となりの天狗様

真鳥カノ

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参章 飯綱山の狐使い

十二

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「琥珀ちゃーん! 珊瑚ちゃーん! どこー!?」
 もはや人の目など気にせず大声で呼びかけた。呼びかけたところで、周囲の人は二人の姿に気づかないだろうが、本人たちは気づいてくれるかもしれない。
 藍はとにかく周囲を駆け回った。目の前でいきなり消えたのだから、遠くにいるとは思えなかった。もしかしたら、今頃琥珀と珊瑚は合流しているかもしれない。その上、『ご主人様』に会っているかもしれない。
 そうなれば藍は徒労だし、結局二人には会えないかもしれない。
(でも、あの子たち泣いてた)
 ご主人様に会えないと言って泣いていた顔を思い出すと、楽観的に考えて放り出すことはどうしてもできなかった。
 とにかく見つけよう、それだけを思って、もう一度叫んだ。
「琥珀ちゃん! 珊瑚ちゃん! 返事して!」
「ひぅ!」
 すると、足下で奇妙な声が聞こえた。
 視線を足下に落とすと、見覚えのある姿が目に入った。銀の髪に、白いワンピースに、真っ白でふわふわの尻尾。
「んん?」
 藍がしゃがみ込んでその顔を覗き込むと、その女の子はびくっと震えた。怖がっているようで、藍の方を見てくれない。
 だがその立ち姿は、どう見てもあの子たちと同じであった。
「もしかして……琥珀ちゃんか、珊瑚ちゃん?」
 その名を聞いて、女の子はおそるおそる顔を上げた。その面立ちは、先ほど会った二人とうり二つだった。
 だが、一つだけ違った。目の前にいるこの子は、瞳の色が淡い緑色だった。
 予想したとおり、女の子は首をふるふると横に振って、か細い声で答えた。
「ヒスイです」
「そっか、翡翠ちゃんか。もしかして、琥珀ちゃんや珊瑚ちゃんを知ってる?」
「おねえちゃんです」
「ああ、やっぱり!」
 大きな声を出すと、翡翠はびくっと肩をふるわせた。藍は注意して、努めて穏やかに語りかけた。
「えーと、私のこと探してたんだよね?『やまなみあい』だよ」
 翡翠は、こくんと頷いた。
「さっきまで、琥珀ちゃんや珊瑚ちゃんと一緒にいたの」
 翡翠の眉がきゅっと真ん中に寄った。
「あと『ご主人様』も探してたんだよね?」
 翡翠の瞳が、じんわりとにじみ始めた。そして……
「おねえちゃん……ご主人様……いないです……お話もできません……ふ、うぇぇぇん」
 翡翠の小さな鳴き声が、響き渡る。藍にしか聞こえてはいないが。
 三つ子に出会って三つ子全員を泣かせてしまった藍は、まずはどうするべきか考えた。探すべきものは、ただ一つ。
 キョロキョロと周囲を見回して、目的の店を探した。そして、視界の端にそれを捉えたとき、藍は迷わずそれを指さした。
「翡翠ちゃん! 泣かないで! あれを食べようか!」
 藍が指さした先にあったもの、それは……三角のコーンに三色のアイスが連なって乗る、看板であった。
「アイスクリームっていうんだよ。甘いよ~美味しいよ~」
 翡翠は、指さされた看板をじっと見つめていた。最初は訝しげにしていたが、徐々に目がきらきら輝きだしたのを、藍は見逃さなかった。
「食べたらとっても美味しいだろうな~嬉しいだろうな~一緒に食べたいな~」
 あざとい言葉だとは重々承知していた。だが、看板に惹かれていた翡翠は、ごくりと喉を鳴らした後、小さく頷いた。甘言より、本物の甘味への興味が勝ったようだ。
「よし、じゃあ食べようか。食べたら、琥珀ちゃんや珊瑚ちゃん、あとは『ご主人様』を探そう」
「……はい」
 消え入りそうなほど、微かな声だった。だがそれでも返事が聞けただけ僥倖と思えた。
 藍は翡翠の手を握り、アイス屋に向かった。
 店の中でメニューを見ると、色とりどりのアイスがたくさん並んでいた。某有名アイスクリームチェーン店と良い勝負だ。
「翡翠ちゃん、どれが食べたい?」
「……選べません……」
 選べないことで、また涙を浮かべる翡翠。藍は急いで子供に人気そうなメニューを注文した。端から見ると、藍が一人で話して一人で泣き止ませようとしているという、ちょっと奇妙な行動に映るのだが……もはや気づいていなかった。
 だから、店員から怪訝な目を向けられても少しも気にならなかった。
「はい、アイス! 食べてごらん」
 藍が三連アイスの載ったコーンを差し出すと、翡翠はくんくんと匂いを嗅いでいた。ミントのツンとした香りを、チョコレートそしてバニラの甘い香りが挟んで溶け合っている。
 不思議な香りに翡翠はおそるおそる舌を出して、チョコアイスをぺろりとほんのちょっとだけなめた。すると、翡翠の体がびくんと震えた。
「つめたいです!」
 尻尾の先まで逆立って震えていた。だが、それも一瞬のこと。次の瞬間には……
「でもおいしいです……!」
 そう、満面の笑みを浮かべて言った。藍が残りのアイスを渡してやると、時々ぶるっと震えながらも、ぱくぱく平らげていった。
「アイス、お口についてるよ」
 先ほどと同じように、翡翠の口の周りにちょこんとついたアイスを、藍はハンカチで拭おうとした。すると、翡翠はびくりと肩をふるわせた。まだ、ハンカチで触れる前だ。
「け、けものの匂いがしますです……」
「獣? ああ、そうか」
 今手にしているハンカチは、今朝、猪が届けてくれたものだ。確認したが(どういうわけか)洗ってあり、汚れなど少しもついていなかった。
「猪さんが持ってたからかな? 大丈夫、きれいだよ」
 そう言って、翡翠の口元に再びハンカチを寄せた。すると、またもパチンと何かをはじく音が響いた。
 そして、またしても……
「翡翠ちゃんまで……消えちゃった……!」
 そして藍は気づいていなかった。
 店の中でそんな大きな声を出しているというのに、誰も振り向きもしなかったと言うことに。
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