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2話
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地上。
焦げ臭い風が、二人の間を駆け抜けた。
彼らが這い出したのは、崩壊した都市の中心だった。
瓦礫。瓦礫。瓦礫。
崩れた建造物からは火の手が上がり、この世の終わりのような景色だ。
アダムはしかし周囲を意に介さず、頭上を見上げた。
空の半分ほどを覆う、大樹の枝。
あまりにも高いところにあるので、青くかすんで見える。
その現実味のない巨大さは、しかし、まぎれもない現実として、空間を占拠し、鎮座していた。
「おい、今は何年だ」
アダムが目をすがめながらステラに尋ねた。
「そんなことより、早く逃げなきゃ! 燃えてる! 怖い!」
ステラはアダムの袖をぐいぐいと引っ張る。
アダムは「良いから答えろ」とステラを睨んだ。
「マンダリ歴1984年! ねえってば!」
「……マンダリ歴? そうか、暦の名も変わってるか……。しかしまあ、だとすると俺は最低でも約2000年は眠っていたことに……人類が生き延びていたことが奇跡だな。さて」
アダムは、隣で騒ぐステラにため息をつくと、少女の華奢な身体を担ぎ上げ、軽く身をかがめる。
『セーフティを一部解除します』
『出力85%』
『カウントダウン 3……2……1……』
アダムの足首からふくらはぎにかけて、人工的な光の線が走る。
次の瞬間。
「きゃ──っ!」
アダムのおよそ人間とは思えない跳躍力によって、二人は一瞬で空高く上昇した。ステラは再び失神した。
アダムは風を切り裂くように移動しながら、鋭い視線を〝樹〟に向ける。
その樹は、天空を貫くようにそびえ立っていた。枝の間を雲が流れていき、幹は山脈と見まがう雄大さで、その下で丘陵のごとく見えているのは張り巡らされた根。
驚異的な大樹。
〝生命の樹〟と呼ばれているその存在は──
──地球を苗床にする寄生生物である。
ひそひそ……ひそひそ……ひそひそ……
ステラは、そのささやき声で目を覚ました。
夜。周囲は暗い。
ランプが灯っているのが見え、近くにアダムもいた。
ひそひそ声は、彼が首から提げているペンダントからのようだ。
「ここはどこ?」
ステラが口を開くと、アダムがゆっくりとこちらを向き、遠くを指さす。
未だ炎上する都市マンダリと、その上空で赤く染まる雲が見えた。
「脱出するとき、死体をひとつも見かけなかった」
アダムが言う。
ステラは暗く沈んだ表情で、「ああ」と嘆息した。
「みんな食べられちゃったんだわ。〝オレンジ型循環〟から外れてしまうだなんて……なんて不幸なの」
「……その〝オレンジ型循環〟というのは、何だ」
「〝オレンジ型循環〟は〝オレンジ型循環〟に決まっているじゃない。全ては効率的に巡っているの。ほら、これ見て」
ステラは自身の端末をアダムに見せる。
そこには、彼女の身分証が表示されていた。
個体名:ステラ
識別番号:637384
次の循環まで:12年5ヶ月2日
他にも様々な項目が記載されていたが、アダムが眉を寄せたのは『次の循環まで』という部分だった。
「なんだこれは」
「あと12年5ヶ月2日が、私の寿命ってこと」
「は?」
ステラはにこにこと微笑む。
「だから、それまで私はこの身体を綺麗に保ってないといけないの。あなたが私を助けてくれて良かった。大切な資源だもの」
「〝資源〟?」
「だってそうでしょ。人体生成のために要るじゃない」
「〝人体生成〟?」
「……もしかして、分からない?」
ステラが困惑してアダムを見つめると、彼は眉間を押さえながらうめいた。
「何なんだ、この世界は」
アダムがそれきり黙り込んでしまったので、ステラは退屈になった。
アダムのペンダントからは、相変わらずひそひそ声がしている。
「そのペンダント、どうして喋っているの?」
ステラが問うと、アダムは黙ってペンダントを外し、ステラに渡す。
ひそひそ……ひそひそ……ひそひそ……
ステラはペンダントを耳に当てた。
『アダム、元気にしている? 寂しくなっていないかしら。あなたのために、あなたの好きな歌を歌うわね。ららららら~』
『ヒーローを引退した君が、うちの研究所に来てくれて、本当に助かったよ。人類は衰退しているが、遠い未来で君はきっと世界を救ってくれる』
『やあアダム、今日は良い天気だ。空は青く澄んでいて、羊みたいな雲がゆったりと流れている。大気が汚染されてさえなければ、小鳥の声だって聞こえたかも知れない。あのくそったれな樹がなくなれば、最高なんだけどな』
『俺たちはとうとう、〝生命の樹〟の弱点を知ることなく、死んでいく。カプセルに組み込まれたスーパーコンピューターが、俺たちがかき集めた情報と仮説をもとに、樹を葬り去る方法を導き出してくれると──そう信じるしかない。途方もない時間がかかるだろう。答えが出るときには、もう人類はいないかもしれない。でも、もし生きている奴がいたら、そいつらを救うために、お前が頑張ってくれよ』
『いいですかアダム、あなたはたった一人、未来に送り出されます。ですが、私たちの心はいつもあなたと共にあります。どうか忘れないで。みんながあなたを愛しているということを』
「──仲間たちの声の録音データだ。俺が長い眠りについている間、そして目覚めたあとも、俺が正気を保つためにみんながくれた」
つぶやくように言ったアダムの瞳を、ステラは見つめる。そこには寂寥感と誇らしさがない交ぜとなって、熾火のように燃えていた。
ステラはペンダントを彼に返しながら、「素敵ね」と言った。
「でも、アダムは寂しいのね」
「……別に。たかが2000年の隔たりだ。それに、俺にはやることがある」
アダムは立ち上がり、遠くにそびえる〝生命の樹〟を睨んだ。
「俺は、あの樹を滅ぼす。それが俺に課せられた使命だ」
※アダムのレコーダーより一部音声を抜粋
『マンダリ歴1984年。カプセルのカウンターがすでに振り切れていたため、今が西暦で何年にあたるかは不明。およそ2000年経っていると推測される』
『〝生命の樹〟はいまだ健在。2000年分の解析データをもとに、調査を開始』
『──と言いたいところだが、この時代の人類についてのデータが不足している。しかし、環境に適応し、極度に薄い酸素と、高濃度の有害物質の中で活動が可能なようだ。ステラという少女を観察対象とする』
「何をしているの?」
朝。アダムは石を円形に並べ、その上で何かを火で炙っていた。
ステラが近くに寄って見てみると、大きな塊がジュウジュウと焼けている。
「その辺で捕ってきた。この環境に適応した野生動物がいるなんてな。汚染物質まみれだろうが……。食うか?」
「これって食べられる物なの?」
「お前は普段、何を食べているんだ?」
「何って、そりゃあ、ビヒクリン・ブラッドよ」
「ビ……え?」
ステラはひくひくと鼻をうごかした。この焼かれている塊からはなんともいえない良い匂いがする。
「ほら、食ってみろよ」
アダムがナイフで塊を削ぐ。
小さな塊を差し出され、ステラは恐る恐る、口に入れた。
「なにこれ……!」
口の中に入れた途端、じゅわっと広がる旨味と甘み。やわらかな舌触りと弾力のある歯ごたえ。
「もっと食うか?」
訊かれ、ステラは思わずこくこくとうなずいた。
アダムがナイフを渡してくる。自分で削いで食えということだろう。
ステラは借りたナイフで塊を削ごうとする。しかし、なかなか上手くできない。
「痛っ」
指が滑り、ナイフの刃がステラの手を切り裂いた。
「切ったのか? 不器用な奴だな」
アダムが呆れたように言いながら寄ってくる。
そして、はたとその足を止めた。
「お前、それは」
「え?」
アダムの見開かれた目は、少女の手からぽたぽたと滴る血液に向けられていた。
柔らかいオレンジ色をした、血液に。
焦げ臭い風が、二人の間を駆け抜けた。
彼らが這い出したのは、崩壊した都市の中心だった。
瓦礫。瓦礫。瓦礫。
崩れた建造物からは火の手が上がり、この世の終わりのような景色だ。
アダムはしかし周囲を意に介さず、頭上を見上げた。
空の半分ほどを覆う、大樹の枝。
あまりにも高いところにあるので、青くかすんで見える。
その現実味のない巨大さは、しかし、まぎれもない現実として、空間を占拠し、鎮座していた。
「おい、今は何年だ」
アダムが目をすがめながらステラに尋ねた。
「そんなことより、早く逃げなきゃ! 燃えてる! 怖い!」
ステラはアダムの袖をぐいぐいと引っ張る。
アダムは「良いから答えろ」とステラを睨んだ。
「マンダリ歴1984年! ねえってば!」
「……マンダリ歴? そうか、暦の名も変わってるか……。しかしまあ、だとすると俺は最低でも約2000年は眠っていたことに……人類が生き延びていたことが奇跡だな。さて」
アダムは、隣で騒ぐステラにため息をつくと、少女の華奢な身体を担ぎ上げ、軽く身をかがめる。
『セーフティを一部解除します』
『出力85%』
『カウントダウン 3……2……1……』
アダムの足首からふくらはぎにかけて、人工的な光の線が走る。
次の瞬間。
「きゃ──っ!」
アダムのおよそ人間とは思えない跳躍力によって、二人は一瞬で空高く上昇した。ステラは再び失神した。
アダムは風を切り裂くように移動しながら、鋭い視線を〝樹〟に向ける。
その樹は、天空を貫くようにそびえ立っていた。枝の間を雲が流れていき、幹は山脈と見まがう雄大さで、その下で丘陵のごとく見えているのは張り巡らされた根。
驚異的な大樹。
〝生命の樹〟と呼ばれているその存在は──
──地球を苗床にする寄生生物である。
ひそひそ……ひそひそ……ひそひそ……
ステラは、そのささやき声で目を覚ました。
夜。周囲は暗い。
ランプが灯っているのが見え、近くにアダムもいた。
ひそひそ声は、彼が首から提げているペンダントからのようだ。
「ここはどこ?」
ステラが口を開くと、アダムがゆっくりとこちらを向き、遠くを指さす。
未だ炎上する都市マンダリと、その上空で赤く染まる雲が見えた。
「脱出するとき、死体をひとつも見かけなかった」
アダムが言う。
ステラは暗く沈んだ表情で、「ああ」と嘆息した。
「みんな食べられちゃったんだわ。〝オレンジ型循環〟から外れてしまうだなんて……なんて不幸なの」
「……その〝オレンジ型循環〟というのは、何だ」
「〝オレンジ型循環〟は〝オレンジ型循環〟に決まっているじゃない。全ては効率的に巡っているの。ほら、これ見て」
ステラは自身の端末をアダムに見せる。
そこには、彼女の身分証が表示されていた。
個体名:ステラ
識別番号:637384
次の循環まで:12年5ヶ月2日
他にも様々な項目が記載されていたが、アダムが眉を寄せたのは『次の循環まで』という部分だった。
「なんだこれは」
「あと12年5ヶ月2日が、私の寿命ってこと」
「は?」
ステラはにこにこと微笑む。
「だから、それまで私はこの身体を綺麗に保ってないといけないの。あなたが私を助けてくれて良かった。大切な資源だもの」
「〝資源〟?」
「だってそうでしょ。人体生成のために要るじゃない」
「〝人体生成〟?」
「……もしかして、分からない?」
ステラが困惑してアダムを見つめると、彼は眉間を押さえながらうめいた。
「何なんだ、この世界は」
アダムがそれきり黙り込んでしまったので、ステラは退屈になった。
アダムのペンダントからは、相変わらずひそひそ声がしている。
「そのペンダント、どうして喋っているの?」
ステラが問うと、アダムは黙ってペンダントを外し、ステラに渡す。
ひそひそ……ひそひそ……ひそひそ……
ステラはペンダントを耳に当てた。
『アダム、元気にしている? 寂しくなっていないかしら。あなたのために、あなたの好きな歌を歌うわね。ららららら~』
『ヒーローを引退した君が、うちの研究所に来てくれて、本当に助かったよ。人類は衰退しているが、遠い未来で君はきっと世界を救ってくれる』
『やあアダム、今日は良い天気だ。空は青く澄んでいて、羊みたいな雲がゆったりと流れている。大気が汚染されてさえなければ、小鳥の声だって聞こえたかも知れない。あのくそったれな樹がなくなれば、最高なんだけどな』
『俺たちはとうとう、〝生命の樹〟の弱点を知ることなく、死んでいく。カプセルに組み込まれたスーパーコンピューターが、俺たちがかき集めた情報と仮説をもとに、樹を葬り去る方法を導き出してくれると──そう信じるしかない。途方もない時間がかかるだろう。答えが出るときには、もう人類はいないかもしれない。でも、もし生きている奴がいたら、そいつらを救うために、お前が頑張ってくれよ』
『いいですかアダム、あなたはたった一人、未来に送り出されます。ですが、私たちの心はいつもあなたと共にあります。どうか忘れないで。みんながあなたを愛しているということを』
「──仲間たちの声の録音データだ。俺が長い眠りについている間、そして目覚めたあとも、俺が正気を保つためにみんながくれた」
つぶやくように言ったアダムの瞳を、ステラは見つめる。そこには寂寥感と誇らしさがない交ぜとなって、熾火のように燃えていた。
ステラはペンダントを彼に返しながら、「素敵ね」と言った。
「でも、アダムは寂しいのね」
「……別に。たかが2000年の隔たりだ。それに、俺にはやることがある」
アダムは立ち上がり、遠くにそびえる〝生命の樹〟を睨んだ。
「俺は、あの樹を滅ぼす。それが俺に課せられた使命だ」
※アダムのレコーダーより一部音声を抜粋
『マンダリ歴1984年。カプセルのカウンターがすでに振り切れていたため、今が西暦で何年にあたるかは不明。およそ2000年経っていると推測される』
『〝生命の樹〟はいまだ健在。2000年分の解析データをもとに、調査を開始』
『──と言いたいところだが、この時代の人類についてのデータが不足している。しかし、環境に適応し、極度に薄い酸素と、高濃度の有害物質の中で活動が可能なようだ。ステラという少女を観察対象とする』
「何をしているの?」
朝。アダムは石を円形に並べ、その上で何かを火で炙っていた。
ステラが近くに寄って見てみると、大きな塊がジュウジュウと焼けている。
「その辺で捕ってきた。この環境に適応した野生動物がいるなんてな。汚染物質まみれだろうが……。食うか?」
「これって食べられる物なの?」
「お前は普段、何を食べているんだ?」
「何って、そりゃあ、ビヒクリン・ブラッドよ」
「ビ……え?」
ステラはひくひくと鼻をうごかした。この焼かれている塊からはなんともいえない良い匂いがする。
「ほら、食ってみろよ」
アダムがナイフで塊を削ぐ。
小さな塊を差し出され、ステラは恐る恐る、口に入れた。
「なにこれ……!」
口の中に入れた途端、じゅわっと広がる旨味と甘み。やわらかな舌触りと弾力のある歯ごたえ。
「もっと食うか?」
訊かれ、ステラは思わずこくこくとうなずいた。
アダムがナイフを渡してくる。自分で削いで食えということだろう。
ステラは借りたナイフで塊を削ごうとする。しかし、なかなか上手くできない。
「痛っ」
指が滑り、ナイフの刃がステラの手を切り裂いた。
「切ったのか? 不器用な奴だな」
アダムが呆れたように言いながら寄ってくる。
そして、はたとその足を止めた。
「お前、それは」
「え?」
アダムの見開かれた目は、少女の手からぽたぽたと滴る血液に向けられていた。
柔らかいオレンジ色をした、血液に。
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