鮮明な月

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第八章

71.

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それから僅か二日後。
午前中で終業式を終えた直後の仁聖が当然のように訪れ、恭平は叔父と顔を会わせなくていいのかと問いかける。結局仁聖は叔父が帰宅していると言うのに、恭平の傍から離れる事もなく夜も恭平と過ごしていた。
ここ数週間の様々な騒動のせいで三者面談は今学期は無しになったと仁聖は言うが、秋晴がその為に日本に戻ってきたのかと考えたのだ。しかし、平然と仁聖は三者面談の為ではないと言う。

「予定じゃ後半年は帰ってこないっていうから、仕方なく恭平のこと電話で話したんだよ。」
「そ、うなのか…?」

半年も会わないのすら当然の様子な仁聖に、思わず恭平は目を丸くする。お互いに血の繋がりがある人物への対応にしては、随分とドライというか。それにしても、食事すらも共にする気配もないのに、恭平は躊躇いがちに問いかける。

「それで、いつまでいらっしゃるんだ?」
「あ、叔父さん?今日の午後の飛行機に乗るって。」

当然のように平然と仁聖はそう口にした。
二日国内に滞在しただけで、直ぐ様また源川秋晴は海外に渡航する予定なのだと言うのだ。今聞いてよかった、恭平は思わず心の中で呟きながら、全くその間顔をあわせることもしなかった仁聖を少し呆れたように見つめる。
と言うわけで仁聖からその話を聞いて慌てて予定時刻を確認し空港まで見送りに行った恭平と仁聖の姿に、逆に予定を聞かれてはいたものの見送りを予想もしていなかったのだろう。驚いたように秋晴は、二人を眺め相好を崩していた。

「初めて見送りだなぁ?ウィル。榊さんまで。」
「お忙しいのにわざわざ来て頂いていたんですね、ありがとうございました。」

相変わらずあっけらかんとした物言いで二人が連れ立って見送りにきたことを素直に喜ぶ秋晴に、内心面食らいながら礼儀正しい口調で恭平が頭を下げる。その様子に横にいる仁聖は「初めてじゃない」と憮然とした声を秋晴に投げつけた。
実際幼い頃まだ家政婦が家に来ていた頃には、何度か見送りに来てはいるのだ。それなのに毎回サッサと搭乗してしまったくせにと言い放つ仁聖の言葉に、秋晴は目の前の仁聖によく似た悪びれない愛嬌のある笑顔を浮かべてそうだったかなとしらを切って見せた。既に年末の喧騒を少し漂わせ海外へ行き来する空港の人波の中で、秋晴はもう一度興味深そうな視線で仁聖を眺め微笑む。

「ウィル。」
「ん?何?」
「君は本当に大人になったなぁ、知らないうちに。」

不意にかけられた言葉に、一瞬戸惑うような苦笑が仁聖の顔に浮かぶ。事実は仁聖は今まで秋晴が帰国しても顔を合わせようともしていなかったし、会話をしようともしていなかった。つまりは自分自身が、目の前の叔父にとってどういう存在なのか考えようともしていなかったのだ。それに気がついて仁聖は目を細める。

あの日の会話の後に気遣わしげに恭平から話しかけられて初めて、それに気がつかされた。

恭平に言われて初めて気がついたのだ。まだ結婚もしていない、子供と触れ合ったこともない叔父。それでも彼が自分を引き取って保護してくれようとしていた事が、今では理解できるようになっていた。きっと叔父自身もどう育てていいか分からず、自分も叔父と触れ合おうと努力もしなかったのだ。その結果が、今迄の空虚な状況だったのだという事も今は理解できる。そんな自分の今までの未熟さに思わず苦笑してしまう。仁聖のその想いが分かったように、少し気遣うような視線を恭平が浮かべた。そんな恭平に気が付いて、仁聖は思わず叔父に向かって微笑む。

「叔父さん、今度帰ってくるときはちゃんと事前に連絡入れてよ?時間が合えば迎えに来てもいいし。」
「ウィルも時々連絡…榊さんに連絡取ったほうがいいのかな?君は、なかなか連絡取れないし。」

にやりと悪戯っ子のような笑みを浮かべた秋晴に、一瞬呆気にとられたように恭平が目を丸くする。以前の自分の姿を思い起こさせる言葉に思わず慌てた仁聖が、それ以上言わせないように言葉を遮る。それを爽快にあっけらかんと笑い飛ばしながら秋晴が声を立てて笑う。今までよりもずっと身近に感じる和やかな会話の後で見送られた秋晴は、仁聖に「条件を忘れないように」と念を押すように話しかけた。秋晴が陽気に手を振り、やがて搭乗ゲートから姿を消していく。それを並んで見送りながら息を付いた仁聖は、笑いを噛み殺している恭平に気がついて眉を潜めた。

「何?恭平。」
「ん?いや…やっぱり血縁なんだな?よく似てる。」
「そうかなぁ?あんなに能天気じゃないよ?俺。」

その言葉に思わず噴出した恭平を不満そうな視線が見つめる。
暫く小さく笑いを噛み殺している恭平の様子を眺めていた仁聖が、少し満足げな仕草で搭乗ゲートにもう一度視線を向けた。その姿に恭平はふっと柔らかい微笑みを浮かべる。
仁聖と秋晴の今までの蟠りが全て消えた訳ではないだろうが、穏やかな表情をした仁聖にまるで自分の事の様に気持ちが綻んでいく。恭平の柔らかい視線に気が付いた仁聖は、少し気恥ずかしげに肩を竦めて「かえろっか?」と小さく促すような声をかけた。
夕暮れの太陽を横に空港からの電車は、多くの乗客で溢れ返っている。人混みに紛れるように寄り添っている仁聖に、ひっそりと恭平が視線を上げた。

「それで…条件って何なんだ?」

帰途の混雑した電車の中で向かい合う形になった恭平が小さく問いかける。背中を昇降ドアに押し付けた恭平の体を無意識に庇う様に腕を付きながら、仁聖は少し説明に困窮する気配を匂わせた。

「…進学しろって。」

源川秋晴の唯一出した条件は仁聖が進学すること。
正直なところ元々高校を卒業したら、仁聖は秋晴の家を出るつもりだった。秋晴にも家を出るという話は以前からしていたが、仁聖自身の将来の希望もあって進学だけはするという約束は一応していた。ただここ数ヶ月の状況と彼自身の決心もあって将来の方向性も大分変わってきていた。恭平との事は変えようのない事実でもあるし、進学をすれば自立するのにまた時間がかかることになる。少しでも早く自立したい現状としては、その条件を満たすには時間が惜しい。進学することで恭平の気持ちをまた変えてしまう気がして、不安だったというのも仁聖の本心だった。仁聖の言葉に少し目を伏せた恭平の様子に思わずそっと耳元に顔を寄せて小さな声で囁きかける。

「俺…大事な人が居るって言った。愛してるし守りたいし…誰よりも傍に居たい人が居るって、だから自立しなきゃって。」

ピクンと恭平の肩が揺れて身を強張らせる気配が伝わる。それにかまわず電車の規則正しい音の影で、耳元にそっと囁きを吐息と一緒に仁聖は溢す。

「大学だったら今迄より恭平に負担かけなくて済むとは思うけど……、社会人になるまでもう少し時間かかっちゃう……。」

萎れたようにシュンとしながら呟くその声は、仁聖なりの葛藤に溢れているのが分かる。

「でも、恭平と一緒にいたい…一緒に暮らしたい…。それでも自立してないと……やっぱり駄目?一緒に暮らしてくれない?」

ひそりと耳元に溢される熱っぽい吐息に、一瞬体の奥が熱を感じて身を震わせる恭平を見つめる。仁聖の視線に微かに頬を染めながら、恭平が諦めに似た色を浮かべた。それはまるでもう降参とでも言いたげな甘い香りを漂わせる気恥ずかしげな視線で、仁聖は少し胸を高鳴らせて眺めた。

「やっぱり………社会人じゃなきゃ…駄目…?」
「…もう…分かったから……。……学生でもそうでなくても…お前には変わりない…。」

柔らかく囁くその小さな声に決心してくれた気持ちが揺るがないと分かって、嬉しそうに仁聖が微笑みもう一度耳元に口を寄せ囁きかける。

「学費は叔父さんが出すって引いてくれなかったけど、…生活費は自分でバイトして稼ぐから。」

驚いたように眉を潜める恭平が、呟くように言う。

「別に…そこまでしなくても……。」
「駄目だよ…、二人で暮らすんだから…甘えない。ちゃんとする。」
「…変なところで律儀なんだから…。」

苦笑を浮かべた恭平が気が付いたように視線を上げて、無意識にその目の前の胸元に指を這わせた。その仕草に少し擽ったそうに仁聖が微笑みながら、そっと片手を恭平の細い腰に回す。

「…お前の部屋、準備しなきゃな……。」

呟くような恭平の言葉に、今度は仁聖の方が驚いたように目を丸くする。自分の部屋と言われて浮かぶのは、秋晴のマンションのマットレス一つのあの空間だ。

「いいよ、別に。俺の今の部屋見たでしょ?あんなもんだよ?」
「駄目だ、ちゃんと勉強出来る場所がないと…それにお前の場所だから…。」
「………恭平こそ変なトコ律儀だよ?」

人目を忍んで囁きあいながら、思わず視線を見合わせて小さく微笑む。お互いに苦笑を浮かべながらやがて穏やかに視線を伏せると、混雑した車内の人波に押されたふりをしながらそっと仁聖が身を寄せた。押し付けられた体と腰を抱く手の感触。隙を縫うように耳朶に口付ける唇の熱さに、恭平が微かに息を飲むのが分かる。

「愛してる、恭平。」

囁きかける低く甘い声に白い肌が熱をもつのが分かっていて、仁聖があえて繰り返しているのに小さく咎める視線を一瞬恭平が浮かべる。それでも嬉しそうに同じことを繰り返す仁聖に、やがて再び諦めたように苦笑してそのままじっと身動ぎもせずに恭平は目を伏せる。

「このままどっかホテルとか……。」
「馬鹿。」
「だって、我慢出来ないかも。」
「家まで我慢しろ。」
「家まで我慢したら、ご褒美くれる?」
「馬鹿…。」

ねだるような声に、恭平は苦笑を浮かべる。そうして暫く人ごみの中で漂うように身を寄せ合ったまま、規則正しく刻まれる電車の駆動音に身を任せていた。

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