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失われた村【19】
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皇成は歩澄に向き直ると「本日は客人として盛大にもてなそうぞ。宴の準備はできておる」そう言った。
歩澄は黙って頷き、秀虎と澪も栄泰郷からの歓迎を受けることとなった。
宴の席に案内されると、暫くして皇成の隣に可憐な女人が現れた。正妻の紬である。艶のある栗色の髪は、美しく均等に波打っている。元々の癖毛であるが、丁寧に手入れされているが故に、華美に見えた。また、前髪は流れるように左側で分けられ、うんと若く見えた。
紬の齢は十九であり、澪よりも二つ下。十六で皇成の元に嫁いだ良家の娘である。
澪は紬の姿を目にして瞳を揺らした。
(なんて可愛らしい人……)
皇成の奥方達は皆絶世の美女だと噂に聞いていたため、澪よりも遥かに艶やかで大人の女人を想像していた。
大きな瞳に長い睫毛、花弁のような唇。正妻としての威厳はあまり感じさせないが、目を引く美しさであるとこには変わりない。
「紹介しよう。正妻の紬だ」
皇成がそう言うと「妻の紬でございます。本日はようこそお越し下さいました。ごゆるりとおくつろぎくださいませ」と紬は隣で指先を畳に付けて頭を下げた。
声も小鳥の囀りのようで美しい女人であった。
頭を上げた紬は歩澄に美しい笑顔を向けた。
(なんて美しい殿方様……。この世にこんなにも美しい方存在するなんて)
紬は心踊るような気持ちで、己の中でも最上級の笑顔を作って見せたのだ。しかし歩澄は、それに対して無表情で頷き、秀虎と澪を紹介した。
紬は秀虎にも歩澄同様の笑顔を向けたが、澪に対しては口角を上げてクスリと笑った。
まるで姫らしくない澪を小馬鹿にしているようだ、と澪は思った。しかし、その視線にはもう慣れている。
着飾って行くことを秀虎に提案されたが、馬に乗るのに煩わしいからと澪が断ったのだ。抑澪には着飾り、女らしく振る舞うという習慣がなかったのだ。男の空穏と一緒になって勧玄の稽古を受けていた身。髪が長い以外は男のような凛々しさである。
今更女らしくないと他人から言われようと、澪には何も恥じることなどなかった。
宴が始まると、紬が歩澄と秀虎に酌をして回った。澪は断りを入れたが、強引に勧められ猪口に並々酒を注がれてしまった。
酒が飲めない澪は、おずおずと舐めるようにして猪口に口をつける。鼻を抜ける麹の香りに微かな目眩を感じた。
「無理をするな。苦手なのであろう? 飲まなくともよい」
澪の隣で歩澄はふっと微笑む。
「いえ……せっかく奥方様から直々にお酌をしていただいので一杯だけいただきます」
澪は歩澄を見上げ、歩澄につられるようにして笑みを溢した。
その様子を鋭い眼光で見ていたのは紬である。
先程、己には無表情であった歩澄が澪には優しげな笑顔を見せている。それがどうにも気に入らなかった。
紬は箱入り娘として育てられた。男達はこぞって紬を愛らしい娘だと褒め称え、鼻の下を伸ばした。郷の統主となったばかりの頃の皇成すらも、紬を妻に迎えたいと申し出たのだ。
誰もが愛して止まない娘であった筈。殿方であれば、己の美しさに目を引かれて当然である。そう考えていた紬は、澪のように飾り気のない女人が麗しい歩澄の視線を独占していることが面白くなかったのだ。
そんな中澪は固く目を閉じ、一気に酒を流し込んだ。その様子を間近で見ていた歩澄は、おかしそうに笑いながら水を手渡してやった。
振る舞われた食事は実に豪勢であった。毒でも盛られているのではないかと勘繰りもしたが、どうやらその心配もなさそうである。
宴も盛り上がり、皇成が呼んだ芸者が舞を披露した。きゃっきゃと嬉しそうに手を叩く澪の姿に、歩澄は微かな違和感を抱く。
食事を口に運んでは、嬉しそうに顔を綻ばせた。いつも以上に表情が豊かに思えた歩澄は、澪の顔を覗き込んだ。
「……澪?」
両頬を両手で覆い、にへらっと笑みを浮かべる澪。顔は紅潮しており、歩澄と目が合うとふふっとにっこり笑った。
「っ……」
歩澄は愛らしい澪の表情に胸を高鳴らせ、気持ちが昂るのを何とか抑えようと、口元を手で覆い、秀虎の方へと顔を背けた。
「……? 歩澄様?」
不審に思った秀虎が酒を飲む手を止め、顔をしかめる。
「……澪の様子がおかしい」
秀虎にだけ聞こえる声でそう言えば、秀虎は確認をするように歩澄越しに澪に目を向けた。
未だに楽しそうに手を叩いている澪の姿。秀虎は、普段とは違う澪の様子に目を見開いた。
「ほ、歩澄様……あれは一体……」
「恐らく酔っぱらっている……」
「えぇ!? それほど飲まれたのですか?」
「いや、猪口一杯だ」
「え……?」
「飲めないとは聞いていたが、これほどまでとは……」
今にも頭を抱えてしまいそうな歩澄に、秀虎は嫌な汗を滲ませた。
歩澄は黙って頷き、秀虎と澪も栄泰郷からの歓迎を受けることとなった。
宴の席に案内されると、暫くして皇成の隣に可憐な女人が現れた。正妻の紬である。艶のある栗色の髪は、美しく均等に波打っている。元々の癖毛であるが、丁寧に手入れされているが故に、華美に見えた。また、前髪は流れるように左側で分けられ、うんと若く見えた。
紬の齢は十九であり、澪よりも二つ下。十六で皇成の元に嫁いだ良家の娘である。
澪は紬の姿を目にして瞳を揺らした。
(なんて可愛らしい人……)
皇成の奥方達は皆絶世の美女だと噂に聞いていたため、澪よりも遥かに艶やかで大人の女人を想像していた。
大きな瞳に長い睫毛、花弁のような唇。正妻としての威厳はあまり感じさせないが、目を引く美しさであるとこには変わりない。
「紹介しよう。正妻の紬だ」
皇成がそう言うと「妻の紬でございます。本日はようこそお越し下さいました。ごゆるりとおくつろぎくださいませ」と紬は隣で指先を畳に付けて頭を下げた。
声も小鳥の囀りのようで美しい女人であった。
頭を上げた紬は歩澄に美しい笑顔を向けた。
(なんて美しい殿方様……。この世にこんなにも美しい方存在するなんて)
紬は心踊るような気持ちで、己の中でも最上級の笑顔を作って見せたのだ。しかし歩澄は、それに対して無表情で頷き、秀虎と澪を紹介した。
紬は秀虎にも歩澄同様の笑顔を向けたが、澪に対しては口角を上げてクスリと笑った。
まるで姫らしくない澪を小馬鹿にしているようだ、と澪は思った。しかし、その視線にはもう慣れている。
着飾って行くことを秀虎に提案されたが、馬に乗るのに煩わしいからと澪が断ったのだ。抑澪には着飾り、女らしく振る舞うという習慣がなかったのだ。男の空穏と一緒になって勧玄の稽古を受けていた身。髪が長い以外は男のような凛々しさである。
今更女らしくないと他人から言われようと、澪には何も恥じることなどなかった。
宴が始まると、紬が歩澄と秀虎に酌をして回った。澪は断りを入れたが、強引に勧められ猪口に並々酒を注がれてしまった。
酒が飲めない澪は、おずおずと舐めるようにして猪口に口をつける。鼻を抜ける麹の香りに微かな目眩を感じた。
「無理をするな。苦手なのであろう? 飲まなくともよい」
澪の隣で歩澄はふっと微笑む。
「いえ……せっかく奥方様から直々にお酌をしていただいので一杯だけいただきます」
澪は歩澄を見上げ、歩澄につられるようにして笑みを溢した。
その様子を鋭い眼光で見ていたのは紬である。
先程、己には無表情であった歩澄が澪には優しげな笑顔を見せている。それがどうにも気に入らなかった。
紬は箱入り娘として育てられた。男達はこぞって紬を愛らしい娘だと褒め称え、鼻の下を伸ばした。郷の統主となったばかりの頃の皇成すらも、紬を妻に迎えたいと申し出たのだ。
誰もが愛して止まない娘であった筈。殿方であれば、己の美しさに目を引かれて当然である。そう考えていた紬は、澪のように飾り気のない女人が麗しい歩澄の視線を独占していることが面白くなかったのだ。
そんな中澪は固く目を閉じ、一気に酒を流し込んだ。その様子を間近で見ていた歩澄は、おかしそうに笑いながら水を手渡してやった。
振る舞われた食事は実に豪勢であった。毒でも盛られているのではないかと勘繰りもしたが、どうやらその心配もなさそうである。
宴も盛り上がり、皇成が呼んだ芸者が舞を披露した。きゃっきゃと嬉しそうに手を叩く澪の姿に、歩澄は微かな違和感を抱く。
食事を口に運んでは、嬉しそうに顔を綻ばせた。いつも以上に表情が豊かに思えた歩澄は、澪の顔を覗き込んだ。
「……澪?」
両頬を両手で覆い、にへらっと笑みを浮かべる澪。顔は紅潮しており、歩澄と目が合うとふふっとにっこり笑った。
「っ……」
歩澄は愛らしい澪の表情に胸を高鳴らせ、気持ちが昂るのを何とか抑えようと、口元を手で覆い、秀虎の方へと顔を背けた。
「……? 歩澄様?」
不審に思った秀虎が酒を飲む手を止め、顔をしかめる。
「……澪の様子がおかしい」
秀虎にだけ聞こえる声でそう言えば、秀虎は確認をするように歩澄越しに澪に目を向けた。
未だに楽しそうに手を叩いている澪の姿。秀虎は、普段とは違う澪の様子に目を見開いた。
「ほ、歩澄様……あれは一体……」
「恐らく酔っぱらっている……」
「えぇ!? それほど飲まれたのですか?」
「いや、猪口一杯だ」
「え……?」
「飲めないとは聞いていたが、これほどまでとは……」
今にも頭を抱えてしまいそうな歩澄に、秀虎は嫌な汗を滲ませた。
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