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5日目 トキメキはBL本の中に!?

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 夜が明けて空が明るくなった頃、颯は体の痛みで目が覚めた。

 昨夜フローリングに横たわったまま動けず、そのまま寝たのが原因だ。


 あちこち痛む部分を摩りながら起き上がり、一つ欠伸をして壁掛け時計を見上げると時刻は5時を過ぎたばかり。


 室内は静かで、まだ悠人も寝ている時間だ。


 そっと寝室の扉に張りつき部屋の中を覗き込むと、背を向けて眠る悠人の姿が見えた。


 颯はそのまま脱衣所に向かい洗い物を洗濯機に押し込んでセットし、そのまま風呂場に入り浴槽の掃除に取りかかる。

 その後はぬるめの湯を張り、今日は優雅に朝風呂だ。


「颯ちゃん?」


 脱衣所の床に入浴剤を並べてどれにしようか選んでいた時、物音で目を覚ました悠人に声をかけられた。


「おはよう。颯ちゃんがこんなに早く起きるの珍しいね」

「床で寝たから体痛くてさ。悠人も風呂入るだろ?先入っていいよ」

「うん、ありがとう」

「入浴剤何がいい?」

「牛乳のやつー」


 悠人は寝室に戻り手早く着替えの用意をして、すぐに脱衣所に戻ってきた。

 浴槽の中に入浴剤を入れて掻き混ぜ、颯が浴室から出てリビングに戻ろうとした時、「あ……」と、思いついたように悠人の声が耳に届き、颯はその場で立ち止まった。


「ん?」

「一緒に入る?……なんてな。ほら、さっさと出た出た」


 上着を脱いで素肌を晒した悠人から突然の誘いに颯は激しく動揺した。

 背中を押され脱衣所を追い出された後も、心臓はドクドクと煩い。


 肌なんて何度も見ているはずなのにと思いながら、颯はすぐにその場から動けなかった。


 久々だからなのか、鼓動はなかなか鳴り止まない。


 気を紛らわせる為に、掃除機を持ち出し部屋中を念入りに掃除したが、ふと頭を過るのは温白色の灯りに照らされて肌を晒した先程の光景だった。


 振り払うように全力で首を横に振り、それでもまだ頭に残る映像にあらがい、次は腕立て伏せを始める。


「1、2……3……」

 重い体を支える腕はプルプルと震え、歯を食いしばった。

 改めて運動不足を実感させられる。


「颯ちゃん何してんの!?」


 風呂から上がった悠人が、普段進んで運動なんてしない颯の姿に目を見開いて驚いたような声を上げた。


 たった数十回やっただけでも、額にはじんわりと汗が滲む。

 Tシャツの裾を引っ張り上げ汗を拭い、颯は遠い目をして言った。


「ちょっと、煩悩との戦いを」

「何それ?」

 意味が分からないとばかりに悠人は眉をひそめた。


「颯ちゃんも入ってきたら?ぬるめだし、水になるよ」


 颯はチラリと横目で悠人が服を着ている事を確認すると、ハーッと長い息を吐いて安堵した。


 上半身裸で出てこられては目のやり場に困る。


 疲れた顔をしている颯に、悠人は不思議そうに首を傾げたのだった。


 浴室に入った颯は、先に入らなかった事を心から後悔した。

 濡れた床、温もりが残る椅子、使ったばかりのボディータオル、そして全身を清めた湯。

 目にも脳にも優しくない環境に、一刻も早く出なければとキツく瞳を閉じた。

 そして、一気に身体を洗う。

 うっかりシャンプーを二回して、壁に体をぶつけた。

 結局湯には浸かれなかった。

 風呂とはこんなに疲れるものだったのかと、何とか浴室から出て着替えを済ませた。

 リビングに戻ると、焼き立てパンの良い匂いがした。

「美味そうな匂いする」

「早かったね。スープいる?これから作るから少し時間かかるけど」

「いいよ。コーヒー欲しい」

「了解」


 朝食がテーブルに並ぶと、今日は早めの食事だ。

 空腹を満たして落ち着いたのか、普段通り悠人と会話も出来て内心ホッとしていた。


 食事を済ませた悠人がそういえばと、テーブルの下からA4サイズの封筒を取り出した。


「何か頼んだの?颯ちゃん宛てだよ」

「あー忘れてた」


 颯はアイスコーヒーを飲み干してグラスを置き、封筒に手を伸ばして開封すると中から一冊の本を取り出した。


 颯が手に持つ本を見て、悠人は目を見開いて動きが止まった。


「トキメキの手掛かりになるかと思って買った」

「……だからって何でBL漫画?底無しのバカなの?」


 トキメキが分からないならこれだろうと注文したBL漫画。

 悠人は冷めた目をして空いた皿を持って席を立つ。


 颯は本をパラパラとめくり、とあるページで手を止めた。

「この台詞を言うには、自分がおっさんである事を忘れないと無理だな」

「言わなくていいから」


 戻ってきた悠人は、興味が湧いてきたのか颯の隣に腰掛けて、本を覗き込んだ。


「これは漫画だから出来る事だよね」

「トイレの個室か。ここ狭くね?動く時ドアにぶつかったりしないんかな?」

「それ、どんだけ激しく動くの?腰揺らして高速ドアノックとか気持ち悪いでしょ。百年の恋も一瞬で冷める瞬間だと思うよ」

「高速ドアノック!ブフッ!悠人センスすげぇ~!!」


 颯はこらえきれず、唾を飛ばして盛大に吹き出してしまった。

 悠人は颯の手から本を取り上げ、背を向けて読み始める。


「そもそもさ、なんで18禁じゃないやつ買わなかったの?これじゃただのエロ本じゃん」


「た、確かに!どうして俺はノーマルじゃない方を選んだんだ!?」

「まずトキメキ探しでBL本を買う男がレアじゃない?」


 二人で意味のない討論をしている時だった。


 ピンポーン──


 インターホンが鳴り、朝から誰だろうと見つめ合っては互いに思い当たらず。

 颯は立ち上がりモニターを確認すると目を疑った。


 それは、招かれざる客だったからだ。
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