鮮明な月

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第十六章 FlashBack2

201.

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二人の間に鳴り響いた着信電話の相手は、想定通り金子物流のあの慌ただしい営業マンだった。
受話器を取った宏太が迷わずスピーカーに切り替えて営業マンと会話を始めたのに、了は無言のままその場に立ち二人の会話に耳を済ましている。宏太があえてこうして音を外に出しているのは了にこの声がこの間出逢った営業マンか確認させたいためだろうし、宏太自身が何かまだ営業マンのことで引っ掛かっているから。そして何より今もし危険性があることに宏太が説明無しに首を密かに突っ込んでいたら、了に説教されて一番避けたいお仕置きをされるのが嫌だからに違いない。

『えっと…………先日お会いした…………者ですが……………………。弊社の仕事の依頼の件で…………出来ましたら、直にお会いして話をしたいんですが……。』

やはり最初に自分の名前を名乗るわけでもなく、続く言葉もぎこちない。営業でなくとも電話をかけてきて名前を名乗らず仕事の話なんて無作法なことはしないし、若い社会人になりたてとは見えない年代の男なのは既に分かっているし。
その声に耳を済ましていたのは了だけでなく宏太も一緒で、宏太もその声を確認するように聞き取りながらコトンと音をたててマグカップをキッチンカウンターに置く。そして最近では常に甘く低く響くことの多かった筈の声音が、冷たく抑揚のない感情のないものに変容する。

「………………あんた…………、比護耕作だな。ん?」

そこまで黙って声を聞いていた宏太が不意に相手のものらしき名前を口にしたのに、今度は電話口の相手が黙り込んで暫し無言が続く。息苦しいような無言の空気の中でどうやら宏太はこの声に聞き覚えがあって、しかもそれは恐らくは昨日まで『耳』で調べていたものに関連していて、宏太が気にかかるからなんとか助けになってやりたいと考えていた事案の関係者なのだろうと了だって理解してしまう。

『………………えぇっとぉ…………。』
「誤魔化しても無駄だぞ?あんた、俺のこと調べてんだろ?ん?」

宏太は宇野智雪が仕掛けた盗聴機越しとはいえ、既に一度『比護耕作』の声を聞いている。意図して一度聞いた声なら大概は聞き分けられるのが今の宏太の聴力だし、しかも宏太にしてみればその時の会話で自分の身辺を探りかけていたのは知っているのだ。自分に関わることなのだから尚更聞き分けておかないとならないのはいう迄もないし、この声の男が了に直に接したことも宏太の警戒心を高めているのは言う迄もない。暫し考え込んでいた電話口の相手はこれ以上誤魔化せないのには気がついた様子でハァッと深い溜め息を溢したかと思うと、ハハハと乾いた作り物めいた笑いが響く。

『……なぁんだ…………じゃ、この名刺は罠ってことですかね?外崎さん。』
「当然だろ、人の家族まで探りかけやかって、しつこくて邪魔臭くなってきたからな。」

低く抑揚の無い声でそう告げる宏太だが名刺は実際には偶々タイミングがあって渡したもので、本来の計画にはない行動だったのはあえて言う迄もない。そう真実を話してこちらの部が悪い状況にワザワザこちらからしてやる必要もないのは、宏太の淡々とした口調からでも分かることだ。それでもこうして聞いていて宏太の近辺を探っていた男がいて、その男がこうして了を偶然を装って接触を図ってきたと知らされるのは了にはいい気分ではない。それを何故かその場の空気か気配で察したのか、宏太はふと了に顔を向けて電話口には分からないだろうが了を手招く。

『それほど、嗅ぎまわってないですけどねぇ、そちらが隠してる事が多いんじゃないですか?』
「は、障害者の周囲探って暴きたてるなんて、趣味がわりいな。」
『あんたに、趣味云々なんて言われたかないですよ。元SMバーで働いてたでしょ?あんた。』
「昔働いたのをほっくりかえされても、痛くも痒くもないがね。」

そう冷ややかに口にしながらも見えないからと言いたげに手招いた手で了の頭を撫でにかかるのに、流石に了も苦笑いしてしまう。少なくとも比護という男は、宏太が過去に久保田の経営していたSMバーで働いていたことは掴んでいるらしい。どこまで調べあげているのかと不思議に思いながら、了が顔をあげたのに宏太の口が言葉にせずに「大丈夫だ」と動くのが見えて思わず微笑むのを頬を撫でる指がなぞる。

『兎も角、一度話を聞きたいんですよ。直に。』
「俺に何か得があんのかね?それは。」

得があるのかと馬鹿にされたように問われて、暫しまた比護は黙り込んだ。何を目的に調べているのか分からないし三浦事件から調べ始めたとは聞いていたが、ここ迄して外崎宏太にアプローチをかけてくるのはただ記事を調べているだけとは思えなくなりつつある。何せ宏太に関係したことを調べるのはかなりの手間な筈だし、久保田惣一に触れるのも比護には危険性のあることな筈なのだ。

『……………………あんたの記事が表にでない。それは得だろ?』

その言葉に宏太が妙だと感じながらも興味をひかれたのが、目の前で頭を撫でられていた了にも言われなくても分かってしまったのだった。



※※※



チリと何かを肌に感じる。

リリアは『茶樹』に向かって歩きながら、横にいる背の高い青年の一人を見上げていた。それほど東洋人の平均的身長は高くないとか日本人は十年英語を勉強しても英語を使えないなんて情報はやはりジョークなようで、来日してここ数日自分に親切にしてくれる相手は首がいたくなるような長身ばかり。しかも殆んどの相手は、クイーンズイングリッシュかと言わんばかりの英語をスマートに使いこなす。
一応この人と紹介されるのが男性ばかりですねとは勅使河原教授に問いかけてみたが、別段意図したわけでなくリリアをこんなに急に頼める当てが女性にはなかっただけだよとのこと。

本当なら躑躅森君でも良かったんだけど、彼女今、論文の真っ最中なんだよ、すまんね。

と自分も論文の真っ最中だというのに、呑気に勅使河原は話していた。それは兎も角今日出逢った東洋人の特徴である艶やかな黒髪と黒曜石のような瞳をしたこの青年達は仲の良い兄弟のようだと思ったのだが、二人は笑いながら兄弟ではないというし、特に片方の青年は何故かリリアの知人に良く似ていると感じるのだ。

まるで、見た目は違うんだけれど…………

リリアの知人は目の前の青年達と同じくらいの長身ではあるが、顔立ちは完全に北欧系。濃いブロンドの髪は頬にかかり、薄いブラウンの瞳をしている。それに縁なし眼鏡をかけていて普段から猫背ぎみの体は、身長が高いせいか何時でもリリアには覆い被さるような姿に見えるのだ。今隣に立つ青年はピンと背筋を延ばしていてまるで違う涼やかな容姿なのに、全身から放つ空気が何処と無く彼を思わせる。そんなことを考えながら何気なく胸元のペンダントトップにしている大事な小さな金の鍵を指先で服の上から探りながら、リリアはもう一度見上げるようにして鳥飼という青年の顔を眺めた。
リリアーヌ・オフェリア・フラウンフォーファーが、勅使河原叡と接触をする理由になったのは実はリリアのその猫背の知人が関係している。リリアは元々子供の頃に養女になったことは自分でも知っていたのだが、リリアは17歳になった辺りに自分の生母に関連した事件に巻き込まれたことがあった。その時リリアを助けてくれたのが件の猫背の知人で、彼は私立探偵なんて仕事を生業にしているのだが少し不思議なことに巻き込まれやすい体質…………なのだと思うことにしている。

不思議なことに…………巻き込まれるというか…………まぁそこはいいのだけど…………

不思議なこと。この表現を日本語で何と言うかと言えば、今風に言うなら『都市伝説』?とか言うものなのかもしれないと、最近勅使河原からレクチャーを受けたばかりだ。そうでなければ『御伽噺』なんて表現が近いけれど、日本と他の国では感覚が違うという。と言うのもそれは宗教やカルチャーの差でもあって、何しろ日本では子供の時点でモンスターは隣人であり、友人だったりする認識なのだ。そんな馬鹿なって?いやいや、だって日本では『ヨウカイ』なんて存在が当然みたいに受け入れられていて、隣人であり友人なのは違和感を感じない。

フェアリーとも違うし、扉を通らなくても、隣に暮らしてるんだもの。

何しろテレビのアニメーションですら、『ヨウカイ』が出てきたり主人公だったりしているのを子供達は当然みたいに笑いながら見ている。しかも『ヨウカイ』や『モンスター』は自我があり知的で、人間を襲わない上に護りもするヒーローまでいたりして。そんな日常に暮らしているのは自分だけではないのかと驚いてしまった。兎も角リリアは二年前に出逢った猫背の彼と関わるとどうしてもその不思議なことに巻き込まれてしまう。そうする内にリリアの身の回りにも、常識はずれなことがチラホラと見え隠れするようになった。その一部にふれるうちにリリア自身も民俗学やら様々な事に興味をもつようになって、結果的に猫背の彼と一緒に様々な経験をここ2年でしてきたわけだ。そうしてリリアが更にそれに関して学ぼうと大学進学して、暫くして勅使河原叡と接触する機会を猫背の彼が産んだのだ。

「Is everything okay? 」

端と気がついたが、余りにもリリアがジロジロと不躾に見つめ、しかも無言で物思いに耽っていたのだろう。見上げていた黒曜石の瞳に逆に見下ろされ問いかけられて、リリアは慌てて自分の知人に雰囲気がにている気がして見ていたと答えた。というか、ここ数日何人もこんな風に彼に似ていると感じる人物に出逢ってもいて、流石日本は猫背の彼の言う通り『不思議が日常と一体化している国』だと思ってしまう。何しろリリアが会いに来た友人だって不思議の一部みたいな世界にいて、しかも猫背の彼と似た男性と婚姻を結んだのだ。

俺と同じだと感じる人間には、十分注意するんだぞ?リリア。

そう、リリアの知る彼ならそう言うに違いないのは、リリアにだって十分すぎる程に分かっている。彼曰くリリアがそういう感覚を感じる人間には、実は必ずある共通点があるのだ。その共通点こそが勅使河原がライフワークとして調べているものに繋がる世界で、世の中にはそういう不確定要素が存在する証しでもありリリアの存在の半分でもある。
これを具体的な言葉での説明するのはリリアには難しいが、勅使河原みたいな人間が使う言葉で言えば説話の一部にあるものは完全な創作ではなく伝聞から生まれた真実とでも言えばいいのだろうか。伝説なんてものの存在がそれに近いのだろうけれど、自分がその伝説の産物とは流石に烏滸がましい気もする。それでも自分の直感はそういうものを言われなくても見抜いてしまうのは、実父の存在かあるからだとリリアももう知ってもいた。

「Miss?」

似ているという話しといえば数日前に源川仁聖という青年の友人達に何かのゲームのキャラクターに似ていると言われたが、知りもしない人間に似ていると言われるのは面白くないことなのかもしれない。そう気がついて謝ると、鳥飼という青年は何が?と不思議そうにリリアを見下ろす。

「ブシツケに、似てる、嬉しい、ないと、聞きました。えっと………Jinseiに。」
「仁聖?源川仁聖?」

説明が難しくて思わず名前で呟いたら、不意にもう一人に驚いたようにそう言われる。それにリリアが尚更戸惑いながら二人を見上げるが、榊という青年もなんと説明していいのか分からない様子でいるのが分かった。人の名前を出すのは何か良くないことなのかと戸惑うリリアに鳥飼という青年が苦笑しながら、源川仁聖と榊が一緒に暮らしているのだと説明しながら再び三人は並んで歩き出す。

「最初、Jinseiに、『cyano-ki』I had he take me there. 」

リリアのその説明で、二人は半分は納得出来たと言うように呆れた顔をするのだ。

「なるほど、勅使河原が根回しした訳だ?」
「ネマワシ?What's the meaning?」
「lay the ground work.…………Japanesebusiness Wordってやつだな。」

その説明でいいのかなとは少し思うが、一先ず勅使河原がなにかを目論んで源川仁聖にリリアの案内を押し付けたのは二人の言葉からも何となく伝わった。それにしてもビジネス用語を日常会話でも活用するなんて、ヤッパリ日本語は難しいと拙い日本語しか操れないリリアは首を捻る。そんなリリアの事を榊は少し考え込むように見つめていたが、鳥飼がポンとその肩を叩いたのにリリアは気がついて視線を向けていた。リリアの澄んだ濃い青の瞳が自分の顔に向いたのに気がついた榊の瞳の奥を真っ直ぐに覗き込んだリリアは、その瞳の奥にあるものに気がついてニッコリと微笑みかける。こういうのを見抜いてしまうのは実は余り良くないことだとは知っているのだけれど、直感でもあるから意図的に知ることを避けることも出来ない。

「It's fine. You don't have to worry about it.」

リリアが微笑みながら心配しなくて大丈夫と告げるのに、言われた榊が戸惑い混じりにリリアの顔を見つめてくる。これを言葉で説明するのは難しいけれど、少なくとも彼が心配しているような意図で源川仁聖を見てはいないし接してもいないと、何とか説明してみようとは努力することにするリリアの事を横にいる鳥飼信哉も不思議そうな顔で眺めていた。
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