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第6章 聖大樹の下で
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――その瞬間に、ふわりと思い出した。
幼い頃、レティシアは大きな木に登って下りられなくなったことがあった。どこまで行けるのか知りたくてぐんぐん高く登っていった。でも下を見たら、自分と地面との差に急におののいて、竦んでしまった。
大人達が慌てて駆け寄ってきたけれど、はしごが届かないような高さまで登ってしまった自分を救える人なんて誰もいなかった。
ああ、私はもう一生、こんな高い木の上で暮らさなければいけないんだ……そう思って、絶望した。
その時だった。レティシアの前に、大きくて逞しい手が、静かに差し出された。夜の闇よりも黒い髪と、炎のように真っ赤な瞳が、印象的な男の人だった。
だけど何より一番驚いたのは、その男の人が空に浮かんでいたと言うことだった。物を少し浮かせる魔術は見たことがあったが、人間を浮かせるようなものは初めてだ。
男の人は、驚くレティシアを優しく抱き上げると、風に乗ってびゅんびゅん空を舞って、やがて風と共に地上に降り立った。ちょうど、今のアベルと同じように。
「アベル様……」
今は、降り立つと言うよりは、勢い任せに不時着したと言った方が正しい。
そしてあの時、男の人はレティシアを地面に下ろすと、何も言わずに立ち去った。だが今は、側にいるアベルは、レティシアを抱き留めた腕を決して離さなかった。
二人して教会の中庭に転がり落ちている様は、先ほどまでの怖かった状況を差し引いても、なんだか恥ずかしい。
だがアベルは、いつもと変わらない静かな声で尋ねてきた。
「……無事か」
「え、は、はい……怪我はありません」
「そうか」
そう呟くと、ようやくアベルは、レティシアを開放した。気恥ずかしくてぱっと身を離したレティシアに遅れて、アベルはゆっくりと身を起こす。
そして、起こすと同時にレティシアの顔にそっと掌を添えたかと思うと……思い切り額をはじいた。
「痛っ!!」
抗議しようとアベルを睨む。だが逆に、怒り心頭といった様子のアベルに睨み返されていた。
「な、何ですか……」
「この……バカ! 大人しくしていろと言っただろうが」
「なっ……! こんなびゅんびゅん飛び回ったアベル様に言われたくありません!」
「勢いをつけて飛んだから仕方ないだろう! 誰のせいであんなことになったと思っている」
「私のせいだって言うんですか!?」
「見覚えのある植物の暴走で建物を壊したのはどこの誰だ! しかも自分が真っ先に落ちるなど、間抜けにも程がある!」
「あのーお二人とも……微笑ましいケンカは後にしませんか?」
遠慮がちに、だがクスクス笑いながらそう言ったのは、確かにレオナールの声だ。振り向くと、声と同じ印象の顔で二人の側に立っている。その後ろには、あわあわしているアランと、にやにやしているジャンもいる。
「な、なんでここに……?」
「アベル様が来たんだから、そりゃあ俺たちも来るでしょうよ」
なるほど確かに。ジャンの言葉に頷きつつ唖然としていると、足音やら悲鳴やら怒号やらが、次々押し寄せてきた。
王宮の兵士達、それを引き連れているリール公爵たちだ。
「お父様……!」
「レティシア、無事か!?」
駆け寄り、人目も憚らずに抱きしめる父親にレティシアは驚いていた。人前でそんなことをする人手はないと思っていた。
レティシアを放すと、リール公爵はアベルに向けて深く頭を垂れた。
「娘をお助け下さり、感謝の言葉もございません。私は、あなたにどのように報いれば良いのか……エルネスト殿下」
「……よせ。今はランドロー伯爵、そうだろう?」
「お父様……知っていたの? アベル様がエルネスト王子だって」
「お前こそ」
レティシアがその名を口にしたことで、むしろアベルとリール公爵が驚いていた。
「お前の父君のおかげで俺はバルニエ領まで逃れることが出来たんだ。今回の助力も併せて、報いるとしたら俺の方だ」
「もったいないお言葉です」
お互いに頭を下げ合っているアベルとリール公爵。穏やかな空気を纏っていたのだが、王宮から派遣された兵士達に混ざって現れたもう一人の人物を目に留めると、二人共が顔を強ばらせた。レティシアもまた、目を瞠っていた。
「お兄様……」
幼い頃、レティシアは大きな木に登って下りられなくなったことがあった。どこまで行けるのか知りたくてぐんぐん高く登っていった。でも下を見たら、自分と地面との差に急におののいて、竦んでしまった。
大人達が慌てて駆け寄ってきたけれど、はしごが届かないような高さまで登ってしまった自分を救える人なんて誰もいなかった。
ああ、私はもう一生、こんな高い木の上で暮らさなければいけないんだ……そう思って、絶望した。
その時だった。レティシアの前に、大きくて逞しい手が、静かに差し出された。夜の闇よりも黒い髪と、炎のように真っ赤な瞳が、印象的な男の人だった。
だけど何より一番驚いたのは、その男の人が空に浮かんでいたと言うことだった。物を少し浮かせる魔術は見たことがあったが、人間を浮かせるようなものは初めてだ。
男の人は、驚くレティシアを優しく抱き上げると、風に乗ってびゅんびゅん空を舞って、やがて風と共に地上に降り立った。ちょうど、今のアベルと同じように。
「アベル様……」
今は、降り立つと言うよりは、勢い任せに不時着したと言った方が正しい。
そしてあの時、男の人はレティシアを地面に下ろすと、何も言わずに立ち去った。だが今は、側にいるアベルは、レティシアを抱き留めた腕を決して離さなかった。
二人して教会の中庭に転がり落ちている様は、先ほどまでの怖かった状況を差し引いても、なんだか恥ずかしい。
だがアベルは、いつもと変わらない静かな声で尋ねてきた。
「……無事か」
「え、は、はい……怪我はありません」
「そうか」
そう呟くと、ようやくアベルは、レティシアを開放した。気恥ずかしくてぱっと身を離したレティシアに遅れて、アベルはゆっくりと身を起こす。
そして、起こすと同時にレティシアの顔にそっと掌を添えたかと思うと……思い切り額をはじいた。
「痛っ!!」
抗議しようとアベルを睨む。だが逆に、怒り心頭といった様子のアベルに睨み返されていた。
「な、何ですか……」
「この……バカ! 大人しくしていろと言っただろうが」
「なっ……! こんなびゅんびゅん飛び回ったアベル様に言われたくありません!」
「勢いをつけて飛んだから仕方ないだろう! 誰のせいであんなことになったと思っている」
「私のせいだって言うんですか!?」
「見覚えのある植物の暴走で建物を壊したのはどこの誰だ! しかも自分が真っ先に落ちるなど、間抜けにも程がある!」
「あのーお二人とも……微笑ましいケンカは後にしませんか?」
遠慮がちに、だがクスクス笑いながらそう言ったのは、確かにレオナールの声だ。振り向くと、声と同じ印象の顔で二人の側に立っている。その後ろには、あわあわしているアランと、にやにやしているジャンもいる。
「な、なんでここに……?」
「アベル様が来たんだから、そりゃあ俺たちも来るでしょうよ」
なるほど確かに。ジャンの言葉に頷きつつ唖然としていると、足音やら悲鳴やら怒号やらが、次々押し寄せてきた。
王宮の兵士達、それを引き連れているリール公爵たちだ。
「お父様……!」
「レティシア、無事か!?」
駆け寄り、人目も憚らずに抱きしめる父親にレティシアは驚いていた。人前でそんなことをする人手はないと思っていた。
レティシアを放すと、リール公爵はアベルに向けて深く頭を垂れた。
「娘をお助け下さり、感謝の言葉もございません。私は、あなたにどのように報いれば良いのか……エルネスト殿下」
「……よせ。今はランドロー伯爵、そうだろう?」
「お父様……知っていたの? アベル様がエルネスト王子だって」
「お前こそ」
レティシアがその名を口にしたことで、むしろアベルとリール公爵が驚いていた。
「お前の父君のおかげで俺はバルニエ領まで逃れることが出来たんだ。今回の助力も併せて、報いるとしたら俺の方だ」
「もったいないお言葉です」
お互いに頭を下げ合っているアベルとリール公爵。穏やかな空気を纏っていたのだが、王宮から派遣された兵士達に混ざって現れたもう一人の人物を目に留めると、二人共が顔を強ばらせた。レティシアもまた、目を瞠っていた。
「お兄様……」
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