嬉々とした様子に、初名は戸惑った。だが、笑っている顔は、確かに和子の面影があった。この人は、あの『和子』なのだとゆっくりと感じ取っていた。
「探していたのって、それなんですか?」
「貴金属やと思たでしょ? 思い出の指輪いうたら、普通そう思うわなぁ。だからこその、これなんよ」
和子はクスリと笑った。手品に驚く相手に種明かしをするような、悪戯っぽい、子供っぽい笑みだった。
「あのね、これからお嫁に行く娘がアクセサリーの指輪なんて持ってたら、浮気やて言われてまうでしょ。そやけどプラスチックのおもちゃやったら、そんな風に思わへんやろって、やじさんが言うてくれてなぁ」
驚いている初名の顔を、和子は楽しそうに笑って見ていた。だがそれでも、その顔はすぐに曇ってしまった。
「まぁ、それでも邪魔だのいらんだの言われて、何回も捨てられたけどね。でも良かった。最後はやっぱりここに戻って来てた」
ほんのり涙を浮かべて箱をぎゅっと抱きしめる和子を、初名は目を瞬かせて見つめていた。
「戻って来た……って?」
「この指輪はな、持ち主の元を離れてもちゃんと帰って来てくれるんよ。やじさんが、そうしてくれた」
「やじ……弥次郎さんが……」
「だってそうでもせんと、すぐ捨てられるんやもん。両親も、夫も、息子も、皆そうやった。でも別にええんよ。他には何もいらんの。これさえあればいい。この指輪だけやねんから、私を大事に想ってくれたのは」
そう、歌うように言う和子に、初名は息をのんだ。先ほど、彼女の話を聞いて感じた予感は、やはり正しかったのだ。だって今、悲しいほどに幸せそうなのだから。
ちらりと風見を振り返ると、どこか悲し気なように見えた。おそらく、初名と同じ表情なのだろうと思う。そして意外にも、似た表情を、弥次郎までもが浮かべていた。
「でも、それだと今までは和子さんのところに戻って来ていたんですよね? どうして、今はここに?」
和子はそれには答えようとせず、鈍く光る指輪を笑って眺めていた。
「やじさんだけが、私と手をつないでくれた。大事なものをくれた。持って行くのは、これだけでええわ」
「……ホンマに、ええんか?」
「え?」
弥次郎はおもむろに、再度、懐に手を入れた。
そしてきょとんとして見返す和子に、先程とは別の小箱を差し出した。
「お前のさがしものは、もう一つある」
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