となりの天狗様

真鳥カノ

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五章 天狗様、奔る 

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 名を呼ぶと、三郎は返事の代わりに精悍な笑みを浮かべた。
 だが驚いていたのは、藍だけではなかった。治朗もまた、驚きを隠せなかった。
「三郎、何故ここに?」
「何故って、太郎が倒れたって聞いたからな。来てみたらお嬢の方が死にそうな顔してるしよ」
「あのぅ……どちら様?」
 一番驚いていたのは、優子だったようだ。初対面なのだから仕方ない。
「ご、ごめんなさい。この人は飯綱三郎っていう人で、太郎さんや治朗くんの……友達なの」
「どうも、お初にお目にかかります。お嬢……藍さんの母君。飯綱三郎と申す」
「はぁ……」
 古風な名乗りに、優子は目を丸くしていた。三郎は柔らかな物腰で、精悍な眼差しで、たたみかけるように言った。
「お聞きの通り、太郎や治朗とは長い付き合いの友人なんです。いきなり押しかけて申し訳ない。太郎が倒れたと聞いて、急いで来たので。それに皆さんがこちらにおられるから玄関でお声を掛けても気付かれなかったもので。無作法をお許しいただけますか?」
「は、はい……まぁお友達なら……」
「良かった。それにもう外出しなければいけないんですよね? 良ければ、私が傍についていましょうか?」
「え!? いえ、それはさすがに……」
 今会ったばかりの若い男性と、高校生女子の藍を家に二人きりにするのは、さすがに気が引けたらしい。だがそんな返答すら、三郎は予想していたようだった。
「大丈夫。お嬢さんと二人になんかなりませんから。おーい、入ってきな」
 三郎が戸の向こうに声を掛けると、ひょこっと小さな影が三つ現れた。小さな、似た面立ちの女の子が三人……琥珀と珊瑚と翡翠だった。
 三人とも、パタパタと走り寄ると、優子に向けてぺこりとお辞儀した。
「琥珀です」
「珊瑚です」
「ひ、翡翠です」
「あら! まぁお行儀の良い……」
 三人それぞれと握手をしたら、優子の目尻は下がりっぱなしになった。それを見た三郎の顔は、してやったり、といった顔に変わった。
「ね? この子たちがいるんですから、変なことにはなりませんよ。安心してお仕事に行って下さい」
「そうねぇ……この子たちが見張ってくれるんなら、大丈夫かしら」
 優子の判断は、あっという間だった。
「じゃあ、お願いするわね。途中で治朗くんを帰すから」
 そう言って、琥珀たちにバイバイと手を振り、部屋を出て行ってしまった。治朗も、何か物言いたげな視線を向けながらも、優子に従った。  
 残されたのは、ニコニコしている三郎と、展開について行けない藍と、眠ったままの太郎の三人だけだった。
「えーと……すみません。大したお構いも出来ないかもしれませんが」
「いいのいいの。太郎が弱ってるところを見てからかってやろうと思ってただけだからな」
「でも、からかうって言っても……」
 藍がちらりと視線を下げると、三郎も同じように視線を下に向けた。二人とも、見つめているのは太郎の眠った顔だ。
「まぁ、さすがにずっと寝たままとはな……あの良く回る口も、閉じたまんまだと物寂しいもんだ」
 そう言って、三郎は太郎の枕元に座り込んだ。その周りに、琥珀たち三人が集まって、じっと太郎の顔を覗き込んでいた。
「治朗くんが言うには、消耗しきっているんだそうです。強い結界を張り続けているからだって……」
「なるほどな。それで今、この家の結界が消えていたわけか」
「はい。治朗くんが代わりに結界を張るって言ってましたけど、同じようにすると身動きがとれなくなるからって、ずっとずっと弱いものになってるって……」
「確かに、あってないようなもんだな、アレは。ちょっと強い力を持ってる奴なら、すり抜けられそうだ」
 そう言われて、ますます気が重くなった。
 こんなにも、色々なことが太郎任せになっていたとは。
「まぁ気にするな。全部、あいつが勝手にやってることだ」
「でも、お世話になっといてそんなことは言えないです」
「いいんだよ。全部あいつの都合なんだ。姫に助けられたことも、その姫を想い続けていることも、叶わないってわかっているのにお嬢の傍に居続けるのも、あいつが全部自分の都合を押しつけているに過ぎないんだからな。お嬢が気にする必要は、少しもない。だって、お嬢は姫とは別人なんだからな」
 その言葉に、頷くことはできずにいた。言っていることが正しいのは理解できるが、どうしても額面通りに受け取ることは、できなかった。
 ただ手のひらをぎゅっと握りしめている藍の近くで、管狐たちはぴょこぴょこ跳ね回って、太郎の様子を窺っていた。
「なんだか……けものの匂いがします」
 琥珀の声が、ぽつりと聞こえた。すると珊瑚も翡翠も、同時に頷いた。
「”けもの”?」
「けものが、ついてる感じがします。あと、じーっと誰かに見られています」
「……何だそりゃ?」
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