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強者の郷【8】
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澪が母親の姿を思い出させるその朱々の仕草を見ても、傷痕にあの軋むような焼けるような痛みを感じなくなっていたのは、隣にいる歩澄のお陰である。
何度も歩澄と体を重ねる内に、澪の感覚も記憶も歩澄でいっぱいになっていく。
そのことに澪本人はまるで気付いていないが、おそらく朱々は優美に舞を踊るのだろうなと思った。
「堅苦しい挨拶はもうよいだろう。せっかく出向いてきたんだ。思う存分飲んでいけ。洸烈郷一の酒を用意した」
煌明がそう言うと、歩澄は口角を上げ「こちらも酒を用意した。異国から輸入したばかりの上質な酒だ」と秀虎に用意させた酒を並べた。
澪には全て見たことのない酒であった。透明のものから茶色、赤色と色とりどりである。澪はこれが酒なのかと首を傾げるが、煌明は相反して身を乗り出した。
煌明が酒豪であるのは有名な話で、特に高価な酒には目がない。潤銘郷を通じて異国の酒を入荷すればそれなりに金はかかる。それどそれを土産にと並べられれば、喉を鳴らさずにはいられなかった。
当然それを知っている歩澄は、散々手土産を持たずにやって来て、ここぞとばかりに大量の酒を持ち入ったのだ。
「どれも潤銘郷でしか手に入らぬものだ。欲しがっていただろう。澪まで招いてくれた礼だ」
そう言ってその中から美しい木箱に入ったままの酒を差し出した。それは、一本一両は下らない酒である。潤銘郷ほど裕福でない洸烈郷のこと。毎日飲めるような代物ではない。喉から手が出るほど欲しいが、酒のためにそこまで経費は使えぬと我慢してきたものであった。
「こ、これは……おい! 直ぐに宴の準備をしろ! いや、まず酒だけいただこう!」
我慢ができないのか、逸る気持ちが前面に出でいる煌明。目を丸くした澪が歩澄を見上げれば、肩をすくめておかしそうに笑った。
慌てた様子の家来達が騒々しく準備を進めた。先に持ってこさせた器に豪快に酒を注ぐ煌明。もはや客人には目もくれず、酒に夢中である。
「煌明様、お客様に失礼ではありませぬか」
眉を下げた朱々がそう言う。しかし煌明は「俺と歩澄の仲だ。お前が気にするようなことではない」と言って高価なその酒をぐっと煽った。
「かーっ! うめー! こりゃうめぇ酒だな!」
上機嫌な煌明は、最初の殺気はどこへやら、子供のように夢中で酒と向き合う。空穏は、目頭を押さえて項垂れていた。
澪が歩澄の袖をくいくいと引っ張り「仲良しなのですか?」と尋ねる。
「まさか。あやつが信用しているのは酒だけだ。逆を言えば酒さえ与えておけば害はない」
馬鹿にするかのような物言いに、澪はつい笑ってしまいそうになるのを堪えた。
一人で酒を飲む煌明をそのままに、酒を手にした朱々が歩澄と澪の前にやってきた。
「このようなもてなしとなってしまい、申し訳ありません」
非常に申し訳ない。そのような表情を浮かべた。近くで見ると更に美しく、まるで作り物のようだと澪は思った。
「いや、よい。立場は同じだ。気にもとめていない」
緩やかにそう言った歩澄は、朱々の手から酌を受け入れる。
「寛容なお心遣いをありがとうございます。澪殿もどうぞ」
紬とは違い、朱々は澪に攻撃的な視線を投げつけることはなかった。しかし、未だ拭えない作り物のような表情に気味悪さは付きまとう。敵意は見せないものの、温もりのある穏やかな笑顔とも少し違う気がした。
「悪いが、澪は酒がだめでな。茶をもらえるか」
澪が言うよりも先に歩澄が言った。洸烈郷では男女問わず酒飲みが多く、朱々は驚いたように「まあ……」と思わず声が溢れた。
「このように美味なものを口にできないとは、残念ですね」
まるで哀れむかのような目を向けられ、澪は苦笑いを浮かべた。
「直ぐに用意させます故」
そう言って一旦朱々が離れると、澪は歩澄に向かって「……ここは感覚が少し違いますね」と言った。
何度も歩澄と体を重ねる内に、澪の感覚も記憶も歩澄でいっぱいになっていく。
そのことに澪本人はまるで気付いていないが、おそらく朱々は優美に舞を踊るのだろうなと思った。
「堅苦しい挨拶はもうよいだろう。せっかく出向いてきたんだ。思う存分飲んでいけ。洸烈郷一の酒を用意した」
煌明がそう言うと、歩澄は口角を上げ「こちらも酒を用意した。異国から輸入したばかりの上質な酒だ」と秀虎に用意させた酒を並べた。
澪には全て見たことのない酒であった。透明のものから茶色、赤色と色とりどりである。澪はこれが酒なのかと首を傾げるが、煌明は相反して身を乗り出した。
煌明が酒豪であるのは有名な話で、特に高価な酒には目がない。潤銘郷を通じて異国の酒を入荷すればそれなりに金はかかる。それどそれを土産にと並べられれば、喉を鳴らさずにはいられなかった。
当然それを知っている歩澄は、散々手土産を持たずにやって来て、ここぞとばかりに大量の酒を持ち入ったのだ。
「どれも潤銘郷でしか手に入らぬものだ。欲しがっていただろう。澪まで招いてくれた礼だ」
そう言ってその中から美しい木箱に入ったままの酒を差し出した。それは、一本一両は下らない酒である。潤銘郷ほど裕福でない洸烈郷のこと。毎日飲めるような代物ではない。喉から手が出るほど欲しいが、酒のためにそこまで経費は使えぬと我慢してきたものであった。
「こ、これは……おい! 直ぐに宴の準備をしろ! いや、まず酒だけいただこう!」
我慢ができないのか、逸る気持ちが前面に出でいる煌明。目を丸くした澪が歩澄を見上げれば、肩をすくめておかしそうに笑った。
慌てた様子の家来達が騒々しく準備を進めた。先に持ってこさせた器に豪快に酒を注ぐ煌明。もはや客人には目もくれず、酒に夢中である。
「煌明様、お客様に失礼ではありませぬか」
眉を下げた朱々がそう言う。しかし煌明は「俺と歩澄の仲だ。お前が気にするようなことではない」と言って高価なその酒をぐっと煽った。
「かーっ! うめー! こりゃうめぇ酒だな!」
上機嫌な煌明は、最初の殺気はどこへやら、子供のように夢中で酒と向き合う。空穏は、目頭を押さえて項垂れていた。
澪が歩澄の袖をくいくいと引っ張り「仲良しなのですか?」と尋ねる。
「まさか。あやつが信用しているのは酒だけだ。逆を言えば酒さえ与えておけば害はない」
馬鹿にするかのような物言いに、澪はつい笑ってしまいそうになるのを堪えた。
一人で酒を飲む煌明をそのままに、酒を手にした朱々が歩澄と澪の前にやってきた。
「このようなもてなしとなってしまい、申し訳ありません」
非常に申し訳ない。そのような表情を浮かべた。近くで見ると更に美しく、まるで作り物のようだと澪は思った。
「いや、よい。立場は同じだ。気にもとめていない」
緩やかにそう言った歩澄は、朱々の手から酌を受け入れる。
「寛容なお心遣いをありがとうございます。澪殿もどうぞ」
紬とは違い、朱々は澪に攻撃的な視線を投げつけることはなかった。しかし、未だ拭えない作り物のような表情に気味悪さは付きまとう。敵意は見せないものの、温もりのある穏やかな笑顔とも少し違う気がした。
「悪いが、澪は酒がだめでな。茶をもらえるか」
澪が言うよりも先に歩澄が言った。洸烈郷では男女問わず酒飲みが多く、朱々は驚いたように「まあ……」と思わず声が溢れた。
「このように美味なものを口にできないとは、残念ですね」
まるで哀れむかのような目を向けられ、澪は苦笑いを浮かべた。
「直ぐに用意させます故」
そう言って一旦朱々が離れると、澪は歩澄に向かって「……ここは感覚が少し違いますね」と言った。
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