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四章 鞍馬山の大天狗
五
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鞍馬山僧正坊ーー京都鞍馬山を治める大天狗。密教の祈祷秘経「天狗経」にて、四十八の大天狗に数えられるほどの強者。その中でもさらに日本の天狗の中の八天狗に数えられている。ちなみにその八天狗の中には、愛宕山太郎坊(この場合は太郎の頭である栄術太郎)、比良山次郎坊、飯綱三郎も含まれている。
だが知名度や人気で見れば、段違いの存在だ。おそらく天狗と聞いて、真っ先に鞍馬山の天狗の名が上がる者がほとんどであろうと思われる。
その人気を壊さない、爽やかで麗しい見目と所作で振る舞う僧正坊その人であった。
(天狗って、もっといかついイメージでいたんだけど……)
太郎といい、次郎といい、三郎といい、この僧正坊といい、藍の頭の中のイメージをことごとく崩してくれる天狗ばかりだった。
むしろ僧正坊の背後に控えている天狗たちの方が、よほど藍の抱いていたイメージに近かった。だが、彼らはじっと僧正坊に付き従い、指示を待っている。
そんな様子を驚きの目で見つめていた藍を、僧正坊はクスリと笑った。
「すまないね、強面ばかりで」
「い、いえ……! その方々は、いったい……?」
尋ねた瞬間、後ろにいた十人のうち一人の視線がぎろりと藍の方へ向いた。だが、僧正坊が静かに手を挙げると、その視線をそらせた。
「彼らは鞍馬山十天狗神といってね。私の配下だよ。今日はちょっと大荷物だったから、ここまで付いてきてもらったんだ」
「はぁ、なるほど……って、違う! あの大荷物、全部勘違いです!」
「勘違い?」
僧正坊は、にこやかな視線のまま、太郎に視線を移した。
「彼女はこう言っているが、どうなんだい?」
「まぁ、ちょっと気は早いかな」
「ちょっとじゃありません! 永久に、です!」
僧正坊は今度は、治朗に視線を移した。
「しかし治朗までがここにいるということは……愛宕に嫁入りするまでの補佐や諸々の教育を施しているということなのではないのかい?」
「違う。俺はただ、兄者に請われ、この藍の護衛をしているだけだ」
「護衛?……ああ、なるほど」
僧正坊は藍の全身を見回し、すぐに納得してしまった。以前から太郎に言われていたことだが、所見の者にもわかるほど、藍の全身を巡る気は大きいらしい。
僧正坊は目を瞑って、うーんと唸った。
「ちょっと整理させてくれ。この姫君は、かの姫であることは間違いないのかな?」
「うん」
藍が否定する前に、太郎がしっかりと頷いてしまった。
「だが、本人にはそんな自覚がない?」
「うん」
「だが姫の力だけは、しっかり受け継いでしまっている?」
「そうなんだよね」
僧正坊は太郎の頷く様を見て、すぅっと息を吸い、吐き出すと同時に告げた。
「つまり太郎、君は……かの姫の生まれ変わりを見つけたが、全然全く相手にされずにいて、彼女の身を守るという体で傍に侍り、あわよくば逆転の機を窺っている……と、そういうことかな?」
「そうだね」
あっさり肯定してしまったが、藍には承服しかねる内容も含まれていた。
「あの……逆転の機を窺っているって何ですか……」
「言葉通りだよ。今だったらホラ……『ワンチャン』てやつだよ」
太郎は現代社会に関しても勉強熱心であり、はやり言葉をすぐに取り入れてくるのだった。
「なるほどねぇ」
「な、納得しないでください……!」
もはや半分泣きが入った藍の叫びに、僧正坊はくつくつ笑って答えた。
「わかったよ。確かに私は少し急いてしまったようだ。この贈り物は祝い事ではなく、私からの親愛の証として受け取ってはくれないか」
「親愛って……」
つまり、個人的に仲良くしましょうと、そう言っているらしい。だがそれにしても、多すぎる。藍の腰がまだ引けていると感じ取ったらしい僧正坊は、提案した。
「大丈夫。どれも京都の名産品だ。この時期が旬のものもたくさんあるんだよ。君の母君の店の料理に加えてもらえれば、ぴったりだと思うんだがね」
「何でお母さんのお店のことを……あ!」
いきなり優子のことを言われて驚いたが、同時に朝の会話を思い出した。
確か昨日、急に団体の客が来たと言っていた。その客は全部で十一人。全員よく食べる。そして一瞬にして消え去ってしまったと。
「ああ、昨日の団体客って僧正坊たちだったのか」
僧正坊の得意げな笑みが、その問いを肯定していた。それを見た太郎も治朗も、大きなため息を吐きだしていた。
「藍、受け取って大丈夫だよ。これ、最初からお祝いじゃないから」
「最初から、母君の店に送られることを想定していたのだろう。つまり、これで美味い料理を出して欲しいと、遠回しに母君にねだっているんだ」
「太郎の料理でも、私は一向に構わないがね」
料理のリクエストであることは、まったく否定しなかった。
「ダメだよ。僕は今日は忙しいの。藍の勉強を見なくちゃいけないんだから」
「ほぅ、勉強?」
そう呟くと、僧正坊は藍たちの背後を覗き込んだ。先ほどまで机いっぱいに広げていた教科書やら参考書やらを、急いで端に追いやったものだ。
だが僧正坊は呆れる様子も怒る様子もなく、変わらず笑みを浮かべたまま言った。
「なんだ、それならば私がその”勉強”を見て差し上げよう」
「え」
「それで太郎は、何の気兼ねもなく料理に打ち込んでくれたまえ。何なら治朗も手伝いにいくといい」
「えぇ……」
「日本史くらいなら、任せて貰ってもいいと思うが」
突然の言葉に、藍は驚いていたが、意外にも太郎と治朗は悪くないという面持ちで顔を見合わせていた。
「まぁ、僧正坊なら……」
「任せても……いいでしょうか」
「えええぇ!?」
うるさいくらいの藍の叫び声には一切構わず、僧正坊がパンと手を叩いた。
「よし決まりだ。私は藍さんの臨時家庭教師、太郎は夕飯作り、治朗はその補佐。それぞれ役割を果たそうじゃないか」
言うとおりにするのは不服そうではあるが、太郎も治朗も異論はないためか、台所に向かおうとしていた。僧正坊はいそいそと、端にどけていた日本史の教科書を拾い上げ、目を通している。
藍は、まだ気がかりなことがあった。
「あ、あの……!」
「なんだい?」
「そのぅ……後ろにいらっしゃる方々は……?」
藍が指したのは、先ほど紹介された鞍馬山十天狗神の皆様だった。全員、表情を変えず、ただじっと押し黙っている。そんな彼らを僧正坊はチラリと振り返り、ああ、と短く呟いた。そして……
「お前たち、帰りなさい」
ニッコリとそう言われると、十天狗神たちは揃って立ち上がり、庭に出て行った。
料理を作って貰うための食材を運ばせておいて、その食材で作られた料理を食べさせもせずに帰すとは。
この人は、鬼畜だ、と藍の胸のうちの危険信号が大きく反応していた。
だが知名度や人気で見れば、段違いの存在だ。おそらく天狗と聞いて、真っ先に鞍馬山の天狗の名が上がる者がほとんどであろうと思われる。
その人気を壊さない、爽やかで麗しい見目と所作で振る舞う僧正坊その人であった。
(天狗って、もっといかついイメージでいたんだけど……)
太郎といい、次郎といい、三郎といい、この僧正坊といい、藍の頭の中のイメージをことごとく崩してくれる天狗ばかりだった。
むしろ僧正坊の背後に控えている天狗たちの方が、よほど藍の抱いていたイメージに近かった。だが、彼らはじっと僧正坊に付き従い、指示を待っている。
そんな様子を驚きの目で見つめていた藍を、僧正坊はクスリと笑った。
「すまないね、強面ばかりで」
「い、いえ……! その方々は、いったい……?」
尋ねた瞬間、後ろにいた十人のうち一人の視線がぎろりと藍の方へ向いた。だが、僧正坊が静かに手を挙げると、その視線をそらせた。
「彼らは鞍馬山十天狗神といってね。私の配下だよ。今日はちょっと大荷物だったから、ここまで付いてきてもらったんだ」
「はぁ、なるほど……って、違う! あの大荷物、全部勘違いです!」
「勘違い?」
僧正坊は、にこやかな視線のまま、太郎に視線を移した。
「彼女はこう言っているが、どうなんだい?」
「まぁ、ちょっと気は早いかな」
「ちょっとじゃありません! 永久に、です!」
僧正坊は今度は、治朗に視線を移した。
「しかし治朗までがここにいるということは……愛宕に嫁入りするまでの補佐や諸々の教育を施しているということなのではないのかい?」
「違う。俺はただ、兄者に請われ、この藍の護衛をしているだけだ」
「護衛?……ああ、なるほど」
僧正坊は藍の全身を見回し、すぐに納得してしまった。以前から太郎に言われていたことだが、所見の者にもわかるほど、藍の全身を巡る気は大きいらしい。
僧正坊は目を瞑って、うーんと唸った。
「ちょっと整理させてくれ。この姫君は、かの姫であることは間違いないのかな?」
「うん」
藍が否定する前に、太郎がしっかりと頷いてしまった。
「だが、本人にはそんな自覚がない?」
「うん」
「だが姫の力だけは、しっかり受け継いでしまっている?」
「そうなんだよね」
僧正坊は太郎の頷く様を見て、すぅっと息を吸い、吐き出すと同時に告げた。
「つまり太郎、君は……かの姫の生まれ変わりを見つけたが、全然全く相手にされずにいて、彼女の身を守るという体で傍に侍り、あわよくば逆転の機を窺っている……と、そういうことかな?」
「そうだね」
あっさり肯定してしまったが、藍には承服しかねる内容も含まれていた。
「あの……逆転の機を窺っているって何ですか……」
「言葉通りだよ。今だったらホラ……『ワンチャン』てやつだよ」
太郎は現代社会に関しても勉強熱心であり、はやり言葉をすぐに取り入れてくるのだった。
「なるほどねぇ」
「な、納得しないでください……!」
もはや半分泣きが入った藍の叫びに、僧正坊はくつくつ笑って答えた。
「わかったよ。確かに私は少し急いてしまったようだ。この贈り物は祝い事ではなく、私からの親愛の証として受け取ってはくれないか」
「親愛って……」
つまり、個人的に仲良くしましょうと、そう言っているらしい。だがそれにしても、多すぎる。藍の腰がまだ引けていると感じ取ったらしい僧正坊は、提案した。
「大丈夫。どれも京都の名産品だ。この時期が旬のものもたくさんあるんだよ。君の母君の店の料理に加えてもらえれば、ぴったりだと思うんだがね」
「何でお母さんのお店のことを……あ!」
いきなり優子のことを言われて驚いたが、同時に朝の会話を思い出した。
確か昨日、急に団体の客が来たと言っていた。その客は全部で十一人。全員よく食べる。そして一瞬にして消え去ってしまったと。
「ああ、昨日の団体客って僧正坊たちだったのか」
僧正坊の得意げな笑みが、その問いを肯定していた。それを見た太郎も治朗も、大きなため息を吐きだしていた。
「藍、受け取って大丈夫だよ。これ、最初からお祝いじゃないから」
「最初から、母君の店に送られることを想定していたのだろう。つまり、これで美味い料理を出して欲しいと、遠回しに母君にねだっているんだ」
「太郎の料理でも、私は一向に構わないがね」
料理のリクエストであることは、まったく否定しなかった。
「ダメだよ。僕は今日は忙しいの。藍の勉強を見なくちゃいけないんだから」
「ほぅ、勉強?」
そう呟くと、僧正坊は藍たちの背後を覗き込んだ。先ほどまで机いっぱいに広げていた教科書やら参考書やらを、急いで端に追いやったものだ。
だが僧正坊は呆れる様子も怒る様子もなく、変わらず笑みを浮かべたまま言った。
「なんだ、それならば私がその”勉強”を見て差し上げよう」
「え」
「それで太郎は、何の気兼ねもなく料理に打ち込んでくれたまえ。何なら治朗も手伝いにいくといい」
「えぇ……」
「日本史くらいなら、任せて貰ってもいいと思うが」
突然の言葉に、藍は驚いていたが、意外にも太郎と治朗は悪くないという面持ちで顔を見合わせていた。
「まぁ、僧正坊なら……」
「任せても……いいでしょうか」
「えええぇ!?」
うるさいくらいの藍の叫び声には一切構わず、僧正坊がパンと手を叩いた。
「よし決まりだ。私は藍さんの臨時家庭教師、太郎は夕飯作り、治朗はその補佐。それぞれ役割を果たそうじゃないか」
言うとおりにするのは不服そうではあるが、太郎も治朗も異論はないためか、台所に向かおうとしていた。僧正坊はいそいそと、端にどけていた日本史の教科書を拾い上げ、目を通している。
藍は、まだ気がかりなことがあった。
「あ、あの……!」
「なんだい?」
「そのぅ……後ろにいらっしゃる方々は……?」
藍が指したのは、先ほど紹介された鞍馬山十天狗神の皆様だった。全員、表情を変えず、ただじっと押し黙っている。そんな彼らを僧正坊はチラリと振り返り、ああ、と短く呟いた。そして……
「お前たち、帰りなさい」
ニッコリとそう言われると、十天狗神たちは揃って立ち上がり、庭に出て行った。
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