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毒草事件【22】

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ーー

 一方、調理場に足を踏み入れた澪は、中にいる料理人達が震えているのを目にして、首を傾げた。

「どうかされたのですか?」

 そう声を掛ければ、大きく肩を持ち上げ青白い顔をこちらに向けた。そこにいる料理人は全部で四人。男が三人に女が1人。
 澪の顔をみて更に四人は顔を強ばらせた。

「ひぃ! お、お許し下さいませ!」

 その内の女1人が、その場で土下座をし額を地面に擦り付けた。

「……どうして謝る?」

「わ、わ、わたくし共の管理不足故に、ど、毒を……」

 ガタガタと体を震えさせ、残りの三人もその場で額を擦り付けた。
 料理人達は自分達が膳に毒を盛り、何者かを殺害しようと企てたのではないかと疑いをかけられていると危惧していた。
 今にも歩澄から処罰が下されるのではないかと身を寄せて震え上がっていたのだ。

 そこに澪が入って来た。調理場では水抄菊が見つかり、他郷から来た姫が歩澄に掴みかかるなど修羅場が繰り広げられていると噂が飛び交い大事になっていた。
 四人は、その当事者である澪が調理場へと乗り込み、直接殺しにやってきたものだと勘違いしたのだ。

「ああ。その事ならもう大丈夫です。毒を仕込んだ者は既に処罰を受けています」

 澪が眉を下げてそう言うと、四人は素っ頓狂な声を上げ、涙を溜めた表情をそのままに澪を見つめた。

「私は、貴方達を殺すために来たのではありません。こちらにあると聞いた水抄菊の行方を探しにきたのです」

「そ、そうでしたか……」

 四人は安堵したかのように、すっと体の力を抜いた。
 最初に土下座をした女が「それでしたら薬師様が持っていかれました」と言った。

「そうですか……」

(薬師が持っていったのであれば、これ以上被害が出ることもないか……。なんにせよ、調理場に毒が置き去りにされているなど、物騒だからな……)

 澪は、先程の楊の姿を思い出し、それならばここにはもう用はないと踵を返した。
 しかし、この者達はいつまでもここで何をしているのだろうかとふと疑問に思い、足を止めた。

 話を聞けば、現在大広間には歩澄と瑛梓と梓月がおり、茶を出さねばならぬとのこと。
 伺った者が毒を盛った犯人だと処罰を与えられるのではないかと思い、誰が行くかで揉めているところであった。

「歩澄様が怖いのですか?」

「い、いえ……。歩澄様が怖いわけではありません。ただ……もしも犯人に仕立て上げられてしまえば、私達は殺されてしまうやもしれません……」

 その言葉を聞いて澪は考えた。

(料理人から見ても歩澄が怖いわけではないのか……。どうやら城内の者は皆、歩澄が冷酷非道な横暴統主だと思っているわけではなさそうだ。それなら何故、匠閃郷にはそんな噂が流れているのだろうか……)

 澪には、歩澄の意図が見えなかった。確かに潤銘郷の神室歩澄は冷酷非道であると聞いた。匠閃郷では誰もが恐れていた程だ。
 そして、噂通り歩澄は澪に冷酷な目を向け、殺気を放ち、城の者を殺した。それなのに、潤銘郷の民も城内の者も歩澄に怯えている印象はない。それどころか崇拝にも似た眼差しを向けている。

 澪は、どれが本来の潤銘郷統主の姿なのかと苦悩していた。



「それでしたら、私が茶を運びましょう」

 澪はそう提案した。

「え……?」

 四人は、口を開けたまま澪の言葉を理解するまでに暫しの時間を要した。

「私がお茶を運べば貴方方が疑われることもありません。そもそも犯人は捕まっているのですから、何も怯えることはないのですが……。それでも心配だと申すのであれば、私が運んで参りましょう」

「し、しかし……姫様にそのようなことを……」

 澪から見て一番右端にした男が、慌てた様子で腰を上げた。

「姫と言っても私は匠閃郷の姫ですから。この城では身分はないも同然です」

 そう言ってみせれば、料理人達は顔を見合わせた。
 潤銘郷には、匠閃郷の統主は民に目を向けず、民を下僕のように扱っているという噂が流れている。そんな匠閃郷の姫が潤銘郷にやってきたと聞き、料理人達も非道な姫が城内にやってきたと怯えていたのだ。
 それ故、澪の姿を見て余計に身を縮めていた。

 しかし、澪と話してみれば穏やかな表情でお茶まで自身が運んでやると言う始末。料理人達は、噂とは違う姫の態度に困惑する他なかった。

「ほ、本当によろしいのですか?」

「ええ。用意をお願いできますか?」

「は、はい! 只今!」

 目の前の女は、速やかに立ち上がるといそいそと茶の準備を始めた。どうやら他の女中達も調理場から逃げ出したようで、直接調理に関わった料理人の姿しか見えなかった。

 用意ができた茶を持って、澪は大広間に向かう。途中の廊下でふと足を止めた。
 調理場から城内へ入って来たのはこれが初めてだったため、今ままで気付きもしなかったが、そこの庭には立派な桜の木が一本立っていた。

「桜……」

 潤銘郷に来たばかりの頃、都の方で桜並木が見えた。それはどれも満開でうっとりするようだった。しかし、この桜はまだ蕾がいくつもあり、満開になるにはもう暫くかかりそうだった。
 太い幹が上まで続き、別れた枝が澪を包むように広がっていた。

 澪は、匠閃城に咲く一本の桜の木を思い出していた。桜の苗木は高価であり、城に一本贈与されたものが植えてあっただけだった。
 梅や桃は今や珍しくもなく、どの村にも植えてあるが、桜は匠閃城にしかなかった。

 そんな桜の木に登り、九重の住む村を眺めていた日々。蒼と出会った日の事が忘れられず、毎日その木から見える筈のない蒼の姿を探していた。

「お前の髪は綺麗だな。キラキラと輝き、変わった色をしている」

「きれい!? 嬉しい……ありがとう」

 澪は、自分の髪の色が嫌いだった。父の色とも、母の色とも違った。それどころか、自分と同じ色の髪をした人間を見たことがない。水に濡れると、光の加減により普段黒に近い暗赤色は鮮やかな赤に見える。
 それは、月明かりでも同じことで、丁度月が出ている現在、澪の髪は水に浮かんだ血液のように赤く怪しく輝いていた。

 こんな薄気味悪い髪の色を、蒼は綺麗だと褒めた。それからは、少しだけ自分の髪が好きになれた。

「蒼くんは一人なの?」

「父上と母上と来ている。しかし……、私はまだ邪魔者扱いだ。こうして余所の村に来ても大抵一人でいる」

「そう……。寂しいね」

「……そうだな」

「じゃあ、私がずっと蒼くんの傍にいるよ」

「ずっと? ずっとなんて無理だろう」

 蒼は、ふっと眉を下げて笑った。

「無理じゃないよ! じゃあね、大きくなったら私、蒼くんのお嫁さんになるよ」

「お嫁さん? 気が早いな……」

「だめ?」

「いいよ。では、大人になったら私の住む郷においで」

「いいの!?」

「明日までこの村にいる。明日も会えるか?」

「うん!」

「それならば明日、次の約束をしよう。また会いに来る」

 そんな会話を思い出していた。雰囲気や口元の微笑は思い出せる。声も思い出せる。しかし、顔だけが何故か思い出せなかった。
 あの時、高熱さえ出さなければ顔を忘れることなどなかった。それどころかもう一日あの村に留まり、蒼と次の約束をした筈だった。

 潤銘郷に帰ってしまった彼が、次にいつ匠閃郷へ来てくれるつもりだったのか。潤銘郷においでと言ってくれた蒼は、本当に澪をめとるつもりだったのか。
 そんな十五年も前のことをいつまでも考えている。馬鹿げているとわかっていても、身内がいない澪にとっては、その思い出だけが頼りの綱であった。

 そんな昔の思い出に少しだけ頬を緩め、澪は大広間に向かった。
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