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SS「クリスマスの小さな猫に、祈りをこめて」
5 繋ぐ想い
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悠の言葉に、剣は驚いていた。栗間もまた、きょとんとしていた。
それほど深い付き合いがあるわけではないが、それでも悠の口から『お母さん』の存在を聞いたのはこれが初めてだった。離れて暮らしているなら、寂しがってもっと口にしているだろうに、と不思議に思っていたが、聞いたら聞いたで、妙な気分だ。
「えーと……お母さんは、この近隣にお住まいなんですか?」
その問いには、剣が代わりに首を横に振って答えた。正直なところ、この剣の答えの方がすとんと腑に落ちた。母親が近くにいるような雰囲気では、なかった。
「じゃあ……いつ、そのチョコを?」
尋ねると、悠は嬉しそうに、自慢げに、答えた。
「クリスマス!」
「え!?」
声を上げたのは剣だった。何やら驚くような理由があるらしい。
「悠……あの絵本以外に、チョコももらったのか?」
悠は小さく首を横に振った。
「絵本の次」
剣の様子がなにやら神妙で、自分がこれ以上訊いていいものかと栗間は迷った。だが、どうしてだかわからないが、栗間はこの続きを聞きたいと思っていた。客の事情に首を突っ込むような真似はいつもならしないのだが、今だけは、どうしても続きを聞いてみたいのだった。
「絵本の次って……もしかして去年の……俺と会う前の、クリスマスか?」
「うん」
「お母さん……会ったのか?」
「わかんない」
悠は一瞬だけ、曖昧な表情を見せた。だがすぐに、笑顔になった。
「あのね、おなかすいたなーって、さびしいなーって思ってたら、お母さん来たの。それで、猫のチョコくれた! でもね、それ食べたら眠くなって、起きたら、お母さんいなかった。だからね、お母さんどこかなってね、お外に出たの。それで、疲れたなって思ったら……」
「俺の家の前に……?」
悠は、こくんと頷いた。そして剣にぎゅっと抱きついた。思い出したら嬉しくなったのだろうか。剣もまた、それを抱きしめ返している。
栗間はその光景を見て、半分戸惑っていた。謎だったこの父娘の出会いの経緯を知ってしまい、どう声をかけたら良いか分からなかった。
そしてもう半分は……
「え!? 栗真さん!?」
ぎょっと驚く剣を見て、自分でも驚いた。いつの間にか、涙が頬を伝っていた。
「え、あれ?」
気付いてしまうと、余計に涙が溢れた。必死に拭っても、まだ溢れてくる。
「あ、あの……今の話、誰にも言いませんから」
栗間は涙を拭いながら、たどたどしく言った。
「え、ああ……お願いします」
剣は気遣わしげな表情で栗間を見ていた。同時に、眼下から「はい」と声が聞こえた。見ると悠が小さな可愛らしいハンカチを差し出している。
「ありがとうございます」
悠の厚意を、栗間は遠慮がちに受け取った。だけど、少し違うと栗間は思っていた。
今、胸の内に湧いているのは、剣や悠に気遣ってもらうようなものとは、少し違うのだと。
「ケーキ、ありがとうございます。全部で1500円になります」
栗間が金額を告げると、剣はまだ戸惑いながらも支払いを済ませた。今までニコニコしていた店員が泣きながら精算をしているのだから、二人とも戸惑うのは当然だろう。
手早くおつりを返し、ケーキの箱を渡して、なんとか笑顔を取り繕った。
剣と悠は、それまで話していたことも忘れたように、栗間に心配そうな顔を向けながら店を後にした。
(申し訳ないことしたなぁ……)
二人の表情を見て、急激に自分の失敗を痛感した。せめて、二人が帰るまで待てなかったものかと。
そう思うと、余計にこのままではダメだと思えた。次の瞬間、栗間は勢いよく外に出て、きょろきょろ見回した。そして、並んで歩く二人の姿を見つけた。
「あ、あの……!」
剣も悠も、驚いて振り返っていた。忘れ物でもしただろうか、という顔だ。
だが違う。忘れ物をしたのは栗間だ。大事なことを、伝え忘れた。
「あの……また来て下さい」
「え?」
剣と悠は、目を瞬かせて、互いに顔を見回せている。いつも通りのことを言われて戸惑っているのだろう。それでも、栗間は続けた。
「猫のチョコ……いつでも作っていますから。悠ちゃんが喜ぶなら、いくらでも作りますから!」
いつになく必死な声になってしまった。剣と悠だけでなく、道行く人も振り返り、怪訝な顔をしている。だけど栗間は気にならなかった。剣と悠に言葉が届いたのかどうか、それだけしか気にならない。
首を傾げていた悠は、ゆっくりと栗間の言葉を噛みしめ、そしてやがて大きく笑った。
「うん! またきます!」
そう言って力いっぱい、手を振った。剣もまた、微笑みながら、頭を下げた。
想いは伝わった。そう思った栗間は、二人に深く頭を下げて、ついでに通行人にも頭を下げて、店の中に戻った。
ドアを閉めた途端、もうダメだと、栗真は思った。感情が、堰を切ってしまった。二人の前だからと何とか堪えていた感情が全身を駆け巡り、やがて瞳に集まって、溢れ出した。
――良かった
何故だか、そう思ったのだった。
悠の話を聞いて、ふわりと、あの女性……クリスマスに娘のためにとチョコを買っていった、一度会ったきりのあの女性を、思い出した。
ずっと、胸の奥にひっかかっていた。
彼女は無事に娘に会えただろうか。チョコを渡せただろうか。喜んでもらえただろうか。
悠のことを、あの女性に似ていると思ったことはあるが、似ている人間なんていくらでもいる。あの女性と悠が親子なのかはわからない。違う可能性の方が高い。
だけど、それでも、栗間にはあの女性が娘にチョコを無事に渡せたように思えてならなかった。悠と似た娘が、嬉しそうに受け取ったのだと、確信に近い思いを抱いた。
自分の思い込みかもしれない。だが、その思い込みが本当であって欲しいと思う。
だから栗間は、祈った。自分が作ったチョコレートの猫に。
彼女と彼女の娘が今、どこかで笑い合っていますように、と。
悠が今、剣の隣で幸せそうに笑っているのと同じくらい、どうか幸せに――
それほど深い付き合いがあるわけではないが、それでも悠の口から『お母さん』の存在を聞いたのはこれが初めてだった。離れて暮らしているなら、寂しがってもっと口にしているだろうに、と不思議に思っていたが、聞いたら聞いたで、妙な気分だ。
「えーと……お母さんは、この近隣にお住まいなんですか?」
その問いには、剣が代わりに首を横に振って答えた。正直なところ、この剣の答えの方がすとんと腑に落ちた。母親が近くにいるような雰囲気では、なかった。
「じゃあ……いつ、そのチョコを?」
尋ねると、悠は嬉しそうに、自慢げに、答えた。
「クリスマス!」
「え!?」
声を上げたのは剣だった。何やら驚くような理由があるらしい。
「悠……あの絵本以外に、チョコももらったのか?」
悠は小さく首を横に振った。
「絵本の次」
剣の様子がなにやら神妙で、自分がこれ以上訊いていいものかと栗間は迷った。だが、どうしてだかわからないが、栗間はこの続きを聞きたいと思っていた。客の事情に首を突っ込むような真似はいつもならしないのだが、今だけは、どうしても続きを聞いてみたいのだった。
「絵本の次って……もしかして去年の……俺と会う前の、クリスマスか?」
「うん」
「お母さん……会ったのか?」
「わかんない」
悠は一瞬だけ、曖昧な表情を見せた。だがすぐに、笑顔になった。
「あのね、おなかすいたなーって、さびしいなーって思ってたら、お母さん来たの。それで、猫のチョコくれた! でもね、それ食べたら眠くなって、起きたら、お母さんいなかった。だからね、お母さんどこかなってね、お外に出たの。それで、疲れたなって思ったら……」
「俺の家の前に……?」
悠は、こくんと頷いた。そして剣にぎゅっと抱きついた。思い出したら嬉しくなったのだろうか。剣もまた、それを抱きしめ返している。
栗間はその光景を見て、半分戸惑っていた。謎だったこの父娘の出会いの経緯を知ってしまい、どう声をかけたら良いか分からなかった。
そしてもう半分は……
「え!? 栗真さん!?」
ぎょっと驚く剣を見て、自分でも驚いた。いつの間にか、涙が頬を伝っていた。
「え、あれ?」
気付いてしまうと、余計に涙が溢れた。必死に拭っても、まだ溢れてくる。
「あ、あの……今の話、誰にも言いませんから」
栗間は涙を拭いながら、たどたどしく言った。
「え、ああ……お願いします」
剣は気遣わしげな表情で栗間を見ていた。同時に、眼下から「はい」と声が聞こえた。見ると悠が小さな可愛らしいハンカチを差し出している。
「ありがとうございます」
悠の厚意を、栗間は遠慮がちに受け取った。だけど、少し違うと栗間は思っていた。
今、胸の内に湧いているのは、剣や悠に気遣ってもらうようなものとは、少し違うのだと。
「ケーキ、ありがとうございます。全部で1500円になります」
栗間が金額を告げると、剣はまだ戸惑いながらも支払いを済ませた。今までニコニコしていた店員が泣きながら精算をしているのだから、二人とも戸惑うのは当然だろう。
手早くおつりを返し、ケーキの箱を渡して、なんとか笑顔を取り繕った。
剣と悠は、それまで話していたことも忘れたように、栗間に心配そうな顔を向けながら店を後にした。
(申し訳ないことしたなぁ……)
二人の表情を見て、急激に自分の失敗を痛感した。せめて、二人が帰るまで待てなかったものかと。
そう思うと、余計にこのままではダメだと思えた。次の瞬間、栗間は勢いよく外に出て、きょろきょろ見回した。そして、並んで歩く二人の姿を見つけた。
「あ、あの……!」
剣も悠も、驚いて振り返っていた。忘れ物でもしただろうか、という顔だ。
だが違う。忘れ物をしたのは栗間だ。大事なことを、伝え忘れた。
「あの……また来て下さい」
「え?」
剣と悠は、目を瞬かせて、互いに顔を見回せている。いつも通りのことを言われて戸惑っているのだろう。それでも、栗間は続けた。
「猫のチョコ……いつでも作っていますから。悠ちゃんが喜ぶなら、いくらでも作りますから!」
いつになく必死な声になってしまった。剣と悠だけでなく、道行く人も振り返り、怪訝な顔をしている。だけど栗間は気にならなかった。剣と悠に言葉が届いたのかどうか、それだけしか気にならない。
首を傾げていた悠は、ゆっくりと栗間の言葉を噛みしめ、そしてやがて大きく笑った。
「うん! またきます!」
そう言って力いっぱい、手を振った。剣もまた、微笑みながら、頭を下げた。
想いは伝わった。そう思った栗間は、二人に深く頭を下げて、ついでに通行人にも頭を下げて、店の中に戻った。
ドアを閉めた途端、もうダメだと、栗真は思った。感情が、堰を切ってしまった。二人の前だからと何とか堪えていた感情が全身を駆け巡り、やがて瞳に集まって、溢れ出した。
――良かった
何故だか、そう思ったのだった。
悠の話を聞いて、ふわりと、あの女性……クリスマスに娘のためにとチョコを買っていった、一度会ったきりのあの女性を、思い出した。
ずっと、胸の奥にひっかかっていた。
彼女は無事に娘に会えただろうか。チョコを渡せただろうか。喜んでもらえただろうか。
悠のことを、あの女性に似ていると思ったことはあるが、似ている人間なんていくらでもいる。あの女性と悠が親子なのかはわからない。違う可能性の方が高い。
だけど、それでも、栗間にはあの女性が娘にチョコを無事に渡せたように思えてならなかった。悠と似た娘が、嬉しそうに受け取ったのだと、確信に近い思いを抱いた。
自分の思い込みかもしれない。だが、その思い込みが本当であって欲しいと思う。
だから栗間は、祈った。自分が作ったチョコレートの猫に。
彼女と彼女の娘が今、どこかで笑い合っていますように、と。
悠が今、剣の隣で幸せそうに笑っているのと同じくらい、どうか幸せに――
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「甘い」を知らなかったり、自分の名前を知らなかったり、この女の子はだいぶ重そうな人生を歩んできているようですね。
一話目を読んでみました。
なるほど。これがキャラ文芸の進め方なんですね。優しい空気が序盤から漂っていて、癒されそうな雰囲気がしますね。
子供の為に料理を作ってあげるというのも、分かりやすく共感しやすい動機付けになっているんですな。
アレルギーがあったりして、食べたいものが食べられない子もいる。生活の一部になっている「食事」ですが、他者からすれば羨ましい光景かもしれない。普通とは違う角度から、日常を切り取るという手法に舌を巻きました。
「一話目だけでも、こんなにも面白いなんてこれからどうなってしまうんだ!」
そう思わせてくれる冒頭だと思います。すばらしいですね。
読んで頂き、ありがとうございます!
どうかその後も、この父娘のことを見守ってやってくださいませm(_ _)m
こういうほっこり作品はいいですね、心が温まります。
早速のご意見、ありがとうございます!
今後もほっこりしてもらえるよう、頑張ります!
今後も見守っていただければ幸いです。どうぞよろしくお願い致します。