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毒草事件【23】

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 大広間の前に着くと、話し声が聞こえた。どうやら徳昂の事を話しているようだ。
 障子一枚の隔たりは、耳を澄ませば話の内容が聞こえてしまう。軍義をするにはこの間は不向きだなと思いながら、澪は障子の前に一度正座した。
 おぼんを置き、「澪ですが、入ってもよろしいでしょうか」と声をかけた。

「……入れ」

 暫し間があり、歩澄の声が聞こえた。
 澪は障子を開け、中へと入る。

「お茶をお持ち致しました」

 そう言った澪に歩澄は顔をしかめ、瑛梓と梓月は目を丸くさせた。

「何故お前が……?」

 眉間にぐっと皺を寄せ、上段から澪を見据える歩澄。青碧の瞳が冷たく光っていた。

「料理人達が毒を盛った犯人に仕立て上げられて、歩澄様に殺されるのではないかと調理場で怯えていた故、私がお持ちしました」

 澪はそう平然と答えた。

(おい……。もっと言い方というものがあるだろう。この女は馬鹿なのか)

 瑛梓はぎょっと目を見張り、澪の口の聞き方に緊張感を増した。

「その件については解決した筈だが?」

「そのように言って参りましたが、どうにもここへ来るのは恐ろしかったようです」

「……して、代わりにお前が毒を盛って茶を出しにきたのか?」

 歩澄の嫌味である。徳昂に毒を盛られた腹いせに、毒入りの茶を運んできたのかと言いたいのだ。

 意味を汲み取った澪は、黙ったまま瞳を揺らした。心外だとでも言いたげに、じっと歩澄の目を見つめた。

(さすがに毒を盛られた上、更に仕返しに来たのかと聞かれれば、気を悪くして当然だ。しかし、間が悪い。そう思われてもやむを得ん……)

 瑛梓は歩澄と澪のやり取りを見ながら、小さく息をついた。

(さあ、どう答える)

 澪の次の言葉を三人は待った。澪がどう出るかで歩澄の対応も変わる。

「歩澄様、それはあんまりです……」

 澪は、震えそうな声でそう言った。
 辛そうな表情を浮かべる澪に、歩澄は表情を変える気はない。演技である可能性もある、そう思ったからだ。

(気の毒だが、疑われる状況を作ったのは澪だ。手出しをするなと言うくらいだ。歩澄様も殺しはしないだろうが、万が一にでも毒が入っていればただ事では済まされないぞ……)

 瑛梓は緊迫した空気の中、じっと澪の横顔を見つめた。

「私がそのように浅はかな事をするとお思いですか? ここには瑛梓様も梓月くんもいらっしゃいます。毒で騒がれている今、そのように疑われる行為など、私がするはずがございません」

 全うな言い訳をしてきたかと三人は黙る。このような場でそんな言い訳など本来は通用しない。そう誰もが思った時、「私が歩澄様を殺すのであれば、誰もいないところでもっと上手くります故」と澪は言い放った。

「なっ……」

 三人は度肝を抜かれ、目を大きく見開いた。

「徳昂様のようなへまなど致しません。殺ると決めたら確実に仕留められる方法をとります。このような場であからさまな毒など、誰も口には致しませんよ」

 そう言いながら澪はからからと笑っている。

(なんて女だ……。統主を目の前にして己ならもっと上手く殺すだと? やはり、馬鹿なのか……)

 瑛梓は頭痛のするこめかみを押さえ、呆れた表情を浮かべる。歩澄は、額に幾つもの青筋を浮かべ「さっさと出ていけ! 無礼者!」と、声を荒げた。

「わぁ! 失礼しましたー!」

 澪は跳び跳ねるようにして一目散に逃げていった。

 梓月は、笑いを堪えるように口元を袖で覆い、肩を震わせている。

「おい、梓月。笑い事ではないぞ」

 歩澄が顔をしかめて言えば、梓月は耐えきれずその場で声を出して笑い始めた。

「も、申し訳……ははっ……」

「おい、梓月。やめないか」

 瑛梓は、梓月の着物の袖を引っ張り、叱咤する。

「ったく、あの女……。どうしてくれようか」

 そう言いながらも歩澄は困惑した顔で、額に手を当てた。
 直接歩澄にこんなことを言う女は、澪が初めてであった。琥太郎のために憤慨し、歩澄に掴みかかったかと思えば、しっかりと謝罪をし、次の瞬間にはもっと上手く殺してやると言われたのだ。

 どう対処すればよいのやらと、歩澄の悩みは深まるばかりだ。
 しかし、穏やかな表情をしている瑛梓と梓月を見れば、澪が本気で歩澄に攻撃する気はないことなどわかる。
 普段冷静な梓月がああも笑う程だ。日頃から読めない行動をとっているのだろうと、もはや憤慨することも忘れて呆れ返るのであった。

「では、毒味係は私が勤めましょう」

 笑いを鎮めた梓月は、そう言って前に出ると、全ての茶に口を付けた。

「梓月……」

 瑛梓は言葉を失い腰を上げたが、梓月は「毒は入っていないようですね。あの者は、己の戦闘力に自負がある故、このように姑息な真似などしないでしょう」

 梓月の言葉は、毒が入っていないと納得させると同時に、歩澄と瑛梓にやはり殺す気があれば直接斬りかかってくるやもしれぬとほくそ笑む澪の顔を想像させた。
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