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赤髪の少女【11】
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ある日の宵、いつも通り歩澄の元に訪れた澪。
「今日は絃さんが良いもち米が手に入ったからと、お団子にしたのですよ」
そう澪が言うと、「いつも絃と共に作った甘味ばかりだな。お前の得意料理はないのか?」と歩澄が尋ねた。こうして毎日訪れてくれることは嬉しいが、当然どれもこれも絃が作るものと同じ味であった。
一度くらい、澪が一人で拵えたものを味わってみたい。そう思ったのだ。
「そう言われましても……。恥ずかしながら料理はあまり得意ではなくて。ただ、一つなら……」
「それでいい」
「……本当に大したものではないのですよ?」
「よいと言っているだろう」
そう言って歩澄は微笑んだ。
「では明日の宵にまたお持ちします。夕餉は少なめにして下さいね」
澪もまた微笑み返した。まさか、またあの握り飯を誰かに食べさせる日がくるとは思ってもみなかった。子供騙しでも、蒼は美味しいと言って食した。
歩澄は珍しい握り飯を気に入ってくれるだろうか。そんな思いで久しぶりに作る握り飯を思い出していた。
翌日、楊の元に訪れた澪は冬梅草はあるかと尋ねた。
「冬梅草? 何に使う?」
「食べます」
「……食べる?」
楊は顔をしかめた。冬梅草を握り飯にして食べるのは、九重がいた村だけである。
「私がいた村では冬梅草を握り飯にして食べるのです。歩澄様に今宵振る舞う約束をしてしまったのですが、肝心の冬梅草がありません」
「歩澄に!? お前さん、なんたってそんなものを統主に……。草だぞ!?」
楊は頭を抱えた。他郷の姫が我郷統主に草を食べさせようとしている。これを止めるべきか否か。
「草でも美味しいのです! とにかく、必要なのです」
「必要ったって、本来冬梅草は冬にしか咲かない。わかっているだろう? 季節がわかるか? 既にもう初夏だ」
「わかっているからここへ来たのです。今から匠閃郷に行ったとしても手に入りません」
「……」
澪は食い下がり、ぐぬぬと目を細めて楊を見つめる。
楊は苦虫を噛み潰したような顔をして、とうとう降参した。
「わかった、わかったよ! まったく、私は知らないよ。草なんて食わせて怒られても」
そう言って楊は片手で持てる程の瓶を取り出した。中には乾燥した冬梅草がいくつも入っている。
「湯にさらすと元に戻る。好きなだけもっていきな」
楊の言葉に澪は顔を綻ばせ、必要な分だけ持っていった。
「本当に私は知らないよ。だって草だからね」
澪の背中に向かって楊はもう一度そう呟いた。
握り飯を拵えた澪は、意気揚々と歩澄の元を訪れた。唯一澪が作ることのできる手料理である。
こんなものでいいと言ってくれたのだ。澪はただただ嬉しかった。
差し出された握り飯を見つめ、歩澄は言葉を失った。もしや、とは何度も考えてきた。しかし、その都度否定してきたのだ。
澪があの時の澪である筈がない。そう思ってきた。しかし、見覚えのあるその握り飯は懐かしさを感じずにはいられなかった。
それを一口噛った。口一杯に広がる不思議な味わい。この握り飯が何度食べたいと思ったことか。どこへ行ってもこの握り飯を食べることは叶わなかった。色んな者に聞いたが恐らくその村独自の郷土料理であろうと言われた。あの村に再び行こうとも、統主の立場をもってしても容易には入られない匠閃郷の壁。
かといって郷の経費を使ってまで私情に溺れるわけにはいかない。そう考えると、あれからずっとありつきたくてもありつけない握り飯がようやく手に入った事に感極まるものがあった。
「……これは?」
「冬梅草の握り飯です。私の暮らしていた村独自の料理だそうです」
「お前の暮らしていた村は何という?」
歩澄はそう尋ねたが、聞かなくともわかっていた。その村のことを幾度も幾度も調べたのだから。
「小菅村というところです」
(そうであろうな……)
歩澄は軽く息をついて「村人はお前が郷の姫であると気付かなかったのか?」そう尋ねた。
「はい。身分を偽り、澪と名乗っていました」
全てが一致してしまった事実に、歩澄は喜んでいいのか悲しむべきなのかわからずにいた。あんなにも探していた少女は、ひょんなことから目の前に現れた。
しかし、その少女は歩澄との約束を破り、挙げ句想い人がいるとまで言ったのだ。
澪の過去を聞けば、大変な目に遭いその苦難を共に乗り越えた想い人がいてもおかしくはない。
しかし、己ばかりが十五年もの間追い続けてきた。ようやく忘れようとした。澪に恋心を抱き、過去を忘れて踏み出そうと思った。それなのに、恋に落ちた女は己を裏切った女であったと愕然とする他なかった。
あの時の澪が若しかしたら同じように己を探しているやもしれぬ。どこかでそんな淡い期待も抱いていた。
(違うのだな……。澪にとってはこの握り飯も誰にでも振る舞うもの。あの時、特別なものだと思っていたのは私だけか……)
歩澄はこれ以上期待するのはやめることにした。澪には想い人がいる。幼い頃の澪との思い出も全て忘れよう。探していた少女は見つかったのだ。これでようやく諦めもつく。
「もう明日から来なくていい」
歩澄は静かにそう言った。
「……お口に合わなかったのですか?」
楊に言われた統主に草など食わせる気かという言葉が頭を巡った。
「そうではない。もう出ていってくれぬか」
淡々とそう言われ、感情の見えない歩澄を前に、澪は何も言えなくなった。味が気に入らなかったのか。みすぼらしい握り飯に落胆したのか。大した料理もできない澪に失望したのか。様々な思考が駆け巡ったが、澪は黙って部屋を出ていった。
「今日は絃さんが良いもち米が手に入ったからと、お団子にしたのですよ」
そう澪が言うと、「いつも絃と共に作った甘味ばかりだな。お前の得意料理はないのか?」と歩澄が尋ねた。こうして毎日訪れてくれることは嬉しいが、当然どれもこれも絃が作るものと同じ味であった。
一度くらい、澪が一人で拵えたものを味わってみたい。そう思ったのだ。
「そう言われましても……。恥ずかしながら料理はあまり得意ではなくて。ただ、一つなら……」
「それでいい」
「……本当に大したものではないのですよ?」
「よいと言っているだろう」
そう言って歩澄は微笑んだ。
「では明日の宵にまたお持ちします。夕餉は少なめにして下さいね」
澪もまた微笑み返した。まさか、またあの握り飯を誰かに食べさせる日がくるとは思ってもみなかった。子供騙しでも、蒼は美味しいと言って食した。
歩澄は珍しい握り飯を気に入ってくれるだろうか。そんな思いで久しぶりに作る握り飯を思い出していた。
翌日、楊の元に訪れた澪は冬梅草はあるかと尋ねた。
「冬梅草? 何に使う?」
「食べます」
「……食べる?」
楊は顔をしかめた。冬梅草を握り飯にして食べるのは、九重がいた村だけである。
「私がいた村では冬梅草を握り飯にして食べるのです。歩澄様に今宵振る舞う約束をしてしまったのですが、肝心の冬梅草がありません」
「歩澄に!? お前さん、なんたってそんなものを統主に……。草だぞ!?」
楊は頭を抱えた。他郷の姫が我郷統主に草を食べさせようとしている。これを止めるべきか否か。
「草でも美味しいのです! とにかく、必要なのです」
「必要ったって、本来冬梅草は冬にしか咲かない。わかっているだろう? 季節がわかるか? 既にもう初夏だ」
「わかっているからここへ来たのです。今から匠閃郷に行ったとしても手に入りません」
「……」
澪は食い下がり、ぐぬぬと目を細めて楊を見つめる。
楊は苦虫を噛み潰したような顔をして、とうとう降参した。
「わかった、わかったよ! まったく、私は知らないよ。草なんて食わせて怒られても」
そう言って楊は片手で持てる程の瓶を取り出した。中には乾燥した冬梅草がいくつも入っている。
「湯にさらすと元に戻る。好きなだけもっていきな」
楊の言葉に澪は顔を綻ばせ、必要な分だけ持っていった。
「本当に私は知らないよ。だって草だからね」
澪の背中に向かって楊はもう一度そう呟いた。
握り飯を拵えた澪は、意気揚々と歩澄の元を訪れた。唯一澪が作ることのできる手料理である。
こんなものでいいと言ってくれたのだ。澪はただただ嬉しかった。
差し出された握り飯を見つめ、歩澄は言葉を失った。もしや、とは何度も考えてきた。しかし、その都度否定してきたのだ。
澪があの時の澪である筈がない。そう思ってきた。しかし、見覚えのあるその握り飯は懐かしさを感じずにはいられなかった。
それを一口噛った。口一杯に広がる不思議な味わい。この握り飯が何度食べたいと思ったことか。どこへ行ってもこの握り飯を食べることは叶わなかった。色んな者に聞いたが恐らくその村独自の郷土料理であろうと言われた。あの村に再び行こうとも、統主の立場をもってしても容易には入られない匠閃郷の壁。
かといって郷の経費を使ってまで私情に溺れるわけにはいかない。そう考えると、あれからずっとありつきたくてもありつけない握り飯がようやく手に入った事に感極まるものがあった。
「……これは?」
「冬梅草の握り飯です。私の暮らしていた村独自の料理だそうです」
「お前の暮らしていた村は何という?」
歩澄はそう尋ねたが、聞かなくともわかっていた。その村のことを幾度も幾度も調べたのだから。
「小菅村というところです」
(そうであろうな……)
歩澄は軽く息をついて「村人はお前が郷の姫であると気付かなかったのか?」そう尋ねた。
「はい。身分を偽り、澪と名乗っていました」
全てが一致してしまった事実に、歩澄は喜んでいいのか悲しむべきなのかわからずにいた。あんなにも探していた少女は、ひょんなことから目の前に現れた。
しかし、その少女は歩澄との約束を破り、挙げ句想い人がいるとまで言ったのだ。
澪の過去を聞けば、大変な目に遭いその苦難を共に乗り越えた想い人がいてもおかしくはない。
しかし、己ばかりが十五年もの間追い続けてきた。ようやく忘れようとした。澪に恋心を抱き、過去を忘れて踏み出そうと思った。それなのに、恋に落ちた女は己を裏切った女であったと愕然とする他なかった。
あの時の澪が若しかしたら同じように己を探しているやもしれぬ。どこかでそんな淡い期待も抱いていた。
(違うのだな……。澪にとってはこの握り飯も誰にでも振る舞うもの。あの時、特別なものだと思っていたのは私だけか……)
歩澄はこれ以上期待するのはやめることにした。澪には想い人がいる。幼い頃の澪との思い出も全て忘れよう。探していた少女は見つかったのだ。これでようやく諦めもつく。
「もう明日から来なくていい」
歩澄は静かにそう言った。
「……お口に合わなかったのですか?」
楊に言われた統主に草など食わせる気かという言葉が頭を巡った。
「そうではない。もう出ていってくれぬか」
淡々とそう言われ、感情の見えない歩澄を前に、澪は何も言えなくなった。味が気に入らなかったのか。みすぼらしい握り飯に落胆したのか。大した料理もできない澪に失望したのか。様々な思考が駆け巡ったが、澪は黙って部屋を出ていった。
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