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四章 鞍馬山の大天狗
七
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藍のはっきりとした返答を、僧正坊は思いのほか気に入ったようだった。居住まいを改めて、藍に真正面から向き合った。
藍も、正面に正座し直した。
「同じ……と言ったが、厳密には少しだけ違う。君や遮那王は生まれつき並の人間よりもずっと強い力を持って生まれた、いわば化け物だ」
「ば、化け物!?」
「いや失敬。人間離れしている人間だ」
どちらも同じじゃないのか、という言葉を、藍はかろうじて飲み込んだ。今はその先の話を聞くのが重要だ。
「ところが、太郎はそうじゃない。生まれつき不思議な力を持ってはいたが、まぁせいぜい見える程度だった。だが、その状況は一変する。彼は、あやかし憑きになった」
「あやかし……憑き?」
僧正坊は深く頷いた。
「言葉通りだよ。人間の体にあやかしが憑りついた存在……それが”あやかし憑き”だ。だいたいは、強いあやかしに体を乗っ取られている人間を指すな。狐憑きなどは有名だろう」
藍が頷くと、僧正坊も頷き返して、続けた。
「太郎に憑いていたのは、誰もが恐れるようなそれはそれは強力なモノでな。その影響か、太郎は人間の身には持て余すほどの力を持っていた」
「で、でも……太郎さんがそんな風に困っているような素振り、見たことないですけど」
「そうれはそうさ。封じられたのだからね」
「封じられたって……誰に?」
「君に」
「私に!?」
寝耳に水なことを聞かされて、藍は混乱したが、僧正坊はクスクス笑うだけで話を進めようとした。
「正確には、前世の君だ」
「……”姫”?」
僧正坊が頷くと同時に、藍は思い出した。先日の三郎が言っていた言葉だ。
『太郎が熱を上げてるって噂の姫なら、俺の手なんか借りずとも切り抜けられると思ったもんでね』
そう言っていた。
あれはてっきり、太郎が熱を上げるくらいだから、相当できるに違いないと思い込んでいたということだと、藍は思っていた。
だが、今の僧正坊の言葉を聞いて、違うのかもしれないと思い始めた。
「その姫って……どんな人だったんですか? 見た目とか、性格とかじゃなくて」
そんな漠然とした藍の質問の意図を、僧正坊は汲み取ったようだった。どうしてか、藍に哀れみのような慈愛のような笑みを向けた。
「彼女は、都で随一とも言われる陰陽師の血族であり、その中でもさらに他の追随を許さないほどの才を秘めていた。ありとあらゆるあやかしどもを調伏し、都に結界を張り、邪なものを遠ざけていた。まぁ、歴史に名は残っていないが」
「どうして名前が残らないんですか? そんなに凄い人なのに」
「理由は二つ。一つは女であったから。もう一つは……あやかし憑きに心を奪われて役目を投げ出してしまったから」
藍が息を飲む様子を見て、僧正坊は釘をさすように告げた。
「理由のひとつ目については触れないでくれ。私とて、いや誰にもどうしようもない問題だ。私が答えられるとすれば、二つ目の理由の方だが、何か質問はあるかい?」
「……詳しく聞かせてほしいです」
「太郎に聞けば、教えてくれるかもしれないが?」
僧正坊の笑みが、意地の悪いものに見えてしまった。藍は静かに首を横に振った。僧正坊も、それを予想していたようにくすりと笑った。
「私もそこまで詳しくは知らないんだが……あやかし憑きとして苦しんでいた太郎を愛宕の天狗に預けたのが姫だという話だ。数々のあやかしを調伏した姫にとっては、愛宕の栄術太郎様ですら恐れるものではなかったらしい。いや、感服するね」
「でも、それで終わりじゃなかったんですよね?」
そうでなければ、話に聞いたような事が起こるはずがない。
「……なんてことはない。太郎に憑りついたあやかしの力は、姫も栄術太郎様も手の施しようがないほどに強大なものだった。そのせいで、太郎は喰われそうになった。だから姫が、その命を賭して、太郎に憑いたあやかしを封じ込めた……それだけだ」
言葉の最後だけ、僧正坊は少し投げやりな言い方をしていた。口にすることを、ほんの少し躊躇っていたようだった。
(私の想像なんかより、ずっと重くて、悲しい……)
その時の……自らの命をも賭けて愛する人を救う姫の気持ちも、愛する人が自らのために命を落としたと知った時の太郎の気持ちも、とても、推し量れるようなものではなかった。
だが僧正坊からそんな経緯を聞いて、はっきりとわかったことがある。
太郎は、今でもずっと、自分を救ってくれた姫を想っている。その気持ちは、生まれ変わりだからと言って、自分などに向けられるようなものではない。
そう、確信した。
確信したら、疑問も湧いた。
「でも、そうだとしたら、どうして私の家に来たんだろう。はっきりと別人だって、初めて会った時にわかったはずなのに、どうして今もずっと……? 私に、ほんの少しでも姫の面影があるのかな?」
思ったことは、囁き声ながら口からこぼれていた。
思えば、ほんの少し似ていると言われた記憶はあった。だがあくまで”ほんの少し”だ。
首をかしげている藍の方を、僧正坊がちらりと向いた。まるでその胸の内を聞いたかのように、何かを答えようと口を開いた。
だが、藍がさらに首をかしげている様を見て、口を閉じてしまった。
そして、代わりに深く強いため息をつきながら、言った。
「……君は、何も知ろうとしていないのだね」
それまでとは打って変わった声に、背筋が粟立った。声のする方を振り返ると、そこには僧正坊がいた。
視線は冷たく、だがその背には炎を背負っているようにも見える、明王のような威厳と怒気を纏っていたのだった。
藍も、正面に正座し直した。
「同じ……と言ったが、厳密には少しだけ違う。君や遮那王は生まれつき並の人間よりもずっと強い力を持って生まれた、いわば化け物だ」
「ば、化け物!?」
「いや失敬。人間離れしている人間だ」
どちらも同じじゃないのか、という言葉を、藍はかろうじて飲み込んだ。今はその先の話を聞くのが重要だ。
「ところが、太郎はそうじゃない。生まれつき不思議な力を持ってはいたが、まぁせいぜい見える程度だった。だが、その状況は一変する。彼は、あやかし憑きになった」
「あやかし……憑き?」
僧正坊は深く頷いた。
「言葉通りだよ。人間の体にあやかしが憑りついた存在……それが”あやかし憑き”だ。だいたいは、強いあやかしに体を乗っ取られている人間を指すな。狐憑きなどは有名だろう」
藍が頷くと、僧正坊も頷き返して、続けた。
「太郎に憑いていたのは、誰もが恐れるようなそれはそれは強力なモノでな。その影響か、太郎は人間の身には持て余すほどの力を持っていた」
「で、でも……太郎さんがそんな風に困っているような素振り、見たことないですけど」
「そうれはそうさ。封じられたのだからね」
「封じられたって……誰に?」
「君に」
「私に!?」
寝耳に水なことを聞かされて、藍は混乱したが、僧正坊はクスクス笑うだけで話を進めようとした。
「正確には、前世の君だ」
「……”姫”?」
僧正坊が頷くと同時に、藍は思い出した。先日の三郎が言っていた言葉だ。
『太郎が熱を上げてるって噂の姫なら、俺の手なんか借りずとも切り抜けられると思ったもんでね』
そう言っていた。
あれはてっきり、太郎が熱を上げるくらいだから、相当できるに違いないと思い込んでいたということだと、藍は思っていた。
だが、今の僧正坊の言葉を聞いて、違うのかもしれないと思い始めた。
「その姫って……どんな人だったんですか? 見た目とか、性格とかじゃなくて」
そんな漠然とした藍の質問の意図を、僧正坊は汲み取ったようだった。どうしてか、藍に哀れみのような慈愛のような笑みを向けた。
「彼女は、都で随一とも言われる陰陽師の血族であり、その中でもさらに他の追随を許さないほどの才を秘めていた。ありとあらゆるあやかしどもを調伏し、都に結界を張り、邪なものを遠ざけていた。まぁ、歴史に名は残っていないが」
「どうして名前が残らないんですか? そんなに凄い人なのに」
「理由は二つ。一つは女であったから。もう一つは……あやかし憑きに心を奪われて役目を投げ出してしまったから」
藍が息を飲む様子を見て、僧正坊は釘をさすように告げた。
「理由のひとつ目については触れないでくれ。私とて、いや誰にもどうしようもない問題だ。私が答えられるとすれば、二つ目の理由の方だが、何か質問はあるかい?」
「……詳しく聞かせてほしいです」
「太郎に聞けば、教えてくれるかもしれないが?」
僧正坊の笑みが、意地の悪いものに見えてしまった。藍は静かに首を横に振った。僧正坊も、それを予想していたようにくすりと笑った。
「私もそこまで詳しくは知らないんだが……あやかし憑きとして苦しんでいた太郎を愛宕の天狗に預けたのが姫だという話だ。数々のあやかしを調伏した姫にとっては、愛宕の栄術太郎様ですら恐れるものではなかったらしい。いや、感服するね」
「でも、それで終わりじゃなかったんですよね?」
そうでなければ、話に聞いたような事が起こるはずがない。
「……なんてことはない。太郎に憑りついたあやかしの力は、姫も栄術太郎様も手の施しようがないほどに強大なものだった。そのせいで、太郎は喰われそうになった。だから姫が、その命を賭して、太郎に憑いたあやかしを封じ込めた……それだけだ」
言葉の最後だけ、僧正坊は少し投げやりな言い方をしていた。口にすることを、ほんの少し躊躇っていたようだった。
(私の想像なんかより、ずっと重くて、悲しい……)
その時の……自らの命をも賭けて愛する人を救う姫の気持ちも、愛する人が自らのために命を落としたと知った時の太郎の気持ちも、とても、推し量れるようなものではなかった。
だが僧正坊からそんな経緯を聞いて、はっきりとわかったことがある。
太郎は、今でもずっと、自分を救ってくれた姫を想っている。その気持ちは、生まれ変わりだからと言って、自分などに向けられるようなものではない。
そう、確信した。
確信したら、疑問も湧いた。
「でも、そうだとしたら、どうして私の家に来たんだろう。はっきりと別人だって、初めて会った時にわかったはずなのに、どうして今もずっと……? 私に、ほんの少しでも姫の面影があるのかな?」
思ったことは、囁き声ながら口からこぼれていた。
思えば、ほんの少し似ていると言われた記憶はあった。だがあくまで”ほんの少し”だ。
首をかしげている藍の方を、僧正坊がちらりと向いた。まるでその胸の内を聞いたかのように、何かを答えようと口を開いた。
だが、藍がさらに首をかしげている様を見て、口を閉じてしまった。
そして、代わりに深く強いため息をつきながら、言った。
「……君は、何も知ろうとしていないのだね」
それまでとは打って変わった声に、背筋が粟立った。声のする方を振り返ると、そこには僧正坊がいた。
視線は冷たく、だがその背には炎を背負っているようにも見える、明王のような威厳と怒気を纏っていたのだった。
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