大阪梅田あやかし横丁〜地下迷宮のさがしもの〜

真鳥カノ

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其の伍 紡ぐ思い、解ける時間(とき)

十五

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「百花さんと一緒におって、君は平気か?」
「それって、どういう意味ですか?」
 ラウルが言葉を飲み込む様子が見えた。
 初名は、自分が噛み殺してしまいそうな怒気を纏っていることに、自分で気付いていなかった。
 ラウルは唇を噛み、再び口の中で言葉を選んでいる。その背後から、ひんやりとした声が聞こえた。
「俺から話す」
 風見の声だった。いつものように陽気な空気はなく、冷徹で重厚な空気を纏っていた。風見はラウルを奥の席に追いやり、自分が初名の正面に座った。
「まず、ラウルのことを悪く思わんといたってくれ。ちゃんとした理由があった上で、悪意は一切ない。もちろん、百花を貶めるつもりもない。それだけ、言うとく」
「だから、その理由っていうのを早く聞かせてください」
 風見にまでこんなに突っかかる物言いをしたことは、初めてだった。そのことに自分で驚きながらも、決して引き下がる様子を見せずに、初名は構えた。
「まず、百花がどういうあやかしか、知っとるか?」
「……確か絡新婦じょろうぐもって仰ってました」
「絡新婦いうんは、男を誘い込んでその肉を喰らう人食いのあやかしや。男のせいであんなことになったんやから、それも頷けることやな」 
「それが、何か?」
「今はどうやって”食事”しとると思う?」
「どうやってって……」
 聞いた話では、ラウルは家族に協力して貰っている。辰三は目に見えないものを喰らっているから、地下街などでこっそり摂取できている。
 では、人の肉を喰らう者は、どうしているのか。
「無宿者や、罪を犯して逃げてきたようなもんを喰らっとった……昔はな」
「昔は……じゃあ今は?」
 風見は、静かにかぶりを振った。
「喰うてへん……この五十年ほど、ただの一欠片も。血の一滴すらも、な」
 その言葉で、初名は初めて会った時の百花の様子を思い出した。
 真っ白でか細い腕、乱れた髪、かすれた声、ぼんやりした視線。体を壊したと、百花は言っていた。いったい何の病で、とは聞かなかった。
「あいつは、ずっと飢えに苦しんどる。ある時から、ぱったりと食事をとらんようになったせいでな」
「ど、どうして……ですか?」
 戦後すぐは梅田界隈も混乱状態だったという。人聞きの悪い言い方ではあるが、百花のは、見つからないこともなかったと言える。
 では何故、飢え始めたのか。
 初名は、うっすらと思い当たることがあった。だが、口に出すのが、恐ろしかった。
 それを口にしてくれたのは、風見だった。
「俺が禁じた。何故なら、あいつはこの横丁の客人・・を喰おうとしたからや。その客人とは、当時お前と同い年くらいの娘やった者で、お前の祖母にあたる人間や」
「……おばあちゃん……?」
 風見は、静かに頷いた。
「百花さんが、おばあちゃんを、食べようとした……?」
「ああ、そうや。だから梅子にも、もう来るなって言うた」
 信じられなくて、初名は思わず風見から視線を逸らせた。俯いた初名の視界に入ったのは、自分の手のひらだけだった。
「で、でもこれ……昨日、怪我した時、薬を塗ってくれましたよ。血を舐めるような素振りなんて一切なくて、ごく自然に、すぐに手当てしてくれて……!」
 風見とラウルが、絆創膏の貼られた指先をまじまじと見つめた。まだ怪訝な表情は残っているものの、二人揃って頷いた。
「確かに、何も起こってないね」
「そうやな、あいつも長年の間に何かしら変わったんかもしれへんな」
「だったら……」
「そやけどな、昨日は無事でも今日はわからん。今日は無事でも、明日は? 明後日は? 人を喰いたい欲求いうんは、お前にとっての食事と何も変わらん。お前は三日飲まず食わずでいた後に目の前に食べ物出されて、さらにあと三日耐えられるか?」
「だったらどうしろって言うんですか。私も、もうここに来るなって言うんですか!」
「それも致し方ないとは思うとる」
「そんなの横暴です! いくら何でも、私にまでそんなこと言う権利は……!」
「お前のためだけやない。百花のためでもあるから言うてるんや。最悪の状況・・・・・になってからやったら何もかも遅すぎるんや! お前にも梅子にも、百花自身にも顔向けできへんやろが!」
 初名の視線と風見の視線が、真正面からぶつかり合った。互いに、一歩も退く気はなかった。烈しい怒気のせめぎ合いに、ラウルがたまらず立ち上がった。
「ま、まあまあ……風見さん、そんな声荒らげんと。初名ちゃんも、な?」
 少しでも空気を和らげようとしたが、今ばかりは無理だった。
「僕がいらんこと言うたばかりに申し訳ない。そやから二人とも、頼むから一旦落ち着いて、な?」
「……ほんまに、いらんこと言うてくれたなぁ、ラウルさん」
 その凜とした声が、初名と風見のたぎった空気を冷ました。
 二人が同時に声の主を振り返る。そこには、想像していた通りの人物、百花が立っていたのだった。
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