【完結:R15】蒼色の一振り

雪村こはる

文字の大きさ
10 / 275

命乞い【10】

しおりを挟む
 澪は、母に斬られたとは言わなかった。今まで優しかった母が、自分を斬るはずがない。そう信じたかったからだ。
 
「知らない男が入ってきた」

 澪がそう言ったことで、城内の人間は疑われなかった。しかし、澪付きの家臣が増えた。

 そんな状態の澪とは反対に、伽代は傷を負った澪のもとに憲明が通う姿を見て、今度はもっと傷を増やそうと考えた。

 前回はやり過ぎた。そう考えた伽代は、力を加減し、細かい無数の傷を澪の背中に刻んだ。

「お母様、痛い。……許して」

 泣きながら許しを請う澪に、「怒ってなんていないのよ。澪が傷だらけになると、母様は嬉しいの」そう微笑んで傷を与えた。

 伽代付きの家臣や使用人は、薄々異変に気付いていたが、何も言わなかった。澪を庇えば、自分が犠牲になるかもしれない。統主の正室には逆らえない。そう思って誰もが口をつぐんだ。

 このままでは殺されてしまうかもしれない。そうは思うが、澪は母を手にかけることなどできなかった。
 それでも、殺されるわけにはいかなかった。彼ともう一度会うまでは。

 澪は、朦朧とする意識の中、幼い日を思い出していた。

 初めて城下に降りた日。元々庶民であった母に連れられ、六歳の澪は祖父の元へと遊びに行った。
 右京が産まれたことで気が滅入っていた伽代は、息抜きをするため実家に戻ってきたのだった。

 料理が得意だった伽代は、時に料理人ではなく自らが作った料理を澪に食べさせた。この頃の伽代は、まだ我が子を愛する優しい母親であった。
 料理をしたがった澪に一つだけ教えた料理。それは、伽代が育った村の名物である冬梅草とうばいそうと呼ばれる葉菜類をみじん切りにし、調味料と和えたものを白米に混ぜて作った握り飯だった。
 字の如く、冬にしか育たず微かに梅の実の味がすることからそう呼ばれていた。
 匠閃郷では、この村でしか手に入らない希少なものである。
 たまに実家に戻っては、この冬梅草を持ち帰ってくる母と共によく作った。

 この日も澪は、握り飯を持って出掛けた。城にばかりこもっていては、同じ年の子と遊ぶこともできない。時には身分など忘れて、子供らしく遊ばせてあげたい。そんな伽代の親心であった。

 家臣に澪を見張らせ、それを悟られないよう澪を自由にさせた。
 川のせせらぎにつられて河原へとやってきた澪。川を見たのも初めてであった。太陽を受け、細かい光の粒が水面に散りばめられている。点滅するかのように輝く水が澪を誘っていた。

 感激して、足を入れる。真冬の水に驚き、飛び上がった。思わず泣いてしまい、その場でべそをかいていると「どうかしたのか?」そう声をかけられた。

 年は澪よりも少し上だと思われた。見たことのない少年だったが、澪は同じ年頃の子と遊ぶのは初めてであり、好奇心からかすぐに彼と打ち解けた。

「お前、名前は?」

 そう聞かれ、澪と答えそうになりはっと息を飲む。身分を偽るため、村にいる時は澪と書いてりょうと名乗るようにと母にきつく言われていた。

「りょ、りょう……」

「なんだ、男みたいな名前だな」

「うん……。君は?」

あおい……」

「すごい、ぴったりだね」

「そう?」

 彼はそう言って、困ったように笑った。澪は、このやりとりは思い出せるのに、何がぴったりだったのかは思い出せずにいた。
 
 散々河原を一緒に走り回って遊んだ二人。疲れ果て、河原に仰向けで寝転んだ時、蒼の腹の虫がぐうと音を立てた。

「お腹空いてるの?」

「空いてない!」

 蒼は顔を赤らめて、そっぽ向く。その姿に澪は笑いながら、「おむすび持ってるよ。二つあるから一個ずつしよう」そう提案した。

 蒼は一度断ったものの、差し出された握り飯を前にして、固唾を飲んだ。おずおずとそれを受け取ると、遠慮がちに口に運んだ。

「……美味しい」

 蒼にとっては初めての味だった。歯応えのある茎と、仄かに香る梅の味。そして、芳ばしい香り。何かに似ている気はするが、記憶を辿っても何かが違った。

「美味しい? 嬉しい!」

 身内以外の人間に、何かを褒められるのは初めてであった。満面の笑みを向ける澪を見て、蒼は顔を赤らめた。
 笑顔の美しい少女だと思ったのだ。蒼の眼に映る澪の白い肌は、鮮やかな赤い髪に映えていた。

「あと二日この村にいる。……明日も会えるか?」

「うん!」

 澪は嬉しかった。すぐに蒼に惹かれ、日が沈む頃まで一緒にいた。これが澪の初恋である。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

最後の女

蒲公英
恋愛
若すぎる妻を娶ったおっさんと、おっさんに嫁いだ若すぎる妻。夫婦らしくなるまでを、あれこれと。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

【完結】いせてつ 〜TS転生令嬢レティシアの異世界鉄道開拓記〜

O.T.I
ファンタジー
レティシア=モーリスは転生者である。 しかし、前世の鉄道オタク(乗り鉄)の記憶を持っているのに、この世界には鉄道が無いと絶望していた。 …無いんだったら私が作る! そう決意する彼女は如何にして異世界に鉄道を普及させるのか、その半生を綴る。

処理中です...