となりの天狗様

真鳥カノ

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参章 飯綱山の狐使い

二十一

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「危ない目に遭わせて申し訳ございませんでした……!」
 管狐たちから冷たいあしらいを受けた三郎は、急遽態度を改めた。
 それに対する藍の反応は、比較的穏やかだった。
「もういいですよ。何回も言ってくれなくても……助けて頂いた場面もありましたし」
「いいや、許してはいけないよ、藍。天狗礫に潰されちゃうところだったんだよ。ぷちって潰れちゃうところだったんだよ。わかる? ぷちって……!」
「……私はその言い方の方が嫌ですよ」
「兄者の仰ることがもっともだ。一瞬でも遅れていたらどうなっていたか」
「ご主人様はひどいです!」
「鬼です!」
「悪魔です!」
 琥珀と珊瑚と翡翠が、クッキーを両手に持ちながら叫んだ。三郎は、言われるたびに身を縮こまらせていく。
 藍以上に、太郎や治朗、そして管狐たちが憤慨していたのだった。おかげで、山脈家に帰り着いた今でも、三郎は何度も土下座と謝罪を繰り返しているのだった。
 はっきり言って、それ以上話が進まない上に空気が重くなるので、藍はもう終わりにしたいのであった。
「えーと……じゃあ謝る代わりに教えてください。さっきのあの石が降ってきたのを『天狗礫』って呼んで、でも天狗の仕業じゃないって言いましたよね? じゃあ結局、誰の仕業だったんですか?」
 その問いを聞き、顔を上げた三郎と、太郎と治朗が視線を交わしていた。だが、三人とも首をかしげて言葉を発しなかった。
 結局、あの礫は治朗による反撃によってあっさり止んでしまった。事態を引き起こした張本人を引きずり出すことは、できなかったのだ。
「まぁ、あの手の悪さはだいたい低位のあやかしのしわざということが多いね。山で起こると畏怖の念から天狗の仕業って言われることが多いけど」
「しかし兄者、今日のあれはそもそも『天狗礫』とも呼べますまい。山から離れたあんな街中で、一人の人間だけを狙うなど」
「精度の悪い狙撃だな、ありゃ」
 太郎も治朗も、揃ってうんうんと頷いていた。要するに結論は、わからない、ということだ。
「何のために三郎に頼んだと思ってるの。もうちょっと掘り下げて調べてよ」
「どこをどう掘り下げろって? やれって言うならもっと具体的に言ってほしいもんだ」
 三郎はため息を吐き出しながら、美味しそうにクッキーを頬張る管狐たちの方を振り返った。
「お前ら、何か感じたことはないか? お嬢でも、あの礫のことでも、何でもいいぞ」
 三郎にそう言われ、管狐たちは食べる手を止めた。三人揃って考え込み、唸り、首をひねり……そして三人同時に顔を上げた。
「匂いがしました!」
「どんな匂いだ?」
けもの・・・のにおいです!」
 そう元気よく言ったのは琥珀だった。だが、それと似た言葉を藍は聞いた。三郎と知り合うほんの少し前だ。
 確か、そう言っていたのは、翡翠だった。
「翡翠ちゃんも、そういえば言ってたね。けものの匂いがするって」
 翡翠が、おずおずと頷いた。それを見て、三郎も何か思い出したように天井を見上げていた。
「ああ、朝の猪か」
「……猪?」
 猪のことなど初めて聞く太郎と治朗は、説明を求めてにじり寄ってきた。藍は密かに距離を取ろうとしたが、三郎によって阻まれた。
「ほら、この前、子猫を助けた勇敢な猪がいたって言ったじゃないですか。あの時、怪我したところに巻いてあげたハンカチを返しに来てくれたんです」
「返しに……猪が?」
 治朗の眉間に深いしわが刻まれた。あの時と同様、とても信じられないと言った顔だ。
「そんなに不審そうな顔しなくても……」
「するに決まってるだろうが。どう考えても、その猪はあやかしだ。少なくともただの猪ではない」
「それは……そうでしょうけど、勇敢だし、義理堅いし、悪い感じはしないですよ」
 藍がそう言うと、治朗と三郎が深いため息をついた。心底、呆れたというように。
「お嬢……俺はちょっと心配だ」
「今日これだけのことに巻き込まれておいて、どうしてそんなにのんきなことが言えるんだ、お前は……」
「の、のんきですか、私?」
「今日起こったことをつなぎ合わせれば、お前を結界の中に隠したのがその猪の仕業と考えられるぞ」
「え」
「下手をすると、天狗礫もそいつの仕業かもなぁ」
「えぇ!?」
 二人の頭の中では、そこまで考えが進んでいたとは。だが藍を呆れた目で見つめる二人の視線を受けていると、どうも藍の方がのんきに構えすぎているという言葉の方が正しいようだ。
 そんなことを言われても、としか思えないのだが、藍はそれ以上、反論できないでいた。すると、藍の前に、するりと太郎が寄ってきた。俯く藍の顔を、優しく覗き込んでいる。
「藍、気にすることはないよ。これまでそんなことを考えるような機会がなかったんだから」
「た、太郎さん……!」
 初めて、太郎の優しさが胸にしみた。太郎はにこりと微笑んでいた。
「それよりも、もっと重要なことがあるんだ」
「もっと重要なこと……ですか?」
 訪ね返すと、太郎は小さく頷いた。
「その猪は、藍じゃなくて子猫を助けたんだよね? そしてその後会ったのは、今朝、ハンカチを返しに来た時……それだけなんだよね?」
「は、はい。そうです」 
 藍の返答を聞くと、太郎の顔から、すぅっと温度が消えていった。冷たい、と言うよりも深刻な面持ちだった。藍は、急激に嫌な予感・・・・に見舞われた。
「んで……」
「はい?」
「なんで毎日藍のために美味しいご飯を作ってる僕よりも、たった一回借りた物を返しに来ただけの猪の方がどうして評価が高いの! 僕なんか何回も藍のピンチに駆けつけたのに、なんで? ねえ、なんで!?」
「えぇ……」
 藍は、ちらりと治朗と三郎の方に視線を向けた。救援を求める視線を。
 だが、その救援要請はあえなく受け流されてしまったのだった。
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