【完結:R15】蒼色の一振り

雪村こはる

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失われた村【5】

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「……天勝あまかつ

 歩澄は目を見開き、そう呟いた。

「天勝?」

 澪が首を傾げると「私の馬だ。あれは私にしかなつかん」と歩澄は低く唸る。暴れ馬は勢いよく澪と歩澄の元へ向かってきている。

「天勝は目立つ故、他の馬を用意しろと言ったはずだが?」

 そんな歩澄の疑問に答えるよりも先に、天勝の姿はすぐ傍まで迫っていた。

「まずい! こちらに近付いてくるぞ!」

「以前も数名が大怪我を負っている! くっ……」

「しかし! 歩澄様でなければ天勝は止められぬ!」

 瑛梓、梓月、秀虎はそれぞれ声を張り、緊張感を増した。

 歩澄は天勝を止めようと身を構える。しかし、いくら歩澄にはなついているとは言え、時機を間違えば単なる怪我では済まない。
 歩澄の手にも汗握る中、天勝は歩澄と澪の前で前足を大きく上げ、鳴き声を響かせた。この前足で蹴り上げられれば、死すらも覚悟をしなければならない。

 澪をも固唾を飲む中、天勝はそのまま二本の前足を着地させた。それと同時に鼻先を澪の顔に近付けた。

「え?」

 拍子抜けした澪が目を瞬かせる。天勝は、すり寄るようにして澪の髪をつついた。

「な……天勝が歩澄様以外の人間に自ら触れるだと……?」

 秀虎は信じられないと瞳を揺らし、歩澄すらも言葉を失った。尚も鼻先を寄せる天勝に、澪はくすぐったいと笑いながら身を捩る。その姿を不思議そうに見ていた四人は、息を切らしてようやく追い付いた家来に目を向けた。

「も、申し訳っ……ありません」

 男はぜぇぜぇと息を切らし、大量の汗を流している。

「他の馬を用意しようとしたらっ……はぁ……はぁ……馬番が歩澄様の名前を出した途端、天勝が暴れてしまって……」

 息切れ切れにそう語った。

「何だ、天勝。妬いたのか?」

 そう言って歩澄はようやく笑った。天勝ではなく、他の馬に乗っていこうとしていることに天勝は気付いのだ。利口な馬である。置いていかれまいと、天勝は家来より先に歩澄の元へ向かったのだった。

「……しかし、何故澪になつく……」

 歩澄は、天勝の胴体を撫でながら眉間に皺を寄せた。

「ふふ。やめて、くすぐったい。……きっと匂いですよ」

 澪は笑いながらそう言う。

「匂い?」

 全員がぴくりと眉を動かす。

「一晩中歩澄様と一緒にいたから、おそらく歩澄様の香の馨りが髪に移ったのです」

 平然とそう言った澪の言葉を聞き、暫し間を置いた後、男達は全員目を泳がせた。一晩中、歩澄に抱かれるあられもない澪の姿を想像したからだ。

「……澪、あまりそういうことは大々的に口にしない方がいい」

 秀虎は口元を押さえて顔を背けた。梓月は面白くなさそうに口をへの字に曲げ、瑛梓は気まずそうに目を逸らす。
 まだ澪を抱いたことのない歩澄は、自尊心が高い故にその事実を家臣達に伝えるわけにもいかず、黙ってやり過ごした。

 事の重大さに気付いていない澪は、未だに天勝とじゃれ合っている。男達は、狼狽しながらその空気に耐えるのだった。

 

 歩澄が天勝をやっと説得したところで、澪と歩澄は其々の馬に跨がり匠閃郷へと向かった。

 二頭の馬を走らせ、歩澄は澪の様子を伺う。凛とした姿で馬を乗りこなす様は、とても姫とは思えなかった。
 そんな澪の姿に、ふっと笑みを溢す。毎夜己の腕の中であどけない寝顔を見せる女が、今は隣で涼しい顔をして馬を乗りこなしているかと思うとおかしかったからだ。

 歩澄の視線に気付いた澪は、「どうかされましたか?」と声をかける。

「いや、共に馬に乗らなくてよかったのか?」

 空穏のもとから奪い去った時には、一頭の馬に共に乗った。左腕で澪の体を支え、右手に持つ手綱に力が入った。澪との距離が近付き、あれはあれで悪くない体験であったと歩澄は思い出す。

「どうしてですか? 二頭で行った方が絶対に速いですよ?」

 あっさりそう言われてしまい、やはり澪は他の女とは違うと歩澄は笑う。

「そうだな。疲れやしないか?」

「半日くらい走らせたとて、大したことはありません。気になさらず、普段の速度でかまいませんよ」

 そう微笑む澪。

(まったく……大した体力だ。下手したら梓月程には並ぶぞ……)

 既に二刻は走っているというのに、全く疲れの色を出さない澪に、歩澄は脱帽するのだった。
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