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強者の郷【7】
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朱々は重そうな程毛量の多い睫毛を上に向け、赤みを帯びた茶色の瞳を真っ直ぐに向ける。その眼を逸らすことなく、「ああ。潤銘郷どころか匠閃郷でも有名であった。甲斐家に相応しい、碧空石のように美しくも凛とした正室であるとな」と歩澄は言う。
世辞など言う人間でないことは、朱々以外の全員が承知していることである。一同は更に驚かされたが、一瞬安堵した煌明の表情を歩澄は見逃さなかった。
「まあ……お上手ですこと」
朱々は満更でもなさそうに笑みを浮かべた。次いで朱々よりも若いと見える歩澄に褒められて機嫌を良くしたのか、しなやかな指先を口元へ持っていき、艶っぽく首を傾けて見せた。
澪はその様子に嫉妬するわけでもなく、感心する。紬も朱々も己の美しさを最大限引き出す仕草や角度を知っているのだと。
朱々の一つ一つの動作は舞のようだった。そう思ったのは、澪がまだ幼く母の伽代も心穏やかだった頃、その母親の仕草に似ていたからである。
伽代は宗方家に嫁ぐ前、芸者として働いていた。伽代の母もまた昔は芸者であった。人気の高かった伽代の母お蘭は、付き合いで連れてこられた九重を一目見て気に入ったのだ。名どころか刀も売れぬ若かりし頃の九重だったが、お蘭の策略によって九重の子を身籠った。それが伽代である。
子が出来たことで売り物にならなくなったお蘭は、身請け金を自ら出したこともあり、子供が女児であったら芸者として明け渡す条件で九重の元へ嫁にいった。
約束通り、伽代は三つの頃から芸者として芸を磨いた。しかし、銀次の計らいにより店に売られることはなく、あくまでも働きに出る形で店に通わせた。幼くとも恵まれたその容姿から、体は売らせず芸を売るだけで一躍有名な芸者となっていった。
お蘭は、伽代が七つの時に病でなくなり、九重が男手一つで育て上げた。小菅村の村民達の協力もあり、不自由のない暮らしが出来ていた。
伽代が生まれて十年が経った頃、既に大剣豪の名を轟かせていた友人である勧玄のためにと玄浬と万浬を鍛刀したことにより、九重もあれよあれよと言う間に名工と呼ばれる存在となっていった。
当時匠閃城の修復で全面的に指揮を執っていた銀次の口利きもあり、九重の刀から始まり、匠閃郷内でも一際人気の高い芸者の伽代と憲明との出会いを果たした。
伽代の舞は、見る者を全て魅了させると有名であった。幼い頃より叩き込まれたしなやかな動きに、憲明はすっかり夢中になった。
町娘の出である伽代を娶ったことにより、匠閃郷統主への評判は賛否両論であった。しかし、いつの時もついて回るのは、芸者としての肩書きだった。
伽代は、どこの良家の娘よりも美しく、品よく舞を披露できる自信があった。されど、出身だけは変えられぬ。もしも憲明との間に女児が生まれたなら、この技術を全て受け継がせようと伽代は考えた。身分があり、芸の一つ秀でたものがあればきっと民は娘を認めてくれるであろうと思ったのだ。
そうして澪が生まれ、幼い頃から嫌というほどその仕草を教え込まれた。何をさせても習得の早い澪は、舞をも自分のものにしていく。
然れど、子供ながらに美しい母に鼻の下を伸ばす男達の目に嫌気が差し、舞を披露する時以外は、極力女らしさというものを表に出すのを控えていた。これは、本能により身を守るためである。
それも直ぐに乗馬や剣での才の方が目立ち、澪の特技と言えば専ら刀剣や弓矢となった。
小菅村で暮らすようになった澪でも、体に染み着いた技術は薄れず、優雅に舞を踊ることが出来た。
然れど九重は伽代の暴力により傷付いた澪に、辛い思いをさせまいと伽代の話をすることもなく、澪に舞をさせることも嫌っていた。
そんな中、勧玄だけは「何があっても習得した技術を無駄にするな。体が忘れないよう、毎日続けろ」と言った。これは、この時既に全ての事情を把握していた勧玄が、忌み嫌っても捨てきれぬ匠閃郷の姫という身分に相応しい芸を残す為であった。
世辞など言う人間でないことは、朱々以外の全員が承知していることである。一同は更に驚かされたが、一瞬安堵した煌明の表情を歩澄は見逃さなかった。
「まあ……お上手ですこと」
朱々は満更でもなさそうに笑みを浮かべた。次いで朱々よりも若いと見える歩澄に褒められて機嫌を良くしたのか、しなやかな指先を口元へ持っていき、艶っぽく首を傾けて見せた。
澪はその様子に嫉妬するわけでもなく、感心する。紬も朱々も己の美しさを最大限引き出す仕草や角度を知っているのだと。
朱々の一つ一つの動作は舞のようだった。そう思ったのは、澪がまだ幼く母の伽代も心穏やかだった頃、その母親の仕草に似ていたからである。
伽代は宗方家に嫁ぐ前、芸者として働いていた。伽代の母もまた昔は芸者であった。人気の高かった伽代の母お蘭は、付き合いで連れてこられた九重を一目見て気に入ったのだ。名どころか刀も売れぬ若かりし頃の九重だったが、お蘭の策略によって九重の子を身籠った。それが伽代である。
子が出来たことで売り物にならなくなったお蘭は、身請け金を自ら出したこともあり、子供が女児であったら芸者として明け渡す条件で九重の元へ嫁にいった。
約束通り、伽代は三つの頃から芸者として芸を磨いた。しかし、銀次の計らいにより店に売られることはなく、あくまでも働きに出る形で店に通わせた。幼くとも恵まれたその容姿から、体は売らせず芸を売るだけで一躍有名な芸者となっていった。
お蘭は、伽代が七つの時に病でなくなり、九重が男手一つで育て上げた。小菅村の村民達の協力もあり、不自由のない暮らしが出来ていた。
伽代が生まれて十年が経った頃、既に大剣豪の名を轟かせていた友人である勧玄のためにと玄浬と万浬を鍛刀したことにより、九重もあれよあれよと言う間に名工と呼ばれる存在となっていった。
当時匠閃城の修復で全面的に指揮を執っていた銀次の口利きもあり、九重の刀から始まり、匠閃郷内でも一際人気の高い芸者の伽代と憲明との出会いを果たした。
伽代の舞は、見る者を全て魅了させると有名であった。幼い頃より叩き込まれたしなやかな動きに、憲明はすっかり夢中になった。
町娘の出である伽代を娶ったことにより、匠閃郷統主への評判は賛否両論であった。しかし、いつの時もついて回るのは、芸者としての肩書きだった。
伽代は、どこの良家の娘よりも美しく、品よく舞を披露できる自信があった。されど、出身だけは変えられぬ。もしも憲明との間に女児が生まれたなら、この技術を全て受け継がせようと伽代は考えた。身分があり、芸の一つ秀でたものがあればきっと民は娘を認めてくれるであろうと思ったのだ。
そうして澪が生まれ、幼い頃から嫌というほどその仕草を教え込まれた。何をさせても習得の早い澪は、舞をも自分のものにしていく。
然れど、子供ながらに美しい母に鼻の下を伸ばす男達の目に嫌気が差し、舞を披露する時以外は、極力女らしさというものを表に出すのを控えていた。これは、本能により身を守るためである。
それも直ぐに乗馬や剣での才の方が目立ち、澪の特技と言えば専ら刀剣や弓矢となった。
小菅村で暮らすようになった澪でも、体に染み着いた技術は薄れず、優雅に舞を踊ることが出来た。
然れど九重は伽代の暴力により傷付いた澪に、辛い思いをさせまいと伽代の話をすることもなく、澪に舞をさせることも嫌っていた。
そんな中、勧玄だけは「何があっても習得した技術を無駄にするな。体が忘れないよう、毎日続けろ」と言った。これは、この時既に全ての事情を把握していた勧玄が、忌み嫌っても捨てきれぬ匠閃郷の姫という身分に相応しい芸を残す為であった。
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