【完結:R15】蒼色の一振り

失われた村【18】

　一方頼寿は、初めて千依と出会った時の事を思い出していた。
　栄泰郷で姿を見かけた時、心底美しい娘だと思った。優し気な雰囲気であり、秀虎に似て聡明そうであった。
　艶のある黒髪は、流れるようで触れてみたいと思った。

　しかし、女人好きの皇成がそのような美しい娘を前にして黙っているわけがない。権力と財力をひけらかし、千依に言い寄った。
　歩澄や秀虎をつれて家来が栄泰郷内を案内している間に、皇成は千依を城に招き豪華な食事を振る舞った。時には曲芸師や人形師を城に呼び、見世物で楽しませてやったこともあった。
　統主の重臣の妹とあって慎ましく生活をしてきたのだろう。そのようなものを見たことがないと子供のようにはしゃいでいた姿を可愛らしいと思ったこもとあった。
　然れど、皇成が目を掛けている以上、己が邪な気持ちを抱いてはいけないと制限をかけていた。そんな頼寿の思いなど知らず、皇成ではなく頼寿に慕情を抱いた千依。
　皇成から贈られた反物も装飾品も全て突き返し、頼寿を選んだ。

「皇成様はいいではありませんか。たくさんの美しい奥方様に囲まれているのですから」

　ふいっと顔を背けてそう言った千依。女人好きの皇成だからよいものを、他郷統主にそのような口をきけば無礼者と称され死罪となってもおかしくはない。にも関わらず、裏表のないはっきりとした娘であった。

「では皇成様。全ての側室方と離縁し私を正室にして下さいますか？」

「そ、それは……できぬ。し、しかし側室の中でも一番大きな屋敷を造らせようぞ」

「屋敷などいりません。私は、私だけを愛して下さる殿方と一緒になりたいのです。私を正室にして、他の女の人は愛さないと誓って下さらないのであれば、皇成様のもとへはゆけません」

　それができないとわかっていての言葉であった。そう言われてしまっては、皇成は千依を娶ることはできない。皇成も、正室である紬つむぎを手放すわけにはいかなかった。それは、他の側室も同じこと。
　皇成の好みである美女を揃えたのだ。千依一人と変えられる程、安い女人ではない。
　そのような経緯から皇成は千依を諦める他なかった。見知らぬ男にくれてやるくらいならと頼寿との婚姻を認めたのだ。
　
　千依は頼寿に尽くし、頼寿もまた千依を大切にしたいと思い始めていた。しかし、二人が仲睦まじくなればなるほど、皇成は嫉妬で機嫌を損ねる。
　主への忠誠が足りぬと言い始めた皇成に、忠義をみせるため、やむを得ず千依に協力を頼んだのだ。頼寿とて決して最初から駒にしようと企んでいたわけではない。

　秀虎の妹であれば、万が一裏切りが明らかになったとて、死罪とまではいかないであろうと見くびっていた。まさか歩澄が首を持って乗り込んでくるほど非道な男だとは思っていなかったのだ。
　千依は頼寿の元へ戻ってくる筈だった。また元気な姿で笑顔を振り撒いてくれる筈だった。千依の亡骸を目にしていない頼寿には、千依が死んだという実感がない。されど、二度とあの笑顔を見られないことを悔やむのは、頼寿も同じであった。

　頼寿は表情を強ばらせ、じっと己の拳を見つめていた。
　その様子を黙って見ていた歩澄と秀虎は、頼寿の真意を感じ取ったようだった。

　歩澄と秀虎は顔を見合わせて、ゆっくりと頷いた。

「千依の言葉に免じて今回だけは、見逃してやる。先程も言ったが、次はないと思え」

　歩澄の言葉に、栄泰郷側の人間は胸を撫で下ろした。

　一連の流れを見ていた澪は、歩澄の毅然とした横顔に心酔した。澪は皇成と同様、千依を利用した事実にしか目を向けていなかった。その先の民のことまで考えが及ばなかったのだ。しかし、歩澄は家来やその妹だけでなく、敵郷の民のことまで気にかけていた。
　その視野の広さに感銘を受けたのだ。

　歩澄ならば、本当に全ての郷の民が平穏に暮らせる国を作れるやもしれぬ。王として相応しい器を持つ統主なのやもしれぬとはやる気持ちをぐっと抑えた。

「寛容な措置に感謝する。此度の非礼は詫びようぞ……」

　そう言って皇成はようやく頭を下げた。その様子に頼寿を初め、家来達は目を見開いた。皇成が他人に頭を下げるところを目の当たりにするのは初めてのことであった。

　皇成は顔を上げる際、澪の顔を一瞥した。
　浮いた話のなかった歩澄に想い人ができた。それも赤髪の麗しい姫だと噂を聞いたのだ。皇成は、どれ程の絶世の美女を連れてくるのかと今日という日を楽しみにしていた。
　しかし、目の前にいるのは暗赤色の髪をした普通の女人。飾り気もなく気の強い印象を受けた。
　歩澄の想い人を横取りするつもりは毛頭ないが、噂とは随分違った風貌に落胆するのであった。