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五章 天狗様、奔る
一
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ーー藍、朝ご飯だよ
朝、自室から出てきた藍に、太郎はにこやかにそう言った。正確には、いつもそう言う。
藍たちの家に来た翌日から、こんな調子だった。
ーーお、美味しいです
ーー本当!? もっと食べて! まだまだたくさんあるよ!
そう言っては、四人で囲む食卓には多すぎるおかずをどばどば藍の皿に盛った。後で聞いたら、大所帯である天狗の里の賄い作りをする時の癖で、ついたくさん作ってしまうのだとか。
とても食べきれる量ではなかったけれど、美味しかったから、母と太郎と治朗の四人で、頑張ってたくさん食べたのだった。そして、皆それぞれに美味しいと言うのだけれど、藍が言った時はことのほか嬉しそうに笑った。
そしていくら家事を全部引き受けると言い出したからといって、太郎にすべて押しつけていたのでは申し訳ない。そう思った藍は洗濯物を畳んで持って行くなどした。すると太郎は、茹で蛸のように真っ赤になって、引きこもってしまった。
藍に対しては距離感なんてゼロかマイナスであるようにぐいぐい近づいてくるくせに、藍がほんの少しでも歩み寄ろうものなら光の速さで逃げ出す。
本当に、不思議な人だった。この太郎という人は……。
だが、その不思議な人は今、眠りについている。もう、三日になる。
試験前の最後の休日だというのに、藍は、何も手に付かない状態が、続いていた。
「太郎さん、よっぽど働きづめだったのねぇ」
倒れて以降、一度も目を覚まさない太郎を見て、母・優子は言った。太郎があれもこれもと、するする何でも引き受けてくれたことに罪悪感を感じているのかもしれない、
確かに、働きづめだった。家のことをはじめ、藍や山南家に結界を張り、さらにはお山の仕事も色々と抱え込んでいた。
太郎の部屋は、毎日遅くまで灯りが点いていた。普通の人間ならば倒れるだろうに、天狗は体が丈夫なのか……そう思っていた。
「本当に……働き過ぎなくらいだよ」
こんなにも消耗するまで、何ともないように振る舞っていた。
(私のせいだ……!)
力を使いすぎたらどうなるか、何度も見てきたというのに。
太郎の厚意に一番甘えてしまっていたのは、自分だ。許嫁じゃないと言い張って邪険にしながらも、こんな事態を引き起こしてしまった。
俯いている藍を、優子も治朗も、そっと覗き込んでいた。
「藍ちゃん、私そろそろお店の方に戻らないといけないんだけど……大丈夫?」
「大丈夫。私がついてるから」
「太郎さんじゃなくて、藍ちゃんが大丈夫かって聞いてるの」
「私は……大丈夫に決まってるよ」
「お前……自分の顔色を見たか」
何のことかわからずに首をかしげると、優子がポケットに入れていた鏡を見せた。そこに映っていたのは、普段の太郎と同じくらい青白い肌色をした、生気の消えたような面持ちの女だった。
「あれ? 私……何でこんなに……」
「当然だろう。兄者が倒れてからろくに休んでいないからな」
「でも、治朗くんだって休んでないんじゃ……」
「俺は天…………ではなくて、なんというか、鍛えているからな。三日や四日寝ずとも何とかなる」
「私も、強いはずだったんだけどな」
「すまんが、お前と俺たちでは次元が違うんだ。ともかく、自分が無敵だなどと思うな。お前が無理をしたところで、何がどうなるわけでもない」
その言葉もまた、藍の胸に深く突き刺さった。何も出来ず、消耗して心配を掛けるだけ。そう、言われてしまった。
「あ、いや、だからな、お前が元気を出さないと兄者は余計に心配なさるというか、元気がなくなるというか、起きた時に血色が悪いとまた倒れるかもれしれないというか、だな」
「治朗くん、気持ちは伝わったと思うから、もうそのへんにしときましょうか」
誠実ではあるが、言葉選びがどうにも下手な治朗を、優子が宥めた。
藍だって治朗の言いたいことは理解している。だけど今、その意図通りに受け取れるように解釈する余裕がなかった。
藍は、かえって俯いてしまった。
治朗が更に何かを言おうとしたその時、優子が立ち上がった。
「じゃあ、私行くわね。治朗くん、お手伝いしてくれない?」
「は? いや、しかし今は……」
治朗はちらりと藍に視線を送った。放っておくと、沼に沈んでしまいそうな空気を纏っている。
「大丈夫よ。藍ちゃんもちょっと疲れちゃったのよ。太郎さんも、疲れちゃっただけ。しっかり休んだら、また四人でご飯を食べられるようになるわ。そっとしておくことも、回復の秘訣よ」
優子の笑みは、治朗が余計な慰めをしない方がいいと、遠回しに告げていた。それでも、治朗は藍の重苦しい姿からなかなか目を離せないでいた。
すると、突然廊下から足音が聞こえた。
「よう! 暗くなってるもんを無理矢理お日様の下に連れて行こうとしたら、焼け死んじまうぜ。野暮なことはすんなよな」
突然、戸が開いて、そんなことを言われた。言った主は、整った目鼻立ちにモデルのようなスマートな着こなしをして、腰から銀の筒を下げていた。格好良いが、奇妙な出で立ちをしたその人は、以前にもあったことのある人だった。
「飯綱三郎……さん?」
朝、自室から出てきた藍に、太郎はにこやかにそう言った。正確には、いつもそう言う。
藍たちの家に来た翌日から、こんな調子だった。
ーーお、美味しいです
ーー本当!? もっと食べて! まだまだたくさんあるよ!
そう言っては、四人で囲む食卓には多すぎるおかずをどばどば藍の皿に盛った。後で聞いたら、大所帯である天狗の里の賄い作りをする時の癖で、ついたくさん作ってしまうのだとか。
とても食べきれる量ではなかったけれど、美味しかったから、母と太郎と治朗の四人で、頑張ってたくさん食べたのだった。そして、皆それぞれに美味しいと言うのだけれど、藍が言った時はことのほか嬉しそうに笑った。
そしていくら家事を全部引き受けると言い出したからといって、太郎にすべて押しつけていたのでは申し訳ない。そう思った藍は洗濯物を畳んで持って行くなどした。すると太郎は、茹で蛸のように真っ赤になって、引きこもってしまった。
藍に対しては距離感なんてゼロかマイナスであるようにぐいぐい近づいてくるくせに、藍がほんの少しでも歩み寄ろうものなら光の速さで逃げ出す。
本当に、不思議な人だった。この太郎という人は……。
だが、その不思議な人は今、眠りについている。もう、三日になる。
試験前の最後の休日だというのに、藍は、何も手に付かない状態が、続いていた。
「太郎さん、よっぽど働きづめだったのねぇ」
倒れて以降、一度も目を覚まさない太郎を見て、母・優子は言った。太郎があれもこれもと、するする何でも引き受けてくれたことに罪悪感を感じているのかもしれない、
確かに、働きづめだった。家のことをはじめ、藍や山南家に結界を張り、さらにはお山の仕事も色々と抱え込んでいた。
太郎の部屋は、毎日遅くまで灯りが点いていた。普通の人間ならば倒れるだろうに、天狗は体が丈夫なのか……そう思っていた。
「本当に……働き過ぎなくらいだよ」
こんなにも消耗するまで、何ともないように振る舞っていた。
(私のせいだ……!)
力を使いすぎたらどうなるか、何度も見てきたというのに。
太郎の厚意に一番甘えてしまっていたのは、自分だ。許嫁じゃないと言い張って邪険にしながらも、こんな事態を引き起こしてしまった。
俯いている藍を、優子も治朗も、そっと覗き込んでいた。
「藍ちゃん、私そろそろお店の方に戻らないといけないんだけど……大丈夫?」
「大丈夫。私がついてるから」
「太郎さんじゃなくて、藍ちゃんが大丈夫かって聞いてるの」
「私は……大丈夫に決まってるよ」
「お前……自分の顔色を見たか」
何のことかわからずに首をかしげると、優子がポケットに入れていた鏡を見せた。そこに映っていたのは、普段の太郎と同じくらい青白い肌色をした、生気の消えたような面持ちの女だった。
「あれ? 私……何でこんなに……」
「当然だろう。兄者が倒れてからろくに休んでいないからな」
「でも、治朗くんだって休んでないんじゃ……」
「俺は天…………ではなくて、なんというか、鍛えているからな。三日や四日寝ずとも何とかなる」
「私も、強いはずだったんだけどな」
「すまんが、お前と俺たちでは次元が違うんだ。ともかく、自分が無敵だなどと思うな。お前が無理をしたところで、何がどうなるわけでもない」
その言葉もまた、藍の胸に深く突き刺さった。何も出来ず、消耗して心配を掛けるだけ。そう、言われてしまった。
「あ、いや、だからな、お前が元気を出さないと兄者は余計に心配なさるというか、元気がなくなるというか、起きた時に血色が悪いとまた倒れるかもれしれないというか、だな」
「治朗くん、気持ちは伝わったと思うから、もうそのへんにしときましょうか」
誠実ではあるが、言葉選びがどうにも下手な治朗を、優子が宥めた。
藍だって治朗の言いたいことは理解している。だけど今、その意図通りに受け取れるように解釈する余裕がなかった。
藍は、かえって俯いてしまった。
治朗が更に何かを言おうとしたその時、優子が立ち上がった。
「じゃあ、私行くわね。治朗くん、お手伝いしてくれない?」
「は? いや、しかし今は……」
治朗はちらりと藍に視線を送った。放っておくと、沼に沈んでしまいそうな空気を纏っている。
「大丈夫よ。藍ちゃんもちょっと疲れちゃったのよ。太郎さんも、疲れちゃっただけ。しっかり休んだら、また四人でご飯を食べられるようになるわ。そっとしておくことも、回復の秘訣よ」
優子の笑みは、治朗が余計な慰めをしない方がいいと、遠回しに告げていた。それでも、治朗は藍の重苦しい姿からなかなか目を離せないでいた。
すると、突然廊下から足音が聞こえた。
「よう! 暗くなってるもんを無理矢理お日様の下に連れて行こうとしたら、焼け死んじまうぜ。野暮なことはすんなよな」
突然、戸が開いて、そんなことを言われた。言った主は、整った目鼻立ちにモデルのようなスマートな着こなしをして、腰から銀の筒を下げていた。格好良いが、奇妙な出で立ちをしたその人は、以前にもあったことのある人だった。
「飯綱三郎……さん?」
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