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失われた村【37】
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歩澄の言いたいことは十分理解できた。この異国の文化を澪に受け入れてほしいと歩澄が願っているであろうのことも。
しかし、歩澄と共に横たわったベッドでは体が沈みまるで雲の上にでもいるかのようで落ち着かなかった。
九重の家の褥は畳の感触が伝わってくる程薄い褥であった。歩澄の寝所は高級で、褥も柔らかく体を包み込むようだった。床からの高低差があるベッドは更に柔らかく、体が痛くなることなどない。
残念ながら、その不思議な感覚を心地いいとはとても思えなかった。
澪は、いつもの感覚を求めるかのように歩澄の胸に顔を埋め、中々寝付けないままいつの間にか意識を手放した。
ーー
翌朝澪が目覚めると、穏やかな表情で己を見つめている歩澄と目があった。寝顔を見られていたと思った刹那、急に気恥ずかしくなり顔を赤らめた。
「ほ、歩澄様、いつから起きていたのですか?」
「私も先程起きたばかりだ」
「……先に起きて寝顔を見るなど、人が悪いです」
澪が顔を隠すように布団で顔を覆うと、くすくすと軽やかな笑い声が聞こえた。
「すまない。あどけない寝顔だったものでな。……普段とは違う場所にお前といると、まるで私は歩澄ではないのではないかと錯覚しそうになる」
未だに穏やかな声ではあるが、歩澄の言葉がひっかかり、澪はおずおずと目元だけを布団から出した。
歩澄の一本一本がしっかりとした、太く長い睫毛が下に伸びており、瞬きする度に揺れた。
「それは……統主ではなくなったかのようだ、ということですか?」
「ああ……潤銘郷も匠閃郷も捨て、全てを投げ、澪と二人だけの誰も知らない世界に来たかのようだと思ったのだ」
ゆっくりと瞬きをする歩澄に、澪は目を釘付けにされた。とても繊細で、微かな弱さを感じたからだ。普段の統主としての威厳も、冷徹な瞳も殺気も何もない。ただそこにいるのは、幼い頃目にした神室蒼の姿であった。
「……蒼様」
澪が歩澄の名を囁くと、歩澄はふと顔を上げ、嬉しそうに微笑んだ。
「蒼様は、統主を辞めたいのですか?」
「……時々な。無意味だとわかっていても、時々考える。私が歩澄の息子でなければ今頃どのような暮らしをしていたのか。潤銘郷の生まれでなければ、今頃何をしていたのか。ただ、いつも最後に思うのはそんなものを考えても仕方のないことだということだけ……」
「蒼様はいつも気を張っていらっしゃいますからね。無理もありません。ただ、潤銘郷の民は、蒼様が思っている以上に貴方の事を求めていますよ」
澪がゆっくりと口角をあげると、歩澄は目を丸くさせ、眉を下げて笑みを溢した。
「お前は怒らぬのだな。このような弱気な私を見せても……」
「怒る? 何故ですか?」
「秀虎は怒るぞ。主がそのような弱音を吐くものではないと」
「想像がつきます。……然れど、蒼様とて人間です。心が折れそうな時は吐き出せばいいのです。誰かに寄りかかり、辛いと言えばいいのですよ。貴方はもう、独りではないのですからね」
澪は無意識の内にそっと手を伸ばし、いつも歩澄がしてくれるように頭を撫でた。象牙色の髪はしなやかで柔らかく、澪の指の間をさらさらと滑っていった。
歩澄は、心に響き渡るような歌声のように優しい声に胸を打たれた。
澪は、どのような姿でも己を受け入れてくれる。その事実は、歩澄の心を明るくし前を向かせてくれた。
しかし、歩澄と共に横たわったベッドでは体が沈みまるで雲の上にでもいるかのようで落ち着かなかった。
九重の家の褥は畳の感触が伝わってくる程薄い褥であった。歩澄の寝所は高級で、褥も柔らかく体を包み込むようだった。床からの高低差があるベッドは更に柔らかく、体が痛くなることなどない。
残念ながら、その不思議な感覚を心地いいとはとても思えなかった。
澪は、いつもの感覚を求めるかのように歩澄の胸に顔を埋め、中々寝付けないままいつの間にか意識を手放した。
ーー
翌朝澪が目覚めると、穏やかな表情で己を見つめている歩澄と目があった。寝顔を見られていたと思った刹那、急に気恥ずかしくなり顔を赤らめた。
「ほ、歩澄様、いつから起きていたのですか?」
「私も先程起きたばかりだ」
「……先に起きて寝顔を見るなど、人が悪いです」
澪が顔を隠すように布団で顔を覆うと、くすくすと軽やかな笑い声が聞こえた。
「すまない。あどけない寝顔だったものでな。……普段とは違う場所にお前といると、まるで私は歩澄ではないのではないかと錯覚しそうになる」
未だに穏やかな声ではあるが、歩澄の言葉がひっかかり、澪はおずおずと目元だけを布団から出した。
歩澄の一本一本がしっかりとした、太く長い睫毛が下に伸びており、瞬きする度に揺れた。
「それは……統主ではなくなったかのようだ、ということですか?」
「ああ……潤銘郷も匠閃郷も捨て、全てを投げ、澪と二人だけの誰も知らない世界に来たかのようだと思ったのだ」
ゆっくりと瞬きをする歩澄に、澪は目を釘付けにされた。とても繊細で、微かな弱さを感じたからだ。普段の統主としての威厳も、冷徹な瞳も殺気も何もない。ただそこにいるのは、幼い頃目にした神室蒼の姿であった。
「……蒼様」
澪が歩澄の名を囁くと、歩澄はふと顔を上げ、嬉しそうに微笑んだ。
「蒼様は、統主を辞めたいのですか?」
「……時々な。無意味だとわかっていても、時々考える。私が歩澄の息子でなければ今頃どのような暮らしをしていたのか。潤銘郷の生まれでなければ、今頃何をしていたのか。ただ、いつも最後に思うのはそんなものを考えても仕方のないことだということだけ……」
「蒼様はいつも気を張っていらっしゃいますからね。無理もありません。ただ、潤銘郷の民は、蒼様が思っている以上に貴方の事を求めていますよ」
澪がゆっくりと口角をあげると、歩澄は目を丸くさせ、眉を下げて笑みを溢した。
「お前は怒らぬのだな。このような弱気な私を見せても……」
「怒る? 何故ですか?」
「秀虎は怒るぞ。主がそのような弱音を吐くものではないと」
「想像がつきます。……然れど、蒼様とて人間です。心が折れそうな時は吐き出せばいいのです。誰かに寄りかかり、辛いと言えばいいのですよ。貴方はもう、独りではないのですからね」
澪は無意識の内にそっと手を伸ばし、いつも歩澄がしてくれるように頭を撫でた。象牙色の髪はしなやかで柔らかく、澪の指の間をさらさらと滑っていった。
歩澄は、心に響き渡るような歌声のように優しい声に胸を打たれた。
澪は、どのような姿でも己を受け入れてくれる。その事実は、歩澄の心を明るくし前を向かせてくれた。
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