65 / 99
四章 鞍馬山の大天狗
六
しおりを挟む
「では藍さん、かの有名な源平合戦の勝者は、源氏か平氏か、どちらか?」
「げ、源氏ですよね」
「その通り。源氏が台頭する前に平氏が朝廷において実験を握るわけだが、その立役者となった平家の統領の名は?」
「た、平……清盛……?」
「そう。では彼を打ち倒したのは?」
「源頼朝……ですよね」
「よろしい。ではその源平合戦について流れを見直していこうか。平治元年に平治の乱が起こり源頼朝は伊豆に流され、仁安二年平清盛が太政大臣になる。治承四年には源平争乱が巻き起こり、元暦二年には壇ノ浦の戦いにより平家勢は滅亡、これで源氏の世が来ると思われたがその前に戦の立役者であるはずの源義経を兄である源頼朝が追討するという悲劇が
……!」
「ち、ちょっと待ってください!」
だんだん熱の入っていく”演説”が、ピタリと止んだ。途中で止められて不服そうな顔をした僧正坊は、顔だけくるりと藍に向けた。
「何だい? 今が源平合戦の佳境じゃないか」
「教えてくださるのはありがたいんですが……すみませんが、和暦だとわかりづらくて……」
僧正坊の眉が、さらにぴくりと跳ね上がった。
「西暦はかなり後になってからこじつけた年号じゃないか。われわれ日本人は、はるか昔から元号を作って暦と歴史を管理してきたのだよ」
「そうなんですが……すみません。西暦に慣れてしまった現代っ子で……あと……教えて頂いたのに、すごくすごく言いづらいんですが……」
「何だい? これでも長く生きてきたんだ。多少のことでは驚かないよ」
「源平合戦のところ……試験に出ないんです」
僧正坊の動きが、今度こそ止まった。有名な歌劇のような芝居がかった大きな仕草をそろりと下して、こほんと小さく咳ばらいをする。
「まぁ、いずれは勉強することになるさ」
そうにこやかに言いながら、教科書のページを戻していった。
その行動が、何とも気まずくて、藍はそういえば、と話題を逸らした。
「その義経さんて、絵本でよく描かれてる牛若丸ですよね。確か鞍馬寺で修行したっていう……?」
「ああ、そうだよ。幼い頃に鞍馬寺に預けられたんだ。その頃には『遮那王』と名乗っていたな。僧になることを拒んで寺を出て、奥州に行ってしまったがね」
「てことは、もしかして実物の牛若丸に会ったことがあるんですか?」
「あるとも」
「どんな子だったんですか?」
僧正坊は、にこやかな顔のまま、首をひねって考えていた。
「そうだね……不憫な子だった」
「不憫ですか?」
僧正坊は、静かに頷いていた。
「考えてもみたまえ。生れた頃から敗将の子として育ち、年端も行かぬうちから母御と引き離された挙句に、良い扱いも受けていたとは言えないんだ。まぁ、武家の子としては珍しくはないがね」
「じゃあ、寂しそうだったんですか?」
「そう口にしたことはない。だが思っていなかったわけではないだろうな。その上、彼は君や太郎と同じだった。さぞ生きづらかっただろう」
顔を上げた僧正坊は、その瞳に哀れみを湛えていた。まるで目の前に、今話している義経がいるかのような目だ。
「だが、遮那王には鞍馬の天狗が付いた。太郎には姫がいた。君には……太郎がいる。何も心配はない」
僧正坊の声も仕草も、心から相手を案じているかのような優しいものだった。
だが、藍はその言葉の端々から捨て置けない言葉を拾っていた。今まで聞いたことがなかった、そして見過ごしてはいけないような言葉を。
「ちょっと待ってください。太郎さんと、その遮那王や私が同じって、どういうことですか?」
訊ねた途端、僧正坊の顔が優しい面持ちから怪訝なものに変わった。
「聞いていないのかい?」
藍が頷くと、僧正坊はしばし考えた。そしてほんの少し、見落としてしまいそうなほど微かに、口の端を持ち上げた。
「君は、聞きたいと思うかい?」
今度は、藍の方がわずかに考えた。だが、見過ごしてはいけないと感じた自分の直感を、信じることにした。
「はい。聞かせてください」
「げ、源氏ですよね」
「その通り。源氏が台頭する前に平氏が朝廷において実験を握るわけだが、その立役者となった平家の統領の名は?」
「た、平……清盛……?」
「そう。では彼を打ち倒したのは?」
「源頼朝……ですよね」
「よろしい。ではその源平合戦について流れを見直していこうか。平治元年に平治の乱が起こり源頼朝は伊豆に流され、仁安二年平清盛が太政大臣になる。治承四年には源平争乱が巻き起こり、元暦二年には壇ノ浦の戦いにより平家勢は滅亡、これで源氏の世が来ると思われたがその前に戦の立役者であるはずの源義経を兄である源頼朝が追討するという悲劇が
……!」
「ち、ちょっと待ってください!」
だんだん熱の入っていく”演説”が、ピタリと止んだ。途中で止められて不服そうな顔をした僧正坊は、顔だけくるりと藍に向けた。
「何だい? 今が源平合戦の佳境じゃないか」
「教えてくださるのはありがたいんですが……すみませんが、和暦だとわかりづらくて……」
僧正坊の眉が、さらにぴくりと跳ね上がった。
「西暦はかなり後になってからこじつけた年号じゃないか。われわれ日本人は、はるか昔から元号を作って暦と歴史を管理してきたのだよ」
「そうなんですが……すみません。西暦に慣れてしまった現代っ子で……あと……教えて頂いたのに、すごくすごく言いづらいんですが……」
「何だい? これでも長く生きてきたんだ。多少のことでは驚かないよ」
「源平合戦のところ……試験に出ないんです」
僧正坊の動きが、今度こそ止まった。有名な歌劇のような芝居がかった大きな仕草をそろりと下して、こほんと小さく咳ばらいをする。
「まぁ、いずれは勉強することになるさ」
そうにこやかに言いながら、教科書のページを戻していった。
その行動が、何とも気まずくて、藍はそういえば、と話題を逸らした。
「その義経さんて、絵本でよく描かれてる牛若丸ですよね。確か鞍馬寺で修行したっていう……?」
「ああ、そうだよ。幼い頃に鞍馬寺に預けられたんだ。その頃には『遮那王』と名乗っていたな。僧になることを拒んで寺を出て、奥州に行ってしまったがね」
「てことは、もしかして実物の牛若丸に会ったことがあるんですか?」
「あるとも」
「どんな子だったんですか?」
僧正坊は、にこやかな顔のまま、首をひねって考えていた。
「そうだね……不憫な子だった」
「不憫ですか?」
僧正坊は、静かに頷いていた。
「考えてもみたまえ。生れた頃から敗将の子として育ち、年端も行かぬうちから母御と引き離された挙句に、良い扱いも受けていたとは言えないんだ。まぁ、武家の子としては珍しくはないがね」
「じゃあ、寂しそうだったんですか?」
「そう口にしたことはない。だが思っていなかったわけではないだろうな。その上、彼は君や太郎と同じだった。さぞ生きづらかっただろう」
顔を上げた僧正坊は、その瞳に哀れみを湛えていた。まるで目の前に、今話している義経がいるかのような目だ。
「だが、遮那王には鞍馬の天狗が付いた。太郎には姫がいた。君には……太郎がいる。何も心配はない」
僧正坊の声も仕草も、心から相手を案じているかのような優しいものだった。
だが、藍はその言葉の端々から捨て置けない言葉を拾っていた。今まで聞いたことがなかった、そして見過ごしてはいけないような言葉を。
「ちょっと待ってください。太郎さんと、その遮那王や私が同じって、どういうことですか?」
訊ねた途端、僧正坊の顔が優しい面持ちから怪訝なものに変わった。
「聞いていないのかい?」
藍が頷くと、僧正坊はしばし考えた。そしてほんの少し、見落としてしまいそうなほど微かに、口の端を持ち上げた。
「君は、聞きたいと思うかい?」
今度は、藍の方がわずかに考えた。だが、見過ごしてはいけないと感じた自分の直感を、信じることにした。
「はい。聞かせてください」
0
あなたにおすすめの小説
後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜
二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。
そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。
その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。
どうも美華には不思議な力があるようで…?
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる