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参章 飯綱山の狐使い
二十二
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「いやぁ聞きしに勝る面倒くささ……あ、いや……愛の深さ」
玄関から出た瞬間、三郎の口から本音がこぼれ出た。
先ほどの太郎が、あまりにも駄々をこねて扱いに困ったため、早々にお開きになったのだった。
「ご、ごめんなさい。私のせいで……まだご飯もお出ししてないのに」
「気にすんな。こいつらがクッキーたらふくごちそうになったんだ。十分だよ」
三郎がそう言うと、管狐たちが揃ってにっこり、満足そうに笑った。
「美味しかったです!」
「味わい深いです!」
「また食べたいです……」
今は、思い思いに三郎の腕やら肩やらにしがみついている。
深々と土下座を繰り返す三郎を見たことと、クッキーを堪能したことで、どうやら許す気になったらしい。
なるほど、普段はこのように慕われているのだということがよくわかった。
「またいつでも来てね。美味しいもの、作るから」
「本当ですか? 太郎坊様より美味しいですか?」
「太郎さんほどではないかもしれないけど……」
「へぇ、お前さんが作ってくれたとあれば、あいつはそりゃあ喜ぶだろうなぁ」
そう言った三郎の顔はにやけている。からかわれているらしいと、うっすらわかった。
「そんなわけないですよ。自分の料理より下手なもの食べたくないでしょ。お母さんならともかく」
「……お前さん、わかってねえなぁ」
「な、何をですか?」
問い返す藍の顔を、三郎は何やらじろじろと見ていた。何かを検分されているようで、居心地の悪い視線だ。
すると、三郎は首を深くひねりながら、尋ねてきた。
「もしかしてお嬢……太郎がお前さんを好いてるって、わかってねえのか?」
「へ!?」
あまりの大きな声が出て、藍自身が驚いていた。だが藍にとっては、そんな声が出るほどの言葉だった。先ほどとは対照に声を潜めて、尋ね返した。
「な、何を言ってるんですか? 太郎さんが好きなのは、千年前の姫でしょ?」
「だから、その生まれ変わりがお前さんなんだから、今はお前さんを好いてるって言ってるんだよ」
「そんなわけありません。いつも怒鳴ったり投げ飛ばしたりしてるんですから。あの人は、私にその姫だった頃のことを思い出して欲しいだけですよ。だからあんなに蝶よ花よと……」
「……まぁ俺も男女の機微という物には疎いとは思うが……あいつは相当わかりやすいぞ」
「どこがですか! いっつも眠そうにしてるくせに、私を見ると浮かれたみたいな顔して近づいてきて、投げ飛ばしてもニコニコしてて、私が何か気を利かせて買い物なんかして帰ると今度は泣くし……何考えてるのか全然わからないんですよ」
「それは……本当か?」
三郎の目が、ほんの少し変わった。にやついた視線から、驚いたように目を見開いている。
「本当ですけど……何か?」
「太郎はな、誰に対しても態度を変えることはなかったんだよ。よく言えば平等、悪く言えば無関心だ」
「そう……ですか? でも治朗くんや三郎さんのことは信頼してるように見えましたけど」
「俺は曲がりなりにも頭領だからな。それに治朗は、他と少し違う。そうじゃなくてだな、あいつが浮かれてる顔ってのが、まず見たことないんだよ」
「……へ?」
寝耳に水だった。藍にとっては、ほぼ四六時中目にする顔なので、てっきり千年の間あんな感じなのかと思っていたのだ。
「あとあんなにくだらんことで怒ったり、焦ったり、そういう風に感情を乱すということが、この千年でもほぼ見られなかったな。はじめにお前さんを探してくれって頼み込まれた時も驚いたが、あんなに足下もおぼつかない状態になるまでお前さんを必死に守っているってことには、心底驚かされたぜ」
藍は目を瞬かせるばかりで、何も返せなかった。三郎の語る太郎と自分の知る太郎は別人なのではないかとすら思えた。
だが、藍と出会うまでに千年の時があったと思い出した。自分の知らないことの方が多いのだと、わかった。それでも驚くほかないのだが。
呆けている藍を見て、三郎はくすりと笑った。今度はからかうような笑みではなく、管狐たちに向けていたのと似た温かな笑みだった。
「まぁそんなわけだから、気持ち悪いだろうが、あんまり邪険にしないでやってくれるか。あれでも悪気は皆無なんだ」
「まぁ……悪気の有無についてはわかるつもりですが……」
「なら良かった」
三郎は藍の頭をぽんぽんと叩くと、藍から距離を取った。管狐たちは自然とそれに従い、しっかりとしがみついている。
「じゃあな、今度はお前さんの母君の店ってのにも行ってみるわ」
「は、はい。ぜひ!」
三郎が小さく手を振ると、その周囲につむじ風が起こった。風はみるみる大きくなり、庭の木々をも揺らすほどに強く吹き荒れた。藍が思わず目を瞑ると、風は徐々に止んでいった。ゆっくり目を開けたときには、目の前には三郎たちの姿はなかった。
玄関から出た瞬間、三郎の口から本音がこぼれ出た。
先ほどの太郎が、あまりにも駄々をこねて扱いに困ったため、早々にお開きになったのだった。
「ご、ごめんなさい。私のせいで……まだご飯もお出ししてないのに」
「気にすんな。こいつらがクッキーたらふくごちそうになったんだ。十分だよ」
三郎がそう言うと、管狐たちが揃ってにっこり、満足そうに笑った。
「美味しかったです!」
「味わい深いです!」
「また食べたいです……」
今は、思い思いに三郎の腕やら肩やらにしがみついている。
深々と土下座を繰り返す三郎を見たことと、クッキーを堪能したことで、どうやら許す気になったらしい。
なるほど、普段はこのように慕われているのだということがよくわかった。
「またいつでも来てね。美味しいもの、作るから」
「本当ですか? 太郎坊様より美味しいですか?」
「太郎さんほどではないかもしれないけど……」
「へぇ、お前さんが作ってくれたとあれば、あいつはそりゃあ喜ぶだろうなぁ」
そう言った三郎の顔はにやけている。からかわれているらしいと、うっすらわかった。
「そんなわけないですよ。自分の料理より下手なもの食べたくないでしょ。お母さんならともかく」
「……お前さん、わかってねえなぁ」
「な、何をですか?」
問い返す藍の顔を、三郎は何やらじろじろと見ていた。何かを検分されているようで、居心地の悪い視線だ。
すると、三郎は首を深くひねりながら、尋ねてきた。
「もしかしてお嬢……太郎がお前さんを好いてるって、わかってねえのか?」
「へ!?」
あまりの大きな声が出て、藍自身が驚いていた。だが藍にとっては、そんな声が出るほどの言葉だった。先ほどとは対照に声を潜めて、尋ね返した。
「な、何を言ってるんですか? 太郎さんが好きなのは、千年前の姫でしょ?」
「だから、その生まれ変わりがお前さんなんだから、今はお前さんを好いてるって言ってるんだよ」
「そんなわけありません。いつも怒鳴ったり投げ飛ばしたりしてるんですから。あの人は、私にその姫だった頃のことを思い出して欲しいだけですよ。だからあんなに蝶よ花よと……」
「……まぁ俺も男女の機微という物には疎いとは思うが……あいつは相当わかりやすいぞ」
「どこがですか! いっつも眠そうにしてるくせに、私を見ると浮かれたみたいな顔して近づいてきて、投げ飛ばしてもニコニコしてて、私が何か気を利かせて買い物なんかして帰ると今度は泣くし……何考えてるのか全然わからないんですよ」
「それは……本当か?」
三郎の目が、ほんの少し変わった。にやついた視線から、驚いたように目を見開いている。
「本当ですけど……何か?」
「太郎はな、誰に対しても態度を変えることはなかったんだよ。よく言えば平等、悪く言えば無関心だ」
「そう……ですか? でも治朗くんや三郎さんのことは信頼してるように見えましたけど」
「俺は曲がりなりにも頭領だからな。それに治朗は、他と少し違う。そうじゃなくてだな、あいつが浮かれてる顔ってのが、まず見たことないんだよ」
「……へ?」
寝耳に水だった。藍にとっては、ほぼ四六時中目にする顔なので、てっきり千年の間あんな感じなのかと思っていたのだ。
「あとあんなにくだらんことで怒ったり、焦ったり、そういう風に感情を乱すということが、この千年でもほぼ見られなかったな。はじめにお前さんを探してくれって頼み込まれた時も驚いたが、あんなに足下もおぼつかない状態になるまでお前さんを必死に守っているってことには、心底驚かされたぜ」
藍は目を瞬かせるばかりで、何も返せなかった。三郎の語る太郎と自分の知る太郎は別人なのではないかとすら思えた。
だが、藍と出会うまでに千年の時があったと思い出した。自分の知らないことの方が多いのだと、わかった。それでも驚くほかないのだが。
呆けている藍を見て、三郎はくすりと笑った。今度はからかうような笑みではなく、管狐たちに向けていたのと似た温かな笑みだった。
「まぁそんなわけだから、気持ち悪いだろうが、あんまり邪険にしないでやってくれるか。あれでも悪気は皆無なんだ」
「まぁ……悪気の有無についてはわかるつもりですが……」
「なら良かった」
三郎は藍の頭をぽんぽんと叩くと、藍から距離を取った。管狐たちは自然とそれに従い、しっかりとしがみついている。
「じゃあな、今度はお前さんの母君の店ってのにも行ってみるわ」
「は、はい。ぜひ!」
三郎が小さく手を振ると、その周囲につむじ風が起こった。風はみるみる大きくなり、庭の木々をも揺らすほどに強く吹き荒れた。藍が思わず目を瞑ると、風は徐々に止んでいった。ゆっくり目を開けたときには、目の前には三郎たちの姿はなかった。
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