となりの天狗様

真鳥カノ

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四章 鞍馬山の大天狗

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「問題です。窒素・酸素などの一種類の物質からできているものは?」
「えーと……純物質」
「じゃあ二種類以上の物質が混ざっているものは?」
「こ、混合物!」
「じゃあそれを分離する方法だけど……ろ紙やシカゲルのような吸着剤に、物質が吸着される強さの違いを利用して分離する操作を何ていう?」
「く、く、クロ……いや、ペーパー?」
「正解はクロマトグラフィー」
 念のため、ここは山南家の居間である。 
 いつもなら藍が帰ってきた後はテレビを見ながらまったりしている時間帯なのだが、今日は違う。
 今日は、試験を数日後に控えた藍のための、猛勉強会が開催されていた。もちろん、勉強するのは藍だけで、太郎と治朗は監督なのだが。
 藍が帰って来るなり、二人は参考書と問題集を手に、代わる代わる問題を出していた。先ほどは治朗による数学で、今は太郎による化学の授業だった。
 藍は、既にヘトヘトだった。
「ち、ちょっと休憩しませんか?」
「でもまだ試験範囲分を確認しきれてないよ。今答えられなかったばっかりだし」
「あまり一気にやっても頭に入らないと思います……!」
 藍だって普段サボっているわけではないのだが、こんなに一度に知識を詰め込むようなことは滅多にない。さすがに、脳が悲鳴を上げていた。
 だが太郎は、藍のそんな言葉に優しく穏やかな笑みを向けた。
「藍、知ってる?」
「な、何をですか?」
「人間の脳はね、昼間覚えた記憶を短期記憶として貯め込んでおくんだって。それを夜中、眠っている間に長期記憶としてしっかり覚え込むんだよ」
「つ、つまりは……?」
「今のうちに詰め込めるだけ詰め込んでおこうね」
 この笑みが悪魔の笑みに見えたのは、初めてだった。
 ちらりと視線を動かすと、治朗が呆れたように藍を見ている。基本的に太郎には逆らわない彼らしい視線だ。そして母は、この時間にはいつも店にいる。
 藍の味方は、誰一人として、いない。
(くっ……せめて、ほんのちょっと中断できれば……!)
 そう思った藍だったが、太郎は既に参考書を片手に次の問題を探している。構えていなければ、長引くだけだ。
 腹を括って、教科書を取り直した藍だった。
 その時ーー庭で大きな音がした。
 最初は小さな風の音が聞こえた。それが徐々に大きく激しい轟音となり、つむじ風となって庭の草木を揺らした。庭に面している居間の中でも、その風は吹き荒れた。咄嗟に治朗が壁になって、藍や太郎が煽られるようなことはなくて済んだ。
 だが、普通じゃないことが起こったことは確かだ。
 藍はおそるおそる、庭の方を覗き込んだ。すると、風が止んだ後、人影が現れていた。すらりと立つその姿は、先ほどの風などなかったことのように感じるほどに優美だった。
 その背後には、屈強な体格の人影が複数控えていた。ゆっくり数えると、人影はなんと十人もいた。それぞれ、何か大きな荷物を抱えている。
「いったい、何事……!?」
 おろおろしながら言う藍に対して、太郎と治朗は渋い顔をしていた。藍に対してではなく、現れた人影に対してどう扱ったものか、といった表情だった。
(三郎さんの時はこんな顔しなかったのに……)
 それほどに、現れた人物は気難しい人なのだろうか。藍は無意識に息をのんでいた。
 そんな中、静かな足音が聞こえてきた。現れた人たちの中心にいたもっとも細身の男性が、藍たちの方へと近づいてきている。
 全員が黒のスーツを身につけており、重要人物のSPなのかと錯覚してしまいそうになる。その中心にいる、SPの雇い主のような人物は、他の十人と違って細身で小柄だ。比較すればの話だが。
 その顔に浮かべているのは、敵意など皆無と言わんばかりの、きらびやかな笑みだった。
「やあやあ、愛宕の太郎に、比良の治朗。久しぶりだね」
「……何しに来たの」
 爽やかな笑みと声音を向ける男性に対し、太郎の声には棘が含まれていた。だが男性は、それを笑ってながした。
「何しにって……友人として、お山を治める頭領として、君の婚礼を祝いに来たんだよ」
「え」
 その声を発したのは、藍と太郎、同時だった。藍は眉をひそめて、太郎は眉をぴくんと跳ね上げていた。
 男性はその様子を見て満足そうに頷いた。同時に、背後にいた屈強な男性たちが、一斉に抱えていた荷物を下ろし始めた。
 荷が肩から下りる度、地面がずんと揺れていた。そしてその全てに、水引がかけられていた。
 改めて、男性は太郎と藍の両名を見て告げた。
「この度は、愛宕山八天狗社が一狗・太郎坊とその許嫁殿が婚儀を挙げると聞き及び、はせ参じた次第」
 藍は、否定しようと思ったが、もう遅かった。
 男性は、他の何物も受け付けないといった顔で、言い切った。
「お二人の門出……この、鞍馬山天狗頭領・僧正坊が、心よりお祝い申し上げる」
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